強制起訴でも小沢氏の巻き返しはあるか


花岡信昭の「我々の国家はどこに向かっているのか」
(BPnet 2010年10月5日) http://bit.ly/9NqLcD

 

予想されていたとはいえ、実際に「強制起訴」の方向が打ち出されると、やはり最大級のサプライズになった。

 小沢一郎氏の政治生命はついにここで消えるのだろうか。大方のメディアには「小沢嫌い」が多いようで、ここぞとばかりに大量報道で責め立てている。

 ここはちょっと冷静になって事態を見詰め直すほうがいい。政治家が初めて強制起訴されるという事態である。これによって日本政治はどうなるのか、あらゆる可能性を踏まえて推移を見極めたい。


■菅総理は組閣前に知っていたのではないか

 驚いたのは、東京第5検察審査会の議決が9月14日に出ていたことだ。それが10月4日の発表まで20日もかかったのは、どういうことか。当局者はそこを十分に説明する必要がある。議決の文章作成に手間がかかったなどということでは、どうにも釈然としない。

 9月14日というのは民主党代表選が行われた日だ。報道によれば、検察審査会の関係者は代表選の結果が出る前に議決されたとしているようだ。一方で、終日、協議が行われたという説もあるようで、本当に審査会の決定に代表選結果が反映されなかったのかどうか、そこをはっきりさせるべきだ。

 検察審査会というのは地方裁判所に属している。審査員11人の名前は分からないし、議決内容を知り得る立場の人も限定されるだろう。

 だが、議決内容が検察当局に知らされていたとすれば、検察は行政機関だから、法務省を通じて政府中枢に伝えられていた可能性は否定できない。

 そう考えると、菅首相が再選後の内閣改造で、小沢氏系の閣僚を追い出し、完全な「脱小沢」シフトに踏み切った背景も見えてくる。


■合点がいく「脱小沢」貫徹路線

 代表選では、菅首相が「大勝」したことになっているが、総ポイントで大差をつけたものの、国会議員投票では拮抗したのだ。小沢氏200人、菅首相206人というきわどさだった。

 「脱小沢」改造内閣の布陣を見て、なんでこんな大胆なことができるのかと不思議に思ったものだ。

 党内を二分する戦いを演じて、「小沢系200人」の巨大な反主流派が誕生したのである。挙党態勢を築くというからには、小沢氏サイドにもそれなりの配慮をして初めて「ノーサイド」になる。

 あえて具体的にいえば、原口一博氏を残し、細野豪志氏を入閣させるといった手を打てたはずだ。それだけで小沢氏系への配慮が印象づけられる。

 かつての自民党政治を見てきた感覚からすると、人事での妥協が党内結束には欠かせない。それを、「脱小沢」貫徹路線をとったのだから、菅首相もずいぶん思い切ったことをやったものだと感じてきた。

 検察審査会の議決内容を承知していたのだとすれば、そうした疑念は一掃される。菅首相は、小沢氏が強制起訴によって、その政治行動を完璧に制約されると踏んだのではないか。

 だからこそ、あれだけの大胆な、あるいは無謀とも見えるほどの新体制を構築できたのではないか。


■不明朗な司法・検察の独立と政治サイドの思惑

 そんな疑惑が浮上するのは、このところ、司法・検察の独立と政治サイドの思惑がなんとも複雑に絡み合い、理解に苦しむことが多いためだ。

 海保巡視船に体当たりして逮捕された中国船の船長は、拘留期限を延長したにもかかわらず、期限前に処分保留で釈放された。それも日中関係に配慮してという那覇地検の「出すぎた判断」に政権側がすべてを託すかたちとなった。

 裏側で政権の意思が働いていたと見るほうが、むしろ自然だ。仙谷由人官房長官は「地検の判断を了とした」などとしれっと述べたが、安保・防衛にかかわる最高の政治判断を地方の検察庁に委ねてしまっていいとは思えない。

 裁判闘争で潔白を証明するとしている小沢氏だが、裁判の行方がどうなるかはまことに微妙だ。おそらくは最高裁までいくだろうから、確定までに数年はかかるだろう。

 改めて振り返っておかなくてはならないが、当初、検察当局は、東北地方の大型公共事業を小沢氏が差配していたという「ゼネコン疑惑」の大きな構図を描いた。

 だからゼネコン各社の家宅捜索も行ったのだが、「天の声」は立証できなかった。そこで、小沢氏の資金管理団体「陸山会」の4億円土地購入をめぐる政治資金規正法違反事件に焦点が絞られていった。


