400戦無敗!伝説の格闘家 ヒクソン・グレイシー SPECIAL INTERVIEW(1)


「大事なのは、勝つことではなく、絶対に『負けない』ことだ」
~『ヒクソン・グレイシー 無敗の法則』(ダイヤモンド社)出版連動企画

(DIAMOND online 2010年9月23日) http://bit.ly/d2K1Xf


400戦無敗・伝説の格闘家として、世界中にその名をとどろかせる、ヒクソン・グレイシー。彼が無敵を誇るようになった背景には、どのような考え方があり、いかなる原動力が働いていたのか。初の著書となる『ヒクソン・グレイシー 無敗の法則』(ダイヤモンド社)でも語られた、日本人や柔術への想い、闘うことをやめた理由、そしてこれからの人生や夢について……。全4回にわたって迫っていく。
(聞き手/ダイヤモンド社書籍編集局)


――ヒクソン、あなたはとても親日家だとうかがいました。


ヒクソン・グレイシー(Rickson Gracie)
1959年11月21日生まれ。ブラジル出身。柔術家。総合格闘技の歴史にその名を刻む「グレイシー柔術」最強の使い手として知られる。初来日時に付けられた「400戦無敗」というキャッチフレーズはあまりにも有名。現役時代は並み居る強豪を次々と撃破し、総合格闘トーナメント「バーリ・トゥード・ジャパン・オープン」では2年連続優勝という偉業を達成(1994年、1995年)。その後、高田延彦、船木誠勝といったプロレス界のスーパースターにも完勝し、その強さは日本の格闘ファンのみならず、様々なメディアを通して広く一般にも知られることとなった。2008年2月に一般社団法人 全日本柔術連盟(JJFJ)を設立し、初代会長に就任。現在は後進の育成と共に、グレイシー柔術の普及に尽力している。
Photo by Takahiro Kohara ああ。私が初めて日本を訪れたのは、今から15年ほど前のことだ。


 それまで私が日本に抱いていたイメージは、武士道、サムライ、強さ、礼儀、そして無敵の男が持つ一分の隙もない精神力、そんなものばかりだった。

 ところが日本に来た私は失望した。

 確かに深い尊敬の心を感じたが、それは強さや精神力ではなく、むしろ弱さから生まれるものだったからだ。いくら尊敬の心を感じ、厳しい規律を目にしても、そこにはなぜか強さがまったく感じられなかった。

――「弱さ」というのは、どういうことでしょうか?

 言い換えるなら、人々がシャボン玉の中で暮らしているような気がする、ということだ。尊敬の心が感じられても、それは他人の人生を邪魔したくないと怖がっているからだったり、他人の意見を聞きたくないからだったりする。

 私は日本が大好きだ。少なくとも文化についてはそう言いきれる。しかし、その弱さをを少し残念に思っているのだ。

 たとえば、私の最後の試合となった東京ドームでの対戦(船木誠勝戦)のような格闘技イベントに行くと、床には紙コップ一つ落ちていない。試合に動きがあると、観客全体がほとんど同じ瞬間に息を呑む。「ヒクソン! ヒクソン!」という声援が聞こえることもあるが、そのタイミングすらもほぼ同じだ。

 そんな光景を見ていると、人々がいかに安心してシャボン玉の中に閉じこもっているかが分かる。もう少し自分を出し、エネルギーを出しきって生きれば、どんなに幸せになれるだろうかと思う。


■サムライの時代はもう終わった

――日本人は、いつも何かに守られている感じがする、ということですね。


「私は、(武士もバイキングなどの海賊も)どちらも間違っていると思う」
Photo by Takahiro Kohara そうだ。だが、ここで批判的になるのはよそう。

 ただ、理性だけでなく心の声にも耳を傾けてほしい。ときには心のままに行動してほしい。サムライの時代、敵にさえ尊敬を込めてお辞儀をしていた時代は、もう終わったのだ。

 今や自由な国際化の時代だ。世界中の人が日本にやってきて、日本人もまた世界中に出かけていく。日本独特のしきたりにとらわれず、自分で体験し、人生を精いっぱい実感して生きるべきなのだ。

――日本人はこれからどのように考えて行動すればいいでしょう?

 重要なのは、自分の人生が退屈なのかもしれないと認めること、そして、感情的、心理的、精神的、肉体的なレベルを高めるには何をすればいいのかを知ることだ。それが分からなければ、行動を起こすことなどできない。

 仕事のことや家族を養うことばかりでなく、自分の気持ちをもっと考える。

 それには何をすればいいだろうか。たとえば、筋肉をつける、いい体になる、もっと健康になる、ガールフレンドをつくる……。人生を楽しみ、人生に刺激を与え、自分の内側からあふれる人生の輝きと幸せを生み出すことができるなら、何でもいい。

――「武士道」については、どのように考えていますか?

