浮かび上がったずさんな裏付け捜査。
特捜部が完全敗北「村木元局長裁判」を検証する

NHK「追跡!AtoZ」取材班
(DIAMOND online 2010年9月17日 ) http://bit.ly/9EE5c9


8月、われわれ取材班は注目の人物を訪ねた。去年6月に嘘の証明書を作成した罪で逮捕され、1年3ヵ月にわたり、一貫して無実を訴えてきた厚生労働省の村木厚子元局長だ。3時間に及ぶインタビューの中で村木元局長は、取り調べを受けた際の心境をこう語った。

「一番怖かったのは上手に罠にはめられるということがあるのではないか、という恐怖感でした。捜査ができるのは検察だけなのに、その人たちが私がやったと信じ込んでいるとしたら、真実を探し出してくれる人がいなくなってしまう…」


9月10日に無罪判決が言い渡された、村木元局長裁判。捜査を進めてきたのは、大阪地検特捜部だった。特捜部は、関係者の捜査段階での供述を根拠に、村木元局長の関与を立証しようとしたが、完全な“敗北”となった。特捜部に一体なにが起きていたのか…。


■調書は全部でっちあげ?証人が次々と証言を覆す異例の事態

 裁判が始まったのは今年1月だった。われわれがまず注目したのは第3回公判。捜査段階で「村木元局長から証明書を直接受け取った」と供述した「凛の会」倉沢邦夫元会長の証人尋問だった。倉沢元会長は法廷で、

「証明書は村木さんのデスク越しに頂きました。村木さんは立ち上がって両手で渡してくれました」

 と具体的に証言。ところが弁護側は「不自然だ」と指摘した。事件のあった6年前、村木元局長のデスク前には衝立やキャビネットがあり、証明書をデスク越しに受け渡すなど、物理的に困難だと弁護側は主張したのだ。

 第8回公判には、嘘の証明書を作成したとされる上村勉元係長が証人として現れた。捜査段階では、「嘘の証明書を作ったのは村木元局長の指示だった」という供述調書にサインした人物だ。しかし法廷ではこう証言した。

「調書は全部でっちあげです。村木さんの指示はありませんでした。取り調べで聞き入れてもらえませんでした」

 さらに、法廷に立った他の厚生労働省の関係者も次々と「調書の内容は事実でない」と証言し、供述を覆すという異例の事態になっていった。

 一方、検察幹部は

「彼らは法廷で嘘をついた。厚生労働省が組織防衛に走ったということだ」

 と指摘。供述調書の信頼は揺るがない、と自信を示していた。

 そうした中、第11回公判で石井一参議院議員の証人尋問が行われた。石井議員は、検察が描く事件の構図で、

「平成16年2月25日に、凛の会の倉沢元会長と議員会館で会い、厚生労働省への口添えを頼まれた」

 とされる。しかし、法廷で弁護側が示したのは石井議員の手帳。問題の日の欄には、千葉県成田市のゴルフ場の名前や、プレーの時間等が書かれていた。石井議員は「この日はゴルフをしていた」と主張。検察の構図に根底から疑問を投げかけた。

そして、5月26日に開かれた第20回公判。裁判長が、検察の調書のうちどれを採用するか判断を示した。裁判長が採用する調書を読み上げていく…、すると検察が証拠として採用するよう求めた調書43通のうち、34通が「信用性がない」等として却下された。これが決定打となり、村木元局長の無罪判決に至った。


■特捜部の捜査の問題点は?あいまいな供述を基にした筋立て

 果たして、特捜部の捜査のどこに問題があったのか。特捜部が「厚生労働省の組織犯罪」という事件の構図を描くきっかけとなったのが、「凛の会」倉沢元会長の供述だった。倉沢元会長は、

「証明書は厚生労働省の50歳くらいの色白の女性課長から受け取った」

 と供述。その翌日、検察官が村木元局長の写真を見せると、「この人で間違いありません」と答えたという。

 捜査の流れに大きな影響を及ぼした倉沢元会長を、われわれは直撃取材した。すると彼はこう語った。

「いまだに何べん思い返しても、はっきりした(証明書の)受け渡しの状況っていうのは記憶していないんです」

「その相手が村木さんだったという記憶は?」

「そういう記憶はないですね」

「では、なぜあのような供述をしたのか?」

「ご挨拶した課長さんから受け取ったというのがごく自然だと思いますし、はっきりした記憶はないけど、そういう流れだったと思います、という風に供述したわけですね」

 このあいまいな供述から、特捜部の筋立てが作られていった―――。


今回捜査を担当したのは、大阪地検特捜部。関係者のあいまいな供述をこ基にした筋立てで、取調室で上村元係長を追及した。

 特捜部は、厚生労働省の組織的関与の解明に乗り出していった。去年5月には、村木元局長の部下だった上村元係長を逮捕。彼は、自分が証明書を作成したと認め、

「自分で勝手に課長印を押して、嘘の証明書を作った」

 と供述した。しかし、特捜部はこれを疑い、他の関係者の供述などから、村木元局長が上村元係長に指示した経緯を次のように考えた。

◎倉沢元会長は国会議員に口添えを頼んだものの、なかなか証明書が発行されなかったため、村木元局長に直接証明書の発行を依頼した。

◎これを受けて、村木元局長は上村元係長に証明書を作るよう直接指示した。

 特捜部は、この筋立てを念頭に上村元係長を追及。取り調べ室でこう迫ったという。

「関係者の意見を総合するのが一番合理的じゃないか。多数決のようなものだ」(上村元係長の被疑者ノートから)