■ハードルが高い小沢氏の立証

 小沢氏が問われたのは、逮捕・起訴された元秘書らとの「共犯関係」である。不明朗な収支報告書の記載は小沢氏の指示によって行われたというわけだ。

 通常の庶民感覚からすれば、巨額の土地購入の会計処理をめぐり、小沢氏の意思が働いていないはずはないと思うのが普通だ。だが、検察は小沢氏の「共謀」を立証できなかった。

 検察審査会の議決では、小沢氏が関与を否定したことに対し、「極めて不合理」「到底信用できない」などとしている。そう思うのは勝手だが、検察当局は公判に耐えうるだけの立証ができなかったのである。

 いってしまえば、検察の敗北ということになる。それを「市民参加」の感覚で覆そうというわけだから、これは厄介な展開となるのは間違いない。

 日本の検察当局は99%の勝訴実績を持つ。これまでの検察主導型の裁判を転換させようということになるわけだ。

 公判は裁判所が指定する弁護士が検事役になって進行する。検察は資料を全部提供しなくてはならない。検察が立証できなかったものを、庶民感覚でひっくり返そうとする場合、恣意(しい)的な要素が入り込まないか。

 そういってはなんだが、検察審査会の判断基準よりもはるかに周到な厳密さが要求されるのが裁判の場だ。政治的・道義的にはなかなか認めがたい一件だが、「けしからん罪」というのはないのである。


■菅総理は小沢氏に離党を迫るのか

 さあ、菅首相は党代表としても重大な決断が迫られることになった。小沢氏に離党勧告を行うような展開になるのかどうか。

 菅首相にとって最善のシナリオは、小沢氏が自ら単独で離党あるいは議員辞職してくれるという展開だろう。

 これなら、菅政権の支持率はまた回復するかもしれない。だが、菅首相は「小沢系200人」の壁をどう突き抜けることができるか。

 もっとも、仮に小沢氏が離党して新党結成といった対抗策に出た場合、「ついていくのは50人いるかどうか」という観測もある。

 ただでさえ参院で過半数に達していない菅政権だ。たとえ10人でも20人でも小沢氏が引き連れて離党するという事態は回避したいはずだ。もっともそこは数合わせの世界に入り込むわけだから、小沢氏が離れれば民主党と手を組みやすいと思う政治勢力が出てくるかもしれない。

 いずれにしろ、複雑な神経戦となるのは必至だ。小沢氏の「扱い」に手間取っている印象が強まると、菅政権の支持率ダウンにもつながる。


■よくも悪くも「小沢政局」は続く

 となれば、小沢氏は公判開始前に動き始めるかもしれない。先の代表選を「最後のご奉公」として政治生活の総決算と位置付けた小沢氏だが、最終戦争の次になお「再最終戦争」があるのかどうか。そこは小沢氏の気力いかんだ。

 主要メディアはこぞって小沢氏の離党や議員辞職を求め、「小沢政治からの決別」を主張する。

 それはそれで結構なのだが、代表選挙で小沢氏にほぼ半数の200人が票を投じたことの意味合いを分析できないままだ。あの時点でも小沢氏の強制起訴は十分に予想されていたのである。

 55年体制崩壊、細川8党派連立政権、小選挙区制導入、さらに、民主党への本格的政権交代まで、ここ20年ほどの日本政治を振り返ると、小沢氏の存在を抜きにしては語れない。

 その「政局至上主義」に批判も強いのだが、現実の政治を動かす強じんなパワーを持っているという点で、いまの政界に小沢氏を超える実力者がいるのかというと、なんともおぼつかないのが現状だ。

 政治資金をめぐる幾多の疑惑が突き付けられているのも事実だが、力があるところにヒトもカネも集まるというのが政治の現実の真実でもある。

 政治は人間が営む権力闘争の場だから、「好き嫌い」といった情緒的次元で切り刻んでいっても、あまり生産的ではない。観念論の応酬で終わってしまう。

 「小沢一郎問題」は、破綻の危機に瀕している日本政治を良くも悪くも象徴しているように思える。