「土井チルドレン」から「鳩山4人組」に転身し、ノシ上がる [最高権力者・仙谷由人 危険な正体]
(日刊ゲンダイ 2010/9/27)

自民との連立もへっちゃら

6月の首相就任会見で、菅直人(63)は仙谷由人(64)を「付き合いは長いが、煙たい存在」と表現した。菅が仙谷と知り合ったのは弁護士時代という。仙谷は菅にカンパし、菅は仙谷に社民連(当時)からの出馬を打診した。しかし、仙谷が菅の誘いを受けることはなかった。
1990年の初出馬は日本社会党から。土井たか子のブームに乗って初当選した“土井チルドレン”なのだ。
当時から、仙谷は権力を目指した。党や労組での活動歴が浅い1回生を集めて「ニューウエーブの会」を結成。「抵抗政党から政権を担える党へ」と訴えた。細川律夫厚労相、岡崎トミ子国家公安委員長、松本龍環境相や鉢呂吉雄国対委員長は、そのときの仲間だ。
「機を見るに敏で押し出しも強いから、目立っていましたよ。それでいて腹が読めない。食えない人なんです。ただ、2回目の93年総選挙では恥をかいた。地元のテレビ局が当確を打ち、バンザイまでしたのに落選。非自民の細川政権誕生をバッジなしで見守る屈辱も味わっています」(事情通)
96年に旧民主党で当選すると、仙谷は独特の嗅覚で勝ち馬を見分ける“本領”を発揮する。
党企画委員長として菅代表の下で98年の金融国会を乗り切ったものの、菅の女性スキャンダルが報じられると、熊谷弘や川端達夫ら中堅幹部と連携。翌年、鳩山由紀夫を代表に押し上げて「4人組」と注目された。05年の郵政選挙の敗北を受けた岡田辞任後の代表選では、前原を担ぎ菅を下している。

今回の代表選は菅の再選をリード。党分裂を恐れた鳩山の仲介も蹴飛ばした。初めて仙谷を大臣に起用した鳩山は、最近、「仙谷さんが、あんな人だとは思わなかった。小沢さんには注意しろと言われていたのに……」とぼやいていたという。信念や理念もなく、要領だけで政界を遊泳する姿に呆れているのだ。
仙谷は自民党議員とのパイプも着々と築いている。98年の金融国会では「東大法」をこよなく愛する宮沢蔵相(当時)から「よく分かっておられますな」と持ち上げられ、野中や梶山といった実力者とも電話でやりとりする間柄となった。
「仙谷は、小沢が代表当時に進めようとした自民党との大連立に猛反対しています。しかし、小沢が嫌いなだけで、連立を否定しているわけではありません」(民主党関係者)
こんな話がある。2000年の「加藤の乱」で、記者に囲まれた加藤紘一は「私なら5秒で菅直人に連絡が取れる」とうそぶいた。民主党と連携して森内閣の不信任案を可決できるという脅しだったが、これに仙谷は舞い上がった。
「旧知の新聞記者に真夜中に電話をかけ、“ワシが法務大臣や”とうれしそうに話したそうです。もっとも加藤の乱は不発に終わり、仙谷が与党の一員になることはかなわなかった」(政界関係者)
権力を手に入れるためなら、だれとでも組む。その姿勢は昔から変わらないのだ。
(つづく)