労働者の地獄への道は官僚の善意で舗装されている規制強化で派遣・契約社員は失業へまっしぐら


池田 信夫 日本経済の幻想と真実
(JBPress 2010.10.21) http://bit.ly/aXvb3q  

菅直人首相は国会答弁で、労働者派遣法の改正案を今国会で成立させる方針を明らかにした。参議院では与党が少数だが、この法案については社民党と共産党が賛成すれば成立の可能性がある。

 今回の法案では登録型派遣、製造業派遣、日雇派遣が原則的に禁止される。対象となる労働者は現在約90万人いる派遣労働者の半分以上に上る。


■派遣労働を規制強化しても正社員は増えない

 すでに昨年、政府の規制強化の影響で派遣労働者は24%減り、撤退する派遣会社が相次いでいるが、今回の改正で労働者派遣業というビジネスが成り立たなくなる恐れも強い。

 この規制によって派遣労働者は、正社員になれるのだろうか。朝日新聞社のアンケートによれば、対象となった100社のうち、派遣が禁止された場合に「正社員を雇う」と答えた企業は14社で、大部分の企業はアルバイトや請負に切り替えると回答した。したがって8割以上の派遣社員は職を失って、もっと不安定な身分になる恐れが強い。

 細川律夫厚生労働相は「これは派遣労働者を保護する法案だ」と答弁したが、当の派遣労働者はどう考えているのだろうか。

 東大の社会科学研究所の派遣労働者へのアンケート調査では、「派遣法の改正で失業の可能性があるか?」という質問に対して、53.1%が「かなりある」と答え、「ある程度ある」の26%を加えると、約8割が失業の不安を感じている。

 派遣が禁止されたら、コストのかかる正社員にするよりも請負やアルバイトに切り替えるのは当然だ。民主党は、なぜ当の派遣労働者の8割が望んでいない規制強化をするのだろうか。


■契約社員を規制したら短期のアルバイトになる

 他方、厚労省は、先月発表した「有期労働契約研究会」の報告書で、すべての契約社員の雇用を、季節的、一時的な業務に限定する入口規制とともに、有期雇用契約の更新を禁止して、3年間雇用した労働者は正社員としての雇用を強制する出口規制を行う方向を打ち出した。この対象となる契約社員は1600万人と推定され、派遣社員よりはるかに社会的影響が大きい。

 厚労省の研究会の鎌田耕一座長(東洋大教授)は、朝日新聞のインタビューに「OECD(経済協力開発機構)は日本には労働市場の二重性があると指摘している」と答えている。

 これを聞くとOECDは契約社員の規制強化を求めているように見えるが、逆である。

 OECDの対日経済審査報告書では、「雇用の柔軟性を目的として企業が非正規労働者を雇用するインセンティブを削減するため、正社員の雇用保護を縮小せよ」と書いている(強調は引用者)。鎌田氏とは逆に、OECDは正社員の雇用規制を緩和せよと勧告したのである。

 ところが鎌田氏のような労働法学者は「かわいそうな非正規労働者をなくすためには、そういう雇用形態を禁止すべきだ」と考えるらしい。

 これは短期的には正しい。法律で禁止すれば、契約社員はいなくなるだろう。しかし、彼らが正社員として再雇用されるわけではない。その大部分は請負やアルバイトになり、生活はさらに不安定になるだろう。


■「インセンティブ」という言葉を知らない法律家

 契約社員の問題について日本弁護士連合会は、「有期労働契約研究会中間取りまとめに対する意見書」で、前述の入口規制と出口規制に加えて、「雇止め制限法理(解雇権濫用法理の類推適用)の立法化、権利性・実効性のある正社員転換制度を早期に実現すべきである」と主張している。

 「雇止め制限法理」とは、契約が終了した時に更新しない「雇い止め」を不当解雇として禁じる判例である。これが立法化されると、企業は3年の契約満了で雇い止めするのではなく、共産党が国会で問題にしたダイキンのように2年6カ月で契約を打ち切り、別の契約社員を雇うだろう。

これはダイキンだけではなく、NHKや朝日新聞社などマスコミでも日常的に行われている。日弁連の言うように雇い止めを違法化すると、パート、アルバイトの契約はますます細切れになり、不安定になるだろう。

 以上のような結果は、常識で考えれば分かることであり、現実にも規制強化で派遣労働者が減っているのを見れば、労働者の利益にならないことは明らかである。

 それにもかかわらず、労働法学者や日弁連がそろってこのような不合理な政策を主張し、法学部出身の官僚が立法化するのはなぜだろうか。

 おそらく法学部では、インセンティブ(動機づけ)という言葉を習わないのだろう。企業は慈善事業ではないのだから、利益が上がらない限り労働者を雇わない。大卒の正社員の生涯賃金は約5億円(社会保険料などを含む)に対して、契約社員は約2億円と言われる。この差額3億円に見合う売り上げ増が見込めない限り、契約社員を正社員にするインセンティブは企業にないのだ。

 もちろん法律家や官僚が、悪意で派遣社員や契約社員の待遇を悪化させようとしているのではないだろう。彼らは気の毒な非正規労働者の処遇を改善するために、善意で法律を改正しようとしているのかもしれない。日本が社会主義国なら、企業にすべての労働者を正社員にすることを強制できるだろう。

 しかし資本主義の社会では、人々は利己的なインセンティブに基づいて行動するので、政府が雇用を強制することはできない。

 規制によって雇用コストが上がると、企業は雇用を減らしたり、海外に移転したりして、結果的には、不安定ながらも職のあった非正規労働者がホームレスになってしまう。地獄への道は、善意で舗装されているのである。