 宮本武蔵や武士道について、私の気持ちは昔から変わらない。武士道、そして日本文化にサムライが果たした役割には、深い尊敬と賞賛の気持ちを抱いてきた。しかし、自分を犠牲にして殿様に仕えるという武士の心構えについては納得できない。武士としての名誉以外には、何も残らないと考えている。

 一方、バイキングなどの海賊は、武士とは正反対だ。他の国を侵略し、女性をレイプし、宝を盗む。楽しみのためだけに戦い、自分のことしか考えていない。逆に、武士は人として正しい行動をとったが、心を殺して幸せも目標も求めなかった。

 私は、このどちらも間違っていると思う。


■自分自身の幸せを求める「現代の戦士」とは?

――では、正解はどこにあるのでしょう?


「私は、武士道を手放しで尊敬しているわけではない」
Photo by Takahiro Kohara 私の考える「現代の戦士」とは、正しい行動を守り、求めるものを手に入れようとするが、それでも幸せになるという目標を忘れない男のことだ。

 自分自身の幸せを手に入れるという考えを、どこまでも追求する。

 幸せを求める他にどんな生きがいがあるというのだろうか。そして、幸せでないのに満足できるだろうか。私はそう思う。

 武蔵や、同じ哲学を持つ立派なサムライには、その満足しているイメージがないのだ。

――あなたの原点は宮本武蔵ではないのですか?

 なぜかそう誤解している人が多いようだが、武蔵という名前を聞くずっと前から、私は、武士道を守っていた。

 武士道について深く知り、素晴らしいと思うようになったのは、『Shogun(将軍)』(James Clavell著)という本を読んでからだ。実はサムライのことが理解できるようになったのもこの本のおかげで、武蔵の『五輪書(ごりんのしょ)』を読んだのは、それよりずっとあとのことだ。

 私が武蔵の本を読んだときの印象は、この人物には心がないということだった。

 闘いのために、勝利のために、ただ死なないことだけを目指して、淡々と生きる。勝つために試合を繰り返しながらも、まるで闘うために設計された機械のように、死を実感していなかった。

 だから、やはり共感はできない。

――闘う理由は「勝つため」ではない、と?

 私が闘ってきたのは、もっと大切なもの、たとえば家族を喜ばせるためだ。また、高い評価を得た自分の技術と持ち味を存分に発揮するためで、それが私の幸せだった。幸せを求めたからこそ、敵の前に立ち、闘いの場で多くの成果をあげて、伝説をつくってきた。

 私が敵を乗り越えようとしたのは、幸せという大きな目的を達成するためだったのだ。

 私は、武士道を手放しで尊敬しているわけではない。実はサムライのように無感覚でいるほうが、生きるのは簡単だし、自分を最優先しない生き方のほうが楽だと思う。

 しかし、世界の中心が自分でないなら、もはや自分の人生だとはいえないのだ。


■誰の役にも立たない 人生なんて意味はない

「人は生まれた瞬間から、自分の思いどおりにはならない。競争の連続だ」

 私がこの考えを伝えようとするとき、まず、「みなさんにとって、最も重要なことは何ですか?」と質問をする。

 すると、みんなは考える。そして、家族、成功すること、仕事、健康、その他いろいろな答えが返ってくるが、その中で、「私の」という言葉を最初につけた人は、正しい道を進んでいる。自分以外のことを考えた人は、どこか人生に自信がない人だ。そう、生きる目的がないということだ。

 まずは最高の自分になること。そうすれば人のために何かができる。そして、最終的に自分という枠を超えて、人の役に立てるようになればいい。

 誰の役にも立たない人生なんて意味がない。自分のことしか考えず、人のためには指一本動かさない人間はただの自分勝手だ。しかし、人を助けるために自分の力を蓄えるのなら、それは立派な行動だ。だから自分を優先させる。

 ストレスのある暮らし、緊張した生活を送り、嫌な気持ちのままで、家族のために何ができるというのだろう?

 愛する人や友達の役に立てるだろうか? 仕事で活躍できるだろうか? そのまま無理に突き進めば、最後には倒れてしまうことだろう。

 本書(『ヒクソン・グレイシー 無敗の法則』)の読者が、そんな「現代の戦士」になってくれると私は嬉しい。

――では、「現代の戦士」として勝ち進むために、守るべきこととは?

 それは、見えない力を手に入れるために、感覚を磨き、自分を捧げ、人として正しい行動を選び、深く物事を見つめること。状況を把握し、正しい戦略を立てること。欲しいものを手に入れて、自分で運命を切り開くこと。幸運をあてにせず、自分のものは自分で取りにいくこと。

 人は生まれた瞬間から、自分の思いどおりにはならない。競争の連続だ。

 2歳の子供でも、3歳の兄がいれば、ちょっとしたゲームやおもちゃを取り合って喧嘩を始めるだろう。車の助手席に座る権利にはじまって、あらゆることをめぐって競い合い、何をしても喧嘩になる。

 一人っ子なら小さいうちは平和かもしれないが、学校へ行くようになるとすぐ、自分も列に並ばなくてはいけないことに気づく。何かを自分のものにするには、いつもポジション争いをし、優劣を競い、社会の中で競争し続けなくてはならないことを知るだろう。

 競争に勝つためには、自分の強みを知り、世の中を理解する能力を身につけること。人が最初にしなければならないのは、それだ。

(第2回「現在の格闘技界と柔術の意味」は来週公開の予定です。お楽しみに!)