村木さん事件、「ふつうの人」にとっての教訓

山崎 元
(DIAMOND online 2010年9月22日) http://bit.ly/aLrE3o


■朝日新聞のスクープ

 9月21日の朝刊トップで『朝日新聞』は、郵便不正事件を巡る村木厚子氏の担当主任検事が、押収していた上村被告(事件当時、村木氏の部下)のフロッピーディスク(FD)にあったデータを改竄していたことを報じた。上村被告が偽造したとされる報告書の作成日付を元の日付から検察の主張と辻褄の合う日付に書き換えたという。

 記事によると、朝日新聞は「今夏」このFDの記録を確認したところ、特捜部が捜査報告書に記した最終更新日時と証明書の文書ファイルの最終的な更新日時が異なることが判明したのだという。大手情報セキュリティー会社の解析によると、上村被告が厚労省で使っていたパソコン以外のパソコンと専用ソフトを使って書き換えが行われた疑いがあるという。また、朝日新聞の取材に応じた検察関係者は「主任検事から今年2月ごろ、『村木から上村への指示が6月上旬との見立てに合うよう、インターネットから専用のソフトをダウンロードして最終更新日時を改ざんした』と聞いた」と述べたという。

 記事によると、一連の報道内容が事実なら、この証拠品変造は証拠隠滅罪の可能性があるという。検事側が証拠隠滅とはイメージが湧きにくいが、あり得ない話ではない。

 この記事は、文句なしのスクープであり、『朝日新聞』(署名は板橋洋佳記者)は讃えられていい。公権力を行使する側をチェックする報道を行うことは、幾つかの面で特別扱いされている、報道機関に対する社会的な期待にも応えている。

 ただ、もともとが日付を巡るニュースなので、日付にこだわると、朝日のこの記事のタイミングも微妙だ。判決が出て、大阪地検が控訴断念を決めた後が適切と見たのかも知れないが、たとえば民主党の代表選挙の前にこの問題が報じられていれば、同選挙の大きな争点が、小沢一郎候補の「政治とカネ」の問題、検察審査会の結論による起訴の可能性、であっただけに、選挙結果に大きな影響を与えていた可能性がある。朝日新聞は、「今夏」に材料を得ていたわけだから、微妙だ。また、同紙は、改ざんに関わった可能性の大きな村木氏を担当した主任検事を「主任検事(43)」と匿名で報じている。スクープの価値を損なうものではないが、検察にも気を遣った記事の書き方であるように読める。


■今後の展開

 朝日新聞の後を追って、今後、多くのメディアがこの問題を追いかけることになるだろう。もちろん、それは必要なことだ。

 率直に言って、検察はマスメディアの「決定的に大きなネタ元」だ。この問題については、当初は激しい検察批判が展開されるだろうが、検察としては、これを今回の担当者あるいは、大阪地検の特殊事例であるという印象を世間に持たせたいだろう。メディアに対しては、そういった印象につながる情報を提供するだろうし、メディアも検察の意図を汲んだ報道を行う可能性がある。

 今回、国民一般にとって真に問題なのは、担当検事個人の行いの悪質さではなくて、「悪い検事に当たった場合に、こうした問題がまた起こる可能性」だ。取り調べのあり方や、公判で証言よりも取り調べの際の調書が重く見られがちな傾向など、司法手続きの仕組みや考え方を検討することが重要な問題だ。担当検事個人、あるいは逆に検察全体がいいか悪いかを決めつけることは問題の解決にならない。

 一方、民主党は、昨年の総選挙マニフェストに載せていた「取り調べの可視化」を、なぜか先般の参院選では取り下げていたが、今回の問題で再び取り上げざるを得なくなるだろう。但し、この種の官僚組織(検察に限らず)が嫌う問題は、世論が一時的に盛り上がり、政治家が大きく取り上げて「検討を指示する」と宣言するところまでは行っても、その後審議会等の議論に付されて時間を稼がれてうやむやになることが多い。

 取り調べの可視化については、法案の形で国会に出して来るかどうかで、民主党政権のやる気を見たい。「検討を指示する(した)」では、期待できない。

 会見に出席される記者のみなさんには、総理や法務大臣に質問する際に、「検討を指示した」で逃がすことなく、「いつ法案を提出するのですか?」、「総選挙のマニフェストに載っていたということは、検討したということではないのですか?」等々、具体的な動きを厳しく質問して貰いたい。


