「尖閣問題における政府の検察への介入は妥当。事実を隠すよりも、軸足の定まった政治判断を」


――若狭勝弁護士(元東京地検公安部長)インタビュー
DIAMOND online 2010年10月8日) http://bit.ly/bimoLH

沖縄県・尖閣諸島沖で中国漁船が海上保安庁の巡視艇と衝突した事件で、那覇地検は勾留期間を5日も残したまま、漁船の船長を処分保留のまま突然釈放した。それを機に、独立が重視される検察への「政治介入」が取り沙汰されたが、政府はこれを完全否定。議論は今なお尾を引いている。尖閣問題で露になった政府のドタバタぶりは、日本の外交政策に大きな不安を残した。かつて東京地検で特捜部副部長や公安部長を務めた若狭勝弁護士は、法の精神に照らしても「政治介入は妥当」と主張し、軸足の定まった政治判断の必要性を説く。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン 小尾拓也)


 巷間言われているとおり、政府が自らの政治的判断を地検に伝え、地検がそれによって釈放を決めたことは、まず間違いないだろう。

 9月19日、地検は船長の勾留期間を10日間延長すると発表した。それから数日の間に、水面下で色々な動きがあったと考えられる。検察が延長請求したときは、よもやそれから5日後に釈放するという事態は想定していなかっただろう。

 フジタ社員の拘束問題を含め、中国が予想よりも強い圧力をかけてきたこと、これ以上日本にことを荒立てて欲しくない米国が「尖閣は安保の対象」と表明したため、日本の面子が保たれたことなどから、官邸サイドで一気に収束に向けた働きかけが強まったと推測される。

しかし政府は、これだけ高度な政治判断が関わる問題について、自らの関与を否定し、「検察独自の見解」と言い張っている。これは非常に残念なことだと思う。

 内閣としてどんな判断をしようとしていたかが、全く見えてこない。これでは、日本は「軸足のない国」と思われ、諸外国ばかりか国民の信用も失いかねない。その意味で、尖閣問題は大きな禍根を残した。

――政府からの介入が本当にあったとすれば、それを裏付ける理由は?

 長らく検察に身を置いた経験からすれば、今回の判断が検察独自のものだった可能性は、99%ないと言える。それは、通常の刑事手続きの流れを考えれば明白だ。

 通常、延長日数は「あと何日あれば起訴などの判断ができるか」という観点から延長期間が決定され、その妥当性を裁判官に説明して許可をもらうことになる。つまり、捜査の進捗状況によって、延長期間は10日である必要はなく、3日でも5日でも構わない。

 今回のケースでは、「10日間ないと起訴等の判断ができない」と考えられたからこそ、29日までの延長が決まったはずだ。にもかかわらず検察は、勾留期間を5日も残したまま、船長を突然釈放してしまった。これでは検察自身の「自己矛盾」になってしまう。

 場合によっては、「検察が裁判官に嘘の説明をした」と捉えられることにもなりかねず、検察と裁判所との信頼問題にも発展する。

 一般の刑事事件において、被害者からの要望があったり、人違いが発覚した場合などは、途中で被疑者を釈放することもあり得る。しかし、今回のケースでは被疑者に関わる状況は初めから何も変わっていない。

 このように考えると、今回のケースは極めて不自然で、検察独自の判断だと言い切るのは無理がある。やはり政治介入があったと考えるほうが、妥当だろう。

――ではなぜ、菅首相も仙谷官房長官も「介入していない」と言い張るのだろうか?

 私は、政府が検察の捜査に介入することは、法の精神に照らしても不適切なことではないと思う。

 案外知られていないが、刑事訴訟法には、国の重大な利害が関わる場合は、「内閣の政治判断が司法や検察の判断に優先される」という精神が盛り込まれている。たとえば、証拠物の押収について規定した第104条では、閣僚や閣僚であった者が所持している証拠物については、内閣の同意がなければ押収できないとされている。

 内閣は、国の重大な利害に関係する場合以外はその承諾を拒否できないが、逆に外交などの利害に関係する場合は、拒否できる。また検察庁法第14条では、法相による検事総長への指揮権発動が認められている。

 つまり、内閣と官邸が責任を持って高度な政治的判断を行ない、検察にその意向を伝え、それを受けて検察が最終的判断をしたという流れであれば、何の矛盾もなく論理的な説明ができたはずだ。

 しかし政府は、検察の捜査に介入したことがわかると、国民から批判される可能性が高いと見て、警戒したのだろう。政治家や国民は、とりわけ「指揮権発動」という言葉にある意味強いアレルギーを持っている。

 そのため、ひたすら「政治的圧力は加えていない」と繰り返し、国内にも諸外国にもちぐはぐな印象を与えてしまったのではないか。船長を逮捕したときに国交相の判断が加わったのに、釈放するときに政府が知らん顔では、辻褄が合わない。

 また、そもそも民主党政権は「政治主導」を掲げている。介入してしかるべき重大な外交事件の判断を検察という官僚に委ねたとすれば、本末転倒と言える。

――とはいえ、検察は行政に対して強い独立性を認められている。今回の事件では、検察側も「政治的判断を口にするのはおかしい」と批判された。検察にとっての教訓は何か?

