「空き菅」政権の支離滅裂で浮上する小沢一郎の「離党・新党結成」カード

「影の首相」仙谷官房長官も責任を放棄


長谷川幸洋(東京新聞・中日新聞論説副主幹)
(現代ビジネス 2010年10月15日) http://p.tl/T2-v


菅直人政権の支離滅裂ぶりは収まるどころか、臨時国会が始まって、ますますひどくなる一方だ。

 中国漁船の船長釈放問題で、柳田稔法相は山本一太参院議員の質問に答える中で「私が釈放を決める前に・・・」と口にした。すぐ否定したが、思わず真相を漏らしてしまった形である。

 いくら仙谷由人官房長官が否定したところで、船長釈放が菅政権の政治判断に基づく決定であるのは疑う余地がない。事実上の政治釈放と考えると、今回の「私が釈放を決めた」という柳田発言と一連の展開はつじつまが合ってくる。


 それは、こういうことだ。


 フジタ社員の拘束やレアアース輸出制限など中国の強硬姿勢に窮した仙谷は釈放方針を決断した。それで柳田は検察に「政府の方針は釈放だ」と伝えた。

 ところが、検察は起訴に持ち込む方針の下で勾留延長を決めている。いまさら特段の理由もなく方針を変えられない。だからといって、あくまで釈放を拒否すれば、政権は指揮権を発動する構えでいる。それでは検察は困る。はっきりした政治介入の前例をつくってしまうからだ。

 そこで両者の妥協案として「指揮権は発動しないが、検察は『日中関係を考慮した』との理由で釈放する」というシナリオが採用されたのではないか。


 検察は大阪地検特捜部の不祥事で政権に対して弱みがあった。検事総長のクビどころか、民間出身の検事総長が誕生してもおかしくない事態である。それも考えれば、政権の釈放方針には結局のところ、逆らえない。

 といって、指揮権発動も避けたい。結局、日中関係を釈放理由に挙げる以外に選択肢がなかったのだ。

 1954年の造船疑獄で佐藤栄作自由党幹事長の逮捕中止を決めた指揮権発動は、ときの吉田茂政権によるゴリ押しの政治介入と一般に信じられてきた。それで、指揮権発動はすっかり評判が悪くなった。

 ところが実は、造船疑獄での指揮権発動は捜査に行き詰まった検察が名誉ある撤退をするために、検察が首相にもちかけた策略だったという真相がここ数年、いくつかの書籍や論文であきらかになっている(たとえば、私が書評を書いた本はこちら)。


 その前例にしたがえば、今回の事件処理も検察の側からの提案だった可能性がある。

 検察は政治介入を避けて自分たちの聖域を守るために、あえて「日中関係」に触れざるをえなかった。もともと弱みを抱えた検察とすれば、それで政権に貸しをつくった形になれば、多少の批判を浴びても「それでよし」。そう考えるのが、もっとも合理的と思われる。

 仙谷や柳田が検察の提案に乗ったとすれば、柳田が「指揮権は発動していない」と語ったのはその通りであり、一方で実は「私が決めた」と誇らしい(?)気分になるのも、また当然なのである。

 そもそも、柳田が最初の会見でいきなり「指揮権は発動していない」などと力みかえって喋ったあたりに、なんとも言えない「わざとらしさ」があった。とにかく否定しておきたい気持ちが先に立ってしまったのだろう。

 菅政権の支離滅裂といえば、予算編成での政策コンテストを結局、民間人抜きで実施するのもそうだ。

 当初の勢いはどこへやら。「民間人が予算を決めるのはおかしい」と批判を浴びると、さっさと方針転換し、仙谷はじめ野田佳彦財務相、玄葉光一郎国家戦略相ら関係閣僚と党政調幹部の評価会議に衣替えしてしまった。

 だが、これも「船頭多くして船山に登る」になりかねない。物事を最終決定する人間が仙谷を除けば、いないからだ(その仙谷も船長釈放にみられるように、肝心の政治責任は回避している)。


 鳩山由紀夫政権下で最強のプレーヤーだった小沢一郎元幹事長は、検察審議会の2度目の議決で強制起訴が決まった。小沢の求心力と影響力が落ちるのは避けられない。すると、菅政権は小沢抜きで政権を前に進められるだろうか。

 昨年の予算編成で、ガソリン税暫定税率廃止の先送りを決めたのは小沢だった。政権がデッドロックにぶつかったとき打開する方向を打ち出したのは、良かれ悪しかれ小沢だったのだ。

 小沢抜きの政権運営が菅や仙谷の望むところだったとしても、ツートップ自身に突破力と政治責任を引き受ける覚悟がなければ、いずれ行き詰まるのは必至である。

 小沢はどうするだろうか。

 自由になる党のカネも公認権もない一議員になったうえ強制起訴となれば、小沢が政権に影響力を及ぼすために残された道は、おそらく一つしかない。

 国会の採決でキャスティングボートを握る。つまり、民主党離党と新党結成である。民主党にとどまっていれば、賛成するしかなくなってしまう。

 もしも、公明党が菅政権にすりよって事実上の民公連立に近づいていくなら「小沢新党」の価値はますます高まる。民公が歩調をそろえたとしても、小沢の反乱具合によっては、再び参院の過半数割れすら展望できるかもしれないからだ。


■いまだくすぶる小沢一郎と公明党の「連携」


 つまり公明党が政権に近づけば近づくほど、小沢の反乱が価値を高める方向で政治力学が働くのである。この力学が作用すると、今度は逆に公明党が小沢に近づく力学も生まれてくる。

 公明党にすれば、自分たちがキャスティングボートを握り続けることが生き残りの最優先戦略になっている。自分たちの存在意義を低めるような勢力とは(水面下であっても)手を握っておくのも、一つの選択肢になってくるのだ。


 以上のような展開を視野に入れれば、民主党執行部としては小沢に強く出られない。小沢を党から追い出す方向で動けば動くほど、政権基盤が不安定になってしまうのだ。

 小沢自身はといえば、いまのところ離党も議員辞職も否定している。

 だが、そんな表面上の言葉を真に受ける必要はない。菅政権の支離滅裂が続けば続くほど、追い詰められた小沢にチャンスが出てくる。深層海流が複雑に流れている。

 (文中敬称略)