■誰にでも起こりうる事件

 村木さんのケースは、あって欲しくないが、誰にでも起こり得る問題だろう。

 たとえば、不祥事に関わった部下が、上司の指示だったと取り調べで話す可能性は、企業の管理職なら起こり得ない話ではない。もちろん、上場会社ならインサイダー取引事件も可能性があるし、電車に乗れば強制わいせつ罪や迷惑防止条例違反のような「痴漢冤罪」の恐れもあるし、殺人罪に問われることだって無いとは言えない。

 検察の捜査や取り調べが、何らかの仮説的なストーリーを前提としたものであることは、人間のやることなので、今後も変わらないだろう。また、検事は、自分のストーリーを実証する証拠を積み重ねるべく取り調べを行うだろうし、実証に好都合な表現で調書を作ろうとするだろう。

 これを何をされるか分からない密室の中で、自分の正当性を証明する後ろ盾になってくれる味方の全くいない状態で、しかも、いつ釈放されるか分からないプレッシャーの中で行われるのだから、精神的には相当に大変だ。

 罪を認めると身柄拘束が解かれるという誘惑も大きいだろう。郷原信郎氏の著書「特捜神話の終焉」(飛鳥新社)の解説によると「犯罪事実を自白すれば罪証隠滅の恐れが無くなるので、身柄拘束されないか、拘束されても早期に拘束を解かれるが、犯罪事実を否認している限りは、身柄拘束される可能性が強くなり、否認を続ける限り身柄拘束が続くことになる」という仕組みであり、これは捜査段階だけでなく「起訴された後も同様である」ということなのだ。

 加えて、自白を内容とする供述調書は本来伝聞証拠(反対尋問を経ていない証拠)として証拠能力がないとされているが、しかし「実際には広範囲に例外が認められており、否認事件でも供述調書が大きな役割を果たしている」という。公判では自白の任意性が問題になるが、「公判で、取り調べを担当した警察官や検察官が取り調べの状況を証言することで、自白調書が証拠として採用される場合がほとんどである」という状況だ。

 圧倒的に不利な状況の中であっても、罪を認める内容が少しでも載っている調書にサインしたら無罪は不可能だと思っておかなければならない。


■村木さんの手記から得る教訓

 村木さんは、こうした状況をどのようにして頑張りきることができたのだろうか。

 この間の事情は、『文藝春秋』10月号の独占手記「私は泣かない、屈さない」村木厚子(取材・構成=江川紹子)に詳しい。

 担当検事は「執行猶予が付けば大した罪ではない」と取引の誘いとも取れる言葉を発したようだが、村木さんは「私にとっては罪人になるかならないか、公務員として三十年間やってきたことについて信用を失うかどうかの問題なんです」と抗議したという。自分自身と仕事に対するプライドを持ち続けたことで、プレッシャーに対抗し得たのだろう。

 手記から読み取れる取り調べの様子は、基本的に郷原氏の著書の説明通りだ。村木さんを担当した弘中弁護士は「検事が自分の好きな調書をまず作ってしまう。そこから交渉が始まるんだ。調書とはそういうものだ」、「ここは公平な場ではなく、検事の土俵にいるんだ、と思いなさい」と教えてくれたという。いい弁護士さんに当たったように思う。

 村木さんの手記は、ビジネスマンも是非一度読んでおくといいと思うが、印象に残ったのは、高い目標を作らないという点だった。

 村木さんは取り調べ段階で「負けてしまわないということは、やってもいないことを『やった』と言わないこと。もうそれしか目標を作りませんでした。私は、目標設定がわりと低くて、高望みはしないんですね」、起訴後について「やはり低い目標を設定していたことがよかったんでしょう。(中略)それで決めた目標は、まず絶対に体調を崩さないこと。それから落ち込まないこと。もう目標はこれだけと決めて、あとはここで好きな本を読もう、と思いました」と述べている。

 期限の分からない拘留は、自分が不利な状況の持久戦だ。こうした状況では、高い目標を掲げて現実とのギャップに落ち込んだり、余計なことやミスをしたりすることを避ける事が重要だ。最も重要度の高い且つ「低い目標」を決めて、精神の揺れと消耗を少なくして戦う事が有効なのだと思う。ビジネスでピンチに陥ったときにも、あるいはゴルフや将棋・囲碁のようなメンタルな要素が重要な勝負事にあっても、役に立つ心得ではないだろうか。

 それにしても、村木さんはよく頑張りきったものだと思う。彼女にとって、失った時間やチャンスは少なくなかっただろうが、彼女の頑張りが果たした意味は、国民にとって小さくなかった。あとは、今回の事件を、単なる悪役捜しに終わらせるのではなく、刑事司法の「仕組みの改善」につなげることが大切だ