●古川利明の同時代ウォッチング
(2010年 10月 10日) http://bit.ly/bUsW3T


#おっ、今日(10・19)発売の『週アサ』に、西岡研介クンが、今度の「大坪弘道」のカラミで、三井環のオッサンの口封じタイホ劇に関し、例の「2億円の件」(=桑田兼吉保釈工作)で、鶴城丈二(=3代目山健組内侠友会会長)を、白昼、八重洲の路上で射殺して、「懲役20年」を食らって、岐阜のムショに服役中の「亀谷直人」(=元菱系2代目佐藤組内六甲連合組長)から、獄中手記を取っておるやないか! しかし、「渡真利忠光」を、「T」とイニシャルでボカしとるのは、チョット、いただけんが、ま、カンケイ者が見れば、すぐ、分かるからな。

 ま、三井環のオッサンのジケンで、「渡真利の取り調べ」を担当した、この「大坪弘道」が、どういうことをヤッておったかについては、すべて、ワシの『日本の裏金(下) 警察・検察編』(第三書館、1600円+税)の「第三章 『調活』という名の法務・検察の裏金」に、実名で書いておる。ワシも、売文業でメシを食っておるんで、ココは、一生懸命、「営業活動」をせなアカンから、ぜひ、関心を持たれた方は、ご購入の上、お読み頂けますよう、よろしくお願い申し上げます! まだ、品切れにはなっておらんので、ネットショップ「アマゾン」からでも、注文できます。ココで「増刷」にでもなれば、少しは、ラクになるんだがなあ(笑)

 しかし、この亀谷の「獄中手記」は、今西憲之でのうて、西岡クンが引っ張って来とるんだな。「次号つづく」ってことは、来週以降、いよいよ、「2億円モンダイのウラ取引のハナシ」になるのかあ。渡真利は、ションベン刑で収監される前の保釈中に、大坪に「桑田兼吉の保釈が、何とかならんかいな」って、ハナシを持ちかけてるんだよな(笑)。そこで、大坪は「オマエが協力してくれるのなら、考えんでもない」と言ったのを、渡真利が膨らませて、「(大坪は)イケると言ってます」と亀谷に報告してしもうたんで、この「2億円の件」が、ピャーッと動き出すんだよな。


 #ほいで、「上」の西岡研介クンの『週アサ』の「亀谷獄中手記」を受けて、在阪のフリーのブンヤの尾塚野形のオッサンから、今朝(10・20)、ワシんとこにメールが入っておったの。尾塚野のオッサンも、「渡真利忠光」に接触を試みておって、今、仕事場にしておる十三からは、目と鼻の先んとこで、渡真利はチンケな不動産屋をヤッておるんだそうだ。ただ、渡真利も、相当、ケーカイしておって、なかなか会わんらしい。そりゃ、そうだろうなあ。まだ、喋らんとは思うが、だんだん、「喋りそうな環境」は整ってきておるよなあ。
 で、尾塚野のオッサンがコンタクトした元極道スジによると、「渡真利は、今度の大坪タイホが、物凄くショックだった」んだそうだ。そりゃ、そうだと思うなあ。ワシも、まさか、サイコー検が、大坪弘道までパクるとは、「想定外」もエエところだったからなあ。アレは、確か、「9・29」だったかなあ、9月末の最終週の前半だったが、「今日にも大坪タイホされる」との情報が流れて、でも、「10・1」まで、タイムラグがあって、ワシ的には「ひょっとしたら、大坪タイホ見送りか」とも思ったんだが、同日に三井環のオッサンがヤッた「検察官適格シンサ会」への懲戒処分請求が、ダメを押したんだと思う。


 #「上」の続きだが、その尾塚野形のオッサンが接触した、「渡真利忠光」と親しい元極道スジによると、大坪弘道は、渡真利の出所も、ぬあんと、「小遣い」を、多少は、渡しておったらしいってんだよな。その「小遣いの出所」は、未確認情報ながら、公証人グループ、つまり、「関西のヤメ検」からとのことだが、ワシは、「さもありなん」だと思う。で、元の出所は「腐れケンサツのURAGANE」、すなわち、「ちょーかつ」やと思う。確かに、三井環のオッサンの顔出し内部告発と前後して、ちょーかつのオモテ枠、すなわち、「ケンサツ官署分」は激減しておるが、ウラ枠、つまり、「公安チョーさ庁」の分は、年間計約20億円が、手付かずで残っておるからな(笑)。だから、「近畿公安チョーさ局→大阪チケン→関西ヤメ検の公証人グループ→大坪弘道→渡真利忠光」っていうふうに、足が付かんよう、ロンダリングをしマクって、渡ってると思うなあ。