 実際のところ、検察も困惑している面があろう。政府に「釈放は検察独自の判断だ」と声高に言われても、「そんなことは検察の判断でできるわけがない」とその言葉を直ちに否定することもできないからである。

 三権分立によって行政から独立してる裁判所と一緒に仕事をする検察は、「準司法機関」と位置づけられている。その意味では、確かに検察の独立性は重要だ。たとえば、汚職をした議員を取り調べようとする検察に内閣や政党から圧力がかかることなど、あってはならない。

 しかし、尖閣問題は国際的な重大事件だ。それについて、政府が検察に意見することは、政治介入とは異質なものだと思う。むしろ、検察独自の判断に任せることのほうが、問題ではないだろうか。

 尖閣問題でも、一般的な国内問題と国の利害に関わる国際問題とが、一緒くたに論じられているきらいがある。これらは、きちんと分けて議論しなければならない。

――そもそも中国の漁船を勾留した日本の判断に、問題はなかっただろうか?

 その判断のベースには、「尖閣は日本の領土」という前提があった。ただし、漁船が巡視艇にぶつかったことによって、直ちに逮捕できるかと言えば、実はそうではない。

 逮捕の罪名は「公務執行妨害」だが、それが適用されるためには、巡視艇に乗っている海上保安庁の保安官が、衝突の衝撃によって相当なショックを身体に被ったか否かが条件になる。刑法第95条によれば、公務執行妨害とは公務員に対して暴行を加えた場合を指す。

それを当てはめれば、漁船の衝突によって、巡視艇の乗組員が体に受けた衝撃が、「暴行を加えられたのと同程度のレベルだった」ということを証明する必要があった。今回についても、衝突時のビデオを分析した結果、衝撃のすごさが明らかになれば、その判断は正しかったと言えるだろう。

――領土問題が関わる尖閣諸島は、今後も日中間の火種になり続けるだろう。外交問題に対処する基本的なポリシーさえ確立していない日本は、中国リスクにどうやって対応していけばよいのか。

 尖閣問題は、そもそも議論の土俵自体ができていない。まずは政府が明確な政治判断を持ち、土俵を設定することによって、初めて議論を俎上に載せることができる。

 その判断の是非については、先々の総選挙で国民に信が問われることになるかもしれないが、少なくとも広く議論をすることは民主的な方法だ。今のままでは、重要な議論がすり替えられ、問題が先送りにされるばかりだ。

 私が公安部長をやっていた時代にも、シーシェパード問題が起きたが、法務・検察サイドでは予め念入りに関係機関との間で警告や逮捕の条件を考えていた。尖閣問題についても、官邸、国交省、法務省、海上保安庁などが協力して対応策を練るべきだ。

 その際、まとめた対応策を国会や国民に公表し、それを皆で議論したほうが生産的だろう。政府内で非公開のまま議論が進められると、また論点がズレてしまう可能性がある。

 よく「自民党政権だったら、事態はここまで悪化しなかったのでは」という意見も聞かれるが、領土問題に関する中国側の対応を踏まえれば、どの政権でも今回の処理についてはそう簡単ではなかったと思う。

 大切なのは、尖閣問題の議論を政争の具にすることなく、民主党、自民党といった与野党の垣根を越えた協議会を作り、横断的に知恵を出し合うことだ。

 尖閣問題は、政治ばかりでなく、経済にも少なからず影響を与えている。現在のように「軸足」が定まらない状況が続けば、アジアにおける日本の地位は相対的に低下していきかねない。


わかさ・まさる/1956年生まれ。26年間に渡り、検事の幅広い職務に従事。83年検事任官。福島地検、横浜地検、東京法務局などを経て、2004年に東京地検特捜部副部長、07年に東京地検公安部長に就任。09年3月に退官し、弁護士登録。現役時代に数々の刑事事件を手がけた経験や知識を基に、コメンテーターとしても活躍。――沖縄県・尖閣諸島沖で中国漁船が海上保安庁の巡視艇と衝突した事件で、那覇地検は、勾留期間を5日も残したまま、漁船の船長を処分保留のまま突然釈放した。地検が記者会見で「国民への影響や日中関係を考慮した」と異例の発表をしたため、「官邸から政治介入があったのでは」という見方が強まり、物議を醸している。今回の事件について、どう考えるか?