■さらに浮かび上がる裏付け捜査のずさんさ

そして、逮捕から6日目、上村元係長は村木元局長の関与を認める内容の調書にサインした。ところが、特捜部はこの筋立てと矛盾する証拠を入手していた。それは、上村元係長の自宅から押収したフロッピーディスク。そこには、上村元係長が嘘の証明書を作成した際のデータが残されていた。データが最後に更新されたのは、平成16年6月1日だった。

 一方、関係者の証言などから割り出すと、倉沢元会長が村木元局長に催促し、村木元局長が上村元係長に指示したのは6月8日以降とされる。つまり、フロッピーのデータは、村木元局長の指示があったとされる6月8日以降より前の6月1日に、証明書がすでにできていたことを示していたのだ。しかし、それでも特捜部は自らの筋立てを見直さなかった。

 さらに、裏付け捜査のずさんさも浮かびあがった。石井一議員の証人尋問で浮上したゴルフ場での「アリバイ」について、特捜部がゴルフ場を訪れて確認したのは、証人尋問の翌日。村木元局長の逮捕から、実に9ヵ月も後だった。地検幹部はこう振り返る。

「石井議員にアリバイがあったら…ということは不安に思っていた。いま思えば、きちんと調べていなかったのは、捜査に穴があったと言わざるを得ない」

 浮かび上がった捜査の問題点について、スタジオ出演した髙井康行弁護士(元東京地検特捜部検事)はこう指摘する。

「本来あってはならない捜査だ。特捜部には、人を起訴することについてもっと謙虚であることが求められる。そして、検察総体としてなぜこのような捜査がまかり通ったのか、上級庁が止めることができなかったのかを検証することが、国民の信頼を回復する道だ」

 いま特捜部の捜査に国民の厳しい目が注がれている。国民の信頼に応える捜査とはどうあるべきなのかを考える上でも、今回の捜査を検察が自ら検証していくことが求められる。

(文:番組取材班)


■取材を振り返って

【鎌田靖のキャスター日記】

 20年前、私が司法記者だった頃は、ほぼ毎日法廷で取材していました。9月10日に大阪地裁で言い渡された厚生労働省の村木厚子元局長の無罪判決、久しぶりに法廷で聞きました。

 4時間近くに渡って検察の主張をことごとく退けた裁判長は、判決の最後に「犯罪の証明がない」と言い切りました。証明が不十分という事でもない。村木元局長の犯罪はそもそもなかったという判断です。特捜部の完全敗北。特捜部の取材を長く続けてきた私にとっても衝撃でした。なぜ、こうした捜査が行なわれたのか、今週はその実態に迫りました。

 その詳しい内容はここでは省略しますが、今回の判決は無罪という結論にとどまらない影響を検察全体に与えたと考えています。どういうことか。

 特捜部が手掛ける事件というと賄賂の受け渡しなど密室犯罪が中心です。このため関係者を取り調べて、供述調書を作成し裁判の証拠とするという捜査が普通行なわれます。厳しい取り調べで供述を引き出す能力のある検事は「割り屋」と呼ばれて尊敬されもしました。もちろん客観的な証拠も重要ですが…。

では、裁判所はどう判断するかというと、「特捜部が作った調書ならまあ信用できるだろう」といって関係者が供述調書とは異なる証言を法廷で行なっても、供述調書のほうを優先するという傾向があったことは否定できません。

 つまり、特捜部の供述証拠を重視する捜査を裁判所も認めていたといえるでしょう。

 ところが今回の判決が衝撃的だったのは、「人の供述は記憶があいまいだったりして間違えることがある。内容が具体的で迫真に富んでいたとしても後になって作ることもできる」と述べた点。いくら供述調書を作っても客観的な証拠がなければだめと判断したのです。つまり、伝統ある特捜部の捜査そのものに疑問を呈したともいえます。

 その背景には番組でも指摘しましたが、裁判員制度の導入があります。一般市民は法廷での証言を聞いて有罪無罪を判断するわけですから、プロの裁判官の意識も変わらざるを得ないのです。

 特捜部が手掛ける事件は裁判員裁判の対象ではありませんが、制度導入の影響は極めて大きい。今回、裁判長はそのことも暗に言及しているように読み取れます。

「巨悪に立ち向かう」と言われるように特捜部の捜査はこれまで多くの国民の支持を得ていたハズはずです。しかし、この事件だけでなく最近の特捜部の捜査をめぐっては、批判の声も上がっています。特捜部はもういらない、という議論さえ起きています。

 特捜部の捜査は今後どうあるべきなのか。そのことを考えるうえでも、今回どのような捜査が行なわれ、何が問題だったのか検察自らが検証することが何よりも求められているのではないでしょうか。控訴を検討しても、もはや何も生まれはしないのです。


※この記事は、NHKで放送中のドキュメンタリー番組『追跡!AtoZ』第53回(9月11日放送)の内容を、ウェブ向けに再構成したものです。