 で、西岡研介クンは、来週の『週アサ』で、その「2億円の行方」を書くみたいだな。そのへんも、「亀谷直人」は、「獄中手記」で明かしたんかいなあ。尾塚野のオッサン情報では、「5000萬円は、亀谷が懐に入れ、残る1億5千萬円は、神戸の自称「ケンサツ通」に渡り、「そこから先」、つまり、「ケンサツ」にはカネが渡っておらんらしい、とのことで、今、西岡クンも、その神戸の自称「ケンサツ通」に接触を試みておるが、逃げておるみたいだな。
ま、亀谷が抜いておるのは間違いないんだが、「額」にはバラつきがあって、ワシが聞いておるハナシだと、2000萬円とか、1億円とかあって、ハッキリせんのだよな。まあ、「5000萬円」ぐらいが、妥当な金額だと思うなあ。でも、たぶん、「それ」は、亀谷が獄中入籍した、羽曳野だったか、高石におるとかいう、「ケイコ」っていうオンナが、知っとると思うな。この「ケイコ」も、そろそろ喋り出してもエエんだろうがなあ。んー、こういう取材は、「足場」がKANSAIにねえと、手も足も出んなあ。ったく、これらのジケンは、関西チックなエグさだよなあ(笑)


 #んー、小沢イチローの「国怪証人カンモン」について、「三宅坂を除く野党」が、イッチして要求かあ。イケダモン大先生んとこの「信濃町丸ハムファイターズ」も、「矢野絢也の秋の叙勲内定」がなけりゃ、三宅坂と同様、「政倫シンでも、OK」で折れておったんだろうなあ。重ね重ね、「セー局」ってのは、こういうところで動いてんだよなあ。「野党色」という点では、渡辺ミッチー倅んところが、一番、ハッキリしとるよな。政倫シンも、証人カンモンも、所詮、「茶番」もエエところだからなあ。

 しかし、小沢も、弁護人として「ノリサダ」をクビにして、弘中惇イチローに替えたのは、よかったよなあ。でも、ぬあんで、よりによって、あんな「ノリサダ」なんて、依頼したんだよ?ああいうヤメ検を雇って、いい場合ってのは、「キソ事実を全部、認めて、量刑で配慮してもらう場合のみ」だからなあ。それでも、あの守屋武昌みたいに、「実刑」が付く場合だって、あるんだからな。守屋が、弘中を弁護人にして、「便宜供与はしとらん」って、争い始めたのは、「2審」からなんだよな。でも、守屋も怒るよなあ。あのヤメ検連中は、着手金が、「最低で500萬円」だからなあ。アレも、1審で、「ロンコク求刑」で配慮してもらえば、ハンケツで「執行猶予」が付いてたんだよなあ。ったく、ボッタクリっていうより、ココまで来ると、連中はサギだよなあ。


(2010年 10月 20日) http://bit.ly/aQUios

まだまだ続く、追加カキコミの速射砲は、ドッカーン、ドッピューんっーーーーー!!!!!

 #で、西岡研介クンが、『週アサ』の最新号(10・29付)でスッパ抜いた、「亀谷直人獄中手記」だが、きちんと読んでみた。「下」でも、少し書いたが、今回の「1発目」の記事に関しては、「真新しい事実」は、何もない。唯一、あるとすれば、亀谷の服役先のムショが、「岐阜」から、東京の「府中」に移送されておったというぐらいのものだ。ほいだから、ココで出てくる内容は、既に、ワシが、『日本の裏金(下) 検察・警察編』(第三書館)の中で、全て書いてあるものばかりだ。
 ただ、今回の「亀谷・獄中手記」ってのは、分量が、「B4サイズの罫紙」に、「約200枚」ってんだよなあ。コイツは相当な量だよなあ。西岡クンも、神戸シンブンを退社後、98年にウワシンにとらばーゆして、三井環のオッサンが、口封じタイホされた02年当時というのは、まだ、ウワシンにおったんかいなあ。それとも、既に文春に移籍しておったのかもしれんが、いずれにしても、そのとき、つまり、「8年前」だが、西岡クンも、このジケンの最重要人物である「亀谷」に接触を試みておったってんだよなあ。亀谷は、三井環のオッサンと一緒にタイホされるも、「処分保留」で釈放され、キソ猶予になって、シャバに戻っておったときに、西岡クンは「古くからの知人」を通して、亀谷に手紙を書いておったてんだよなあ。
 しかし、そのときは、コンタクトできずに、「02・11・25」に、亀谷は、八重洲の路上で、当時、3代目山健組の東京責任者だった「鶴城丈二」を、白昼、射殺して、要は「塀の中」に逃げ込んだんだよな。それから、「8年の歳月」を経て、「この8月」に西岡クンのところに、ドサッと、この「獄中手記」が届いたってんだから、いったい、どういう「心境の変化」があったんだろうなあ。

