アーミテージは「名護市議選もあったし、沖縄県知事選によっては普天間移設は無理になるかもしれない」と言っているが主要メディアは完全無視

(Peace Philosophy Centre Friday, September 17, 2010)


たまには日本語で思い切り文句を言いたい。9月15日にリチャード・アーミテージが日本記者クラブで講演をしたということがメディアに大きく取り上げられたが、私が確認できた限りでの主要メディアと沖縄二紙が報道していることが全く違うので戸惑った。本当に同じ講演のことを言っているのかと疑うほどであった。

琉球新報の報道はここにある。抜粋すると、

「県内移設反対を掲げる候補が当選すれば「辺野古移設は不可能になる」との見方を示した。また、同氏は普天間飛行場移設問題の解決策として、当初の全面移設にはこだわらず部分移設など、次善の策を考えるべきだと提言した。
 アーミテージ氏は、普天間飛行場移設問題に深くかかわってきており、全面移設見直しを提言した同氏の発言が今後、普天間問題の打開策を探る日米両政府に影響を与える可能性もある。
アーミテージ氏は「当事者の意志と善意さえあれば、もともとの目標である普天間の全面移設には到達しないかもしれないが、日米同盟を維持する解決策があるはずだ。他の米軍再編問題はうまくいっているので、(普天間問題についても)次善の策を話し合わないといけない」と述べ、解決策の再検討を促した。」
沖縄タイムスのこの記事でも同じように報道している。しかし主要メディアでは尖閣諸島事件についてアーミテージが「中国が日本を試している」と言ったということばかり報道していた。


そこでアーミテージ講演の全文が記載されているサイトを探した。しかし記載されていた形跡があるようなサイトに行っても全部なくなっていた。現役の国防省は国務省の高官ならそれらの省庁のウェブサイトに行けば大体原文を入手できるのだがなんせこの人は「元国務副長官」というだけの肩書きなので、そういう正式な文書も残らないし、そもそも日本のメディアがこぞってよいしょして、かつぎあげて報道合戦するような対象ではないのである。しかしこの人の、アメリカ軍事業界の利権との深いつながりがきっと日本の「軍産・官僚・メディア複合体制」ともがっちりタックルを組んでいるのでこの人が来るとやはりメディアは国賓扱いなのだ。やっとこの講演を主催した日本記者クラブのサイトで見つけた。最初からそこに行くべきだった。しかしここでも全文のテキストはなく、YouTube ビデオだけだった。質疑応答も含めて一時間もゆっくり聞いている暇はとてもないので飛ばし飛ばし聞いて普天間問題に触れているところを探したら、あったあった。琉球新報や沖縄タイムスが報道しているようなことをやはりしっかり語っている。下にリンクを示しているので56分あたりのところから聞いて欲しい。

私は沖縄をなるべく英語で伝えたいと思っているので大体まず英文の報道に目を通すのだが、やはり英字紙のジャパン・タイムズをはじめ、共同も、尖閣諸島沖で中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突した事件について「中国は日本を試している」と述べたことばかり強調している。

肝心の普天間問題について、アーミテージが沖縄県内「移設」は無理かもしれないという可能性について触れたことを一切報道していない。共同に至っては、「アーミテージが仙石官房長官と会談したときには難題の普天間移設問題には触れなかった」と言っておきながら、この記者クラブ講演のときにしっかり触れたことをかすってさえいない。


朝日も、毎日も、時事も、日経も、産経も、全部横並びである。読売では英語報道で

「講演自体では触れなかったが質疑応答では『日米関係にはもっと大事な問題がたくさんあるのに普天間問題がスピードバンプ(順調に進んでいたのにストップさせられるような)になった』という報道をしている。この「スピードバンプ」発言の直前に、「沖縄県内移設は無理かもしれない」ということを言っているのに敢えて無視しているところに意図的なものが感じられる。

新聞に批判精神というものはなくなったのか。北朝鮮の「脅威」を理由にした海兵隊の「抑止論」も、沖縄に基地を置く「地政学的」理由も説得力がなくなってきていたところに起きた尖閣諸島沖の事件は、「やっぱり中国は脅威なんだ」ということで沖縄の基地増強を正当化する格好の理由ということになり、政府も官僚もメディアもよってたかってこの事件を利用している。開いた口がふさがらない。


しかし本当は、今政権にいないアーミテージが「普天間移設は無理かもしれない」と言ったところでだから何なんだと思うのが当然なのである。そういう人に過度に影響力があるかのように演出し、政府や官僚に都合のいい発言だけを取り上げて大げさに報道するメディアは、それをそのまま信じる人たちがいかに多いかを考えると本当に罪深い。特に外国語によるインタビューや記者会見は、報道を受け取る側が原文にまで行って確認するようなことはほとんどないので発信側が情報操作を自由自在に行えてしまうので危険度は倍増する。

私は日本の戦争は知らない世代だが、最近、戦争時代を知っている人たちから、「最近の日本のメディアが政府・企業にべったり寄り添った報道をするようになって、戦前戦中のそれに酷似してきた」という声を頻繁に聞くようになっている。メディアの戦後というのは、政府に協力し戦争を助長した責任への反省の65年ではなかったのか。当時は治安維持法もあり、言論の自由もなかったが、現代においてメディアが政府・官僚・企業の御用機関になり下がっているのは言い訳の仕様がない。