小沢事件も腐敗検察のデッチ上げなのに…こんな「人民裁判」は許されるのか
(日刊ゲンダイ 2010/10/6)

なぜ大阪地検特捜部の民主党つぶしの犯罪が明らかになる前に法律の素人集団11人の検察審査会とやらの怪しい意見で個人が裁かれなければならないのか

─逮捕された前田検事が作り上げた小沢一郎の大久保秘書の調書をもとに強制起訴を議決した素人集団の恐るべき真相

─「裁判員裁判」も「検察審査会」も、案の定、とんでもない方向に走り出している危険なこの国
いったい、いつから日本は「法治国家」をやめて「人治国家」になったのか。小沢一郎を「起訴相当」とした検察審査会の議決にはア然、ボー然だ。具体的証拠や供述はゼロなのに、「怪しいから、とりあえず裁判にかけろ」なんてムチャクチャすぎる。

そもそも、小沢の「政治とカネ」の問題は、検察がつくり上げたデッチ上げの「虚構」だ。苦し紛れに政治資金規正法違反の微罪でしか問えなかったオソマツさを、クジで選ばれた11人の検察審メンバーはなにも分かっちゃいない。
小沢の「政治とカネ」は、昨年3月、公設秘書の大久保隆規がいきなり逮捕された「西松事件」が発端だった。小沢が代表として民主党をまとめ、政権交代が目前といわれた頃のことだ。それで小沢を狙った。
「検察が民主党政権の誕生を嫌がっていたのは間違いない。政権公約に『取り調べの可視化』を掲げた民主党は脅威だった。どんな手を使ってでも民主党政権を阻止したかったのは確かです。検察が狙いをつけたのが、別の事件で調べていた西松建設から小沢事務所への献金だった。
西松建設から同じように献金を受けていた国会議員は、自民党を中心に14人もいたのに、小沢さんだけをターゲットにし、大久保秘書を捕まえたのです。もし、あの時、麻生内閣が解散に踏み切っていたら、民主党は選挙で大勝できず、政権交代は実現していなかったと思います」(政治評論家・本澤二郎氏)


─信用できない「検察調書」をうのみにするデタラメ

◆検察のストーリーはすべて崩れた

しかし、どんなに「西松事件」でムリな捜査を重ねても小沢本人の立件にはつながらない。そこでメンツ丸潰れの検察が、意地になって目をつけたのが「水谷建設」からのウラ献金疑惑だった。水谷建設から1億円の裏ガネが流れているという「ガセ情報」に飛びついた。

「検察は、小沢さんさえ抹殺してしまえば、民主党は怖くないと考えたのでしょう。今度こそ小沢を潰すと、血道を上げたのが『水谷建設』疑惑だった。裏ガネを立件しようと100人の検事を投入して徹底的に調べた。元秘書だった石川知裕議員を政治資金規正法違反で強引に逮捕したのも、逮捕して厳しく取り調べれば、裏ガネを認めると踏んだからです」(本澤二郎氏=前出)

だが、「虚構」だからなにも出ない。行き詰まった検察が、それでも小沢を逮捕しようと最後に望みを託したのが、政治資金規正法違反の「共犯」。最初に狙った「贈収賄」と比べて、あまりにチンケな容疑だが、結局、これも証拠がなく共犯でも小沢本人を起訴できなかったのである。

これが、1年以上つづいた「小沢VS.検察」の暗闘の真相だ。検察の完敗だった。
だいたい、石川議員の逮捕容疑だって「04年の収支報告書に記載すべきなのに、05年に記載した」という悪質性の低いものだ。それくらいで政権政党の大幹事長を共犯で逮捕するのは、土台ムリな話だったのである。
西松事件で逮捕された大久保秘書も「無罪」の可能性が高まっている。小沢サイドに献金した2つの政治団体が「西松建設」のダミーだったかどうかが最大の争点だが、「検察側」の証人として出廷した西松建設の取締役総務部長が「ダミーとは思っていない」ときっぱり証言したのだ。検察の描いたストーリーはここでも崩れ去っている。

小沢の「政治とカネ」は、最初から腐敗検察のデッチ上げだったと言うしかない。
ところが検察審査会は、東京地検が組織を挙げても起訴できなかった小沢一郎を、1カ月足らずのお手軽審議で「起訴相当」としたのだから、信じられない。
しかも、信用できない「検事調書」をうのみにしているのだから、どうかしている。なにしろ小沢事件は、証拠データを改ざんして逮捕された、大阪地検のあの前田検事が担当していた。調書を信用できるはずがない。


当然、大久保秘書も石川議員も、公判では検察調書を全面否認する方針だ。おかしいのは、検察審が半月程度のスピード審議で早々と9月14日に結論を出したことだ。大阪地検の証拠データ捏造が発覚し、検察調書が信用できないことが決定的になった9月21日以降だったら、さすがに素人の検察審も「起訴相当」の議決は出しづらかったはずだ。もともと「村木事件」は、民主党政権を潰すために、石井一議員を逮捕しようと大阪地検が暴走したのがキッカケだったからなおさらだ。なぜ、検察審は大阪地検の民主党潰しの犯罪が明らかになる前に結論を出したのか。

検察審の補助弁護士をつとめた吉田繁実弁護士は、「小沢一郎を起訴すべきだという方針は、割と早い段階で決まった」と気軽に答えているが、どうにも腑に落ちない。


◆「なんでも裁判にかければいい」という仰天
それにしても許し難いのは、大新聞・テレビだ。検察審査会の結論を「市民感覚は大事だ」などと持ち上げ、検察審と一緒になって「小沢一郎は裁判で白黒つければいい」などと解説しているが、冗談ではない。

簡単に「裁判で決着しろ」と主張しているが、起訴されることが、どれほど不利益を被ることか分かっているのか。
「日本社会では起訴されたら、社会的、経済的、心理的な負担は相当なものです。公務員は休職となり、給料は4割カット、サラリーマンは解雇されるでしょう。政治家は政治生命を失いかねない。だから、起訴は慎重なうえにも慎重に行われるのが当たり前です。裁判はあくまで被告の刑事責任を判断する場であって、真相を解明する場所ではない。なんでも裁判で白黒つけるという発想は間違っていますよ」(政治評論家・山口朝雄氏)
しかも、裁判になっても、小沢一郎は「無罪」となるのがほぼ確実。起訴する意味があるのか。

市民目線だかなんだか知らないが、「人民裁判」のようなこんなバカな制度は即刻やめたほうがいい。国民が参加する「裁判員制度」も、重い刑は極端に重く、軽い刑は軽くなる弊害が指摘されはじめている。

素人が匿名に守られ、どんな間違った判断をしても責任は負わず、しかも重大な決定をするという「検察審査会」は、とんでもない弊害を与えはじめている。