 #だから、最大のポイントは、例の「2億円の件」、つまり、「桑田兼吉保釈工作」だが、亀谷は、この鶴城らから、依頼を受け、「現金2億円」を、神戸から東京まで、新幹線を使って運搬しておる「当事者」だからなあ。山健サイドとしては、「2億円」も亀谷に渡しながら、結局、桑田兼吉の保釈が取れんかったから、亀谷は、鶴城らに「2億円は、どこに消えたんだ?」って明かすよう、迫られておったんだよな。だから、亀谷が、鶴城を射殺した「02・11・25」ってのは、亀谷の依頼を受けて、「桑田の2度目の保釈請求が、却下された日」なんだよな。だから、この「2億円の行方」ってのは、山健組の関係者は勿論だが、当然、三井環のオッサンばかりでなく、在阪のフリーのブンヤの尾塚野形のオッサン、ほいで、ワシも、知りたくて、しょうがなかったんだ(笑)
 んー、亀谷は、この西岡クンへの「獄中手記」ん中で、「2億円の行方」について、「何を、うたってる」んだろうなあ。で、もし、「具体的な、渡し先」をうたうておったとしたら、それは、「本当のこと」なのか。うーむ、「この8月」ってのは、「村木のオバハンのジケンのハンケツ前」だよなあ。でも、「無罪はほぼ間違いない」という状況ではあったよなあ。ココで、亀谷が、敢えて「ガセ」を言う必然性も、ないと思うんだ。であれば、「本当のこと」である可能性は高いと思うんだがなあ。たぶん、コレは、渡真利忠光や、さらには、大坪弘道に対する「サイン」のような気がする。「もう、そろそろ、喋ってもエエやろ!」ってなあ。



●古川利明の同時代ウォッチング
(2009年 10月 10日) http://bit.ly/awJxSB


伊勢湾台風以来の大タイフーン一過で、秋ホンバンを迎え、さらなるカキコミーーーーー!!!!!


 #それで、今日(10・9)の晩、六本木のミッドタウンに近い釜飯屋で、例の「朝堂院大覚」と会うて、メシをタカってきた(笑)。前日、『紙のバクダン』にもいろいろ書いておった「高田欽一」(ペンネーム)と連絡を取ったら、何か、急に、「だったら、朝堂院に会いましょう」ってことになって、都合のつく時間が、夕方以降で、「だったら、メシを食いながら」ってことになったんで、出向いた次第だ。以下、やりとりを、夜回りの復命書方式でupする。マツタケの釜飯は美味だったなあ。

 Q 桑田兼吉保釈工作に絡む2億円の件について、聞きたい。私が掴んでいる情報では、あなたが、NHKの社会部長経験のある司法担当記者を通じ、最高検のある部長をわたりをつけ、そこでカネが流れたというふうに聞いている。当時、大塚清明が、最高検の公判部長でおったんで、いちばん、怪しいと見ているのだが。

 A 桑田兼吉の公判については、山口組の方から頼まれて、控訴審から、「ヨコイ・ダイゾウ」という、検察OBで、最高裁の判事もやっておった人間を弁護団に入れた。鎌倉まで呼んで、一席を設けた。山口組の最高幹部の公判については、司忍、滝澤孝についても、私の口利きで、そのヨコイというのを、弁護団に入れている。それにあたっては、いろんなところから依頼があった。後藤忠政とも会うている。後藤もワシにアタマを下げた。あれは、「共謀共同正犯」という、法律論の問題がある。そのヨコイというのは、私が立ち上げた「法曹政治連盟」の第2代会長。ちなみに、初代は、井本台吉。滝澤については、無罪が出たが、そうでなければ、ヤクザの事件で、無罪など出ない。

 Q 私は、宮崎学から、あなたの名前を聞いて、神田に事務所があるってことで、その連絡先を教えてくれと言っていたのに、それから、全然、連絡がない。

 A 宮崎学は、そんなに詳しくは知らない。法曹政治連盟の事務所は、神田にあった。鶴城(丈二)(=桑田兼吉が、3代目山健組組長時代の東京責任者。侠友会会長)は、知ってるが、当時、鶴城は、福島で産廃絡みの件に首を突っ込んでおったんだが、うまく回っておらず、カネはなかった。だから、私が鶴城にカネを貸していたぐらいだ。

 Q 桑田保釈工作の話を、もう少し、詳しく聞きたい。

 A その頃、桑田の弁護団の会議があったんだが、そこにオブザーバーとして、鷲見(=司法関連のフリーの記者)というのを出席させた。私も、大阪高裁の判事で辞めた人間とかを集めて、体制を組んだ。だが、カネが来なかったんで、動かなかった。ただ、アレは、動いたところで、本当に保釈が勝ち取れていたかは、わからない。相手が、「裁判所」だから。鶴城が、亀谷に射殺される直前の(02年の)11月24日ごろだったと思うが、「12月10日に保釈になりそうだ」という話を聞いた。しかし、亀谷はなぜ、鶴城を射殺してしまったんだろうか。私が思うに、あれは、「山健弱体化」に向けて、誰かが、ウラで糸を引いていたのではないだろうか。あのあたりから、山健の地盤沈下が始まり、名古屋(=弘道会)が、のし上がってきた。

 Q あの桑田保釈工作の本質は、「人事」だった。渡辺芳則が、自分の跡目を、どうしても、井上邦雄に継がせたかった。そんなややこしい人事の話は、拘置所の面会ではできない。本家の跡目を井上に継がせるには、その前段階として、山健の4代目を、桑田から井上に継がせる必要があった。

 A 渡辺と桑田は、反目していた。そのあたりの保釈工作に関しては、東大阪の(極心連合会の)橋本弘文とも会うた。松尾邦弘は、山田(宰?)ともゴルフ仲間で、そこらで話を持っていけば、保釈を勝ち取れたかもしれない。

 #ほいで、「上」の復命書で出てくる、「ヨコイ・ダイゾウ」ってのは、「横井大三」のことだな。名古屋コー検の検事チョーを辞めた後、隼町のハンジとして、「78・9・23」から、「84・6・10」まで、「ヤメ検枠」として収まっておった。で、「鷲見」ってのは、「鷲見一雄」(わしみ・かずお)のことで、ずっと以前は、あの岸本義広が、赤レンガを辞めてから、国怪ギインになっておるようなんだが、そのとき、腰巾着として、ヒショをやっておるんだな。だからだな、ヤメ検連中とかとつるんで、ネタを貰うて、メシの種にしとる。1937年生まれってあるから、もう、70を過ぎたジイサンだわなあ。あと、「井本台吉」ってのは、ジケンを担当しておるブンヤであったら、この名前を知らんっていうのは、「モグリ」で、佐藤栄作がソーリ大臣だった時代の「67・11・2」から、「70・3・31」まで、検事ソーチョウでおったおやぢや。戦前は、「思想検察の中枢」、すなわち、「司法省第6課チョー」をヤッておったんで、戦後、公職追放されておったんだが、ニッポンの独立回復とほぼ同時期に、赤レンガに戻ってきたんだな。ラインとしては、思想検事の親玉・岸本義広の下にブラ下がっておったんだな。当時、東京チケンには、「特捜の星」と呼ばれ、三井環のオッサンも心酔しておった河井信太郎がおって、政界汚職のゲンバ指揮にあたっておったんだが、それらをことごとく潰したのが、このソーチョウだった井本だったんや。この朝堂院大覚ってのは、思っている以上に、あのヤメ検連中の最中枢に食い込んでおったんだなあ。まさか、こんなにディープだとは、思ってもみなかった。やっぱ、ブンヤは、「直」で会うて、相手の顔を見てハナシを聞かなアカンなあ。

 #それで言うとだな、あのヤメ検連中の、大きな「メシの種」に、広い意味では、この「桑田兼吉保釈工作」も含まれるんだろうが、「保釈」「刑の執行停止」「仮釈放」を勝ち取るため、現役の赤レンガ連中に口利きして、その「手数料」を稼ぐっていう、チョー美味しい商売があるんだな(笑)。いみじくも、三井環のオッサンが、この「9・11」に獄中から公表しておった、「赤レンガ解体計画」にも出ておったが、特に「仮釈放を巡る闇」ってのは、まさに、「司法マフィア」の連中が、オモチャっていうか、食いモンにしてるんだよなあ。ワシは見ておらんのだが、築地シンブンが「字」にしておったらしいが、今、「無期懲役」ってのがあるが、実際のところ、「10年」を経過すると、仮釈放になるケースも多い。ところが、実際の運用ってのは、「検事」、すなわち、「赤レンガ」の胸先三寸っていうか、「恣意的運用」、つまり、「デタラメ」がまかり通ってるってんだよな。
 今、死刑廃止の代わりに、「終身刑導入」のギロンが出ておるが、実際、赤レンガが、「マル特」とか言っておったんかいなあ、とにかく、「コイツは仮釈放は、アカン」っていうことになったら、事実上、「終身刑状態」にされるんだってな。有名なところでは、石井紘基を刺殺したとして、無期懲役が確定し、今、服役中の「伊藤白水」については、この「マル特=終身刑」の適用だってんだよな。ほいで、三井環のオッサンだって、ムショの現場レベルでは、「仮釈放OK」という意見を出しておるのに、赤レンガの野郎、チョー法規的な「政治ハンダン」で、ボツしやがったんだからな。やはり、こうした「刑の執行」にかかる、赤レンガ連中のデタラメぶりについて、一度、「膿」を出さんとアカンよな。この「仮釈放にまつわる、口利きリケン」を、この秋の臨時国怪で、突っ込んだら、超オモロイで(笑)。赤レンガは、一気に、大炎上やなあ。

 #それで、「桑田兼吉保釈2億円工作」の続きだが、亀谷直人、渡真利忠光、ほいで、あのキツネ目のおやぢとかが動いて、カネが流れておった時期ってのは、山健組内部でいうと、3代目の組長が桑田で、組長代行が、極心連合会会長(東大阪)の橋本弘文、2000年に、第3次大阪戦争に加わって、17年の服役を終えて出てきた井上邦雄は、まだ、山健組の若頭補佐から、若頭に引き上げられるかどうかのところで、どうも、桑田は、影響力を残したいってことで、跡目を譲ることを、渋っておったようなんだな。だから、山健の「4代目」は、事実上、この橋本と井上の争いだったんだが、ただ、井上は桑田の養子になっておったんで、5代目の意向を受け入れ、まず、井上を山健の4代目を継がせて、間髪入れずに、空席だった本家の「カシラ」に付けることは、当時の渡辺芳則の絶対的な影響力からして、全然、難しくはなかっただろう、というのが、定説になっておる。
 だから、今度の一連の「5代目追放、司忍擁立」(=05・ 7・29)という、クーデター劇に至る過程において、巧妙に「山健弱体化」に向けた人事はいじくっておって、その最たるものが、「6代目就任」の約3ヶ月前に、山健内部から、この橋本弘文と、太田興業(太田会)の太田守正を、「直参」に引き上げた後、その2ヶ月後の「05・6・6」には、橋本は、弘道会の2代目を継いだ高山清司と一緒に「若頭補佐」として、執行部入りしておるんだよな(司忍は、その1ヶ月前に、空席だった「カシラ」に就いている)。そのへんの足元を見て、うまい具合に、露骨なまでの「山健切り崩し」をやっておるんだな。で、ワシが聞いてるハナシでは、その「2億円」の出所は、大阪の天六(=天神橋筋6丁目)にある解体業者で、そこが、5代目の嫁サンの信頼を得ておったということで、「影の金庫番」って言われておったんだな。それを考えると、「人事」ってのは、非常に重要で、もし、アソコで保釈が勝ち取れて、「人事」が動いておったら、おそらく、「5代目体制・山健帝国主義」ってのは、今でも、続いておっただろうからなあ。その意味では、億単位のカネをブチ込む価値は、当然、あったということだろう。
 だから、山健サイドにしてみりゃ、出すもん出したのに、「結果」が出ないんであれば、メンツもさることながら、「だったら、渡したカネを返せ」の世界だし、そこで、きっちりとオトシマエをつけるってのは、ヤクザの行動原理からして、当然だよなあ。おそらく、その2億円の一部は、正確な金額は分からんが、亀谷が摘まんでおるのは、間違いないが、残りは、どこに消えたのか、サッパシ、分からんのだよなあ。朝堂院大覚が、受け取っていた可能性は、ゼロではないと思うが、もし、仮に受け取っていたとしても、まだ、「着手金」であって、「成功報酬」は、後で受け取るという手筈だったんだろうと、思うよなあ。工作自体が、相当、難しかったからなあ。