●暴走の源流 3 裁かれる権力犯罪
(ムネオ日記 10月24日)  http://bit.ly/byPJfg

 「担当 特捜でしょ」 判・検の蜜月

 「担当したのは特捜の検事さんでしょ」
 取引先から三千万円の小切手をだまし取ったとして、元会社社長が大阪地検特捜部に逮捕、起訴された事件。
 弁護人を務めた大前治弁護士(39)は2004年、大阪地裁の法廷で裁判官に言われた言葉が忘れられない。
 元社長が「検事さんが怖いんです」と泣いて訴えるほどの過酷な取り調べによる自白。
 だが、その任意性を争う弁護側主張はことごとく退けられた。大前弁護士は「特捜を特別扱いしているようだった」と振り返る。
 被告側は控訴し、二審で逆転無罪を勝ち取った。「検察官に押し付けられた信用性が乏しい調書の典型」。高裁判決は、特捜部の捜査を厳しく非難した。
 同じ調書と同じ法廷証言。だが、裁判官の心証一つで、結論は180度異なる。
 大阪地裁所長が襲われた強盗傷害事件で、無罪が確定した男性を弁護した戸谷茂樹弁護士(64)は、この男性が検事から「裁判官は検事と同じ目線で事実を見るんや。抵抗しても無駄や」と自白を迫られた、と証言する。
 「裁判所の世界に、特捜の作った調書の信用性は高いという神話めいたものがある」。元裁判官の秋山賢三弁護士(70)は、こう打ち明ける。
 「神話」を信じ、チェック機能を果たさない司法。その上にあぐらをかいた検察の強引な取調べが今、続々と露呈している。


 裁判所は「人質司法」と呼ばれる長期間の身柄拘束にも“加担”してきた。起訴した後ですら、否認を続けると保釈を認めない。それが珍しくなかった。
 最高裁によると、09年度に検察が拘置を請求し、裁判所が却下した場合は1.17%。起訴後3ヶ月を超えても2割の被告が拘置されていた。弁護士以外に面会できない「接見禁止」を認めなかったケースは、8%に満たない。文書偽造事件で無罪になった厚生労働省元局長の村木厚子さん(54)の拘置期間も163日に及んだ。
 戸谷弁護士は「今は逮捕、起訴されたら有罪に間違いないという運用を裁判所がしている。裁判所が許すから検察も図に乗ってしまう」と裁判所の姿勢を批判する。


 検察に心情的に肩入れする裁判所の“空気”。元裁判官の安原浩弁護士(67)は、調書を安易に信用する姿勢を「病理現象だ」と指摘する。「扱う事件の9割は、争いのない自白事件。そういう自白調書ばかり読んでいると、『調書は信用できる』という意識に陥ってしまうんです」
 だが、司法制度の大改革が今、検察官と裁判官の蜜月に変化をもたらしつつある。09年に始まった裁判員制度。裁判員が短期間で膨大な調書を読み込めないこともあり、刑事裁判は、供述調書に重きを置く「調書裁判」から、法廷でのやり取り重視に変わった。
 安原弁護士は、村木さんの無罪判決や、検事による証拠改ざん事件が、この流れに拍車をかけるとみる。
 「調書をうのみにすることは減るだろう。客観的な証拠である鑑定書なども、本当に客観的なのか疑うようにもなる。過去の冤罪事件でも、2大原因が自白調書と誤った鑑定だった。裁判官の認定手法はより慎重になる」

(東京新聞24日25面)



ムネオ日記10月23日


昨日の北海道新聞32面に、検察に詳しいジャーナリスト魚住昭さんと元裁判官で法政大法科大学院教授の木谷明さんの記事があるので、読者の皆様に全文ご紹介したい。

証拠改ざんの背景 専門家に聞く

 大阪地検特捜部の証拠改ざん隠ぺい事件は21日、前特捜部長ら2人が起訴され、捜査は一つの節目を迎えた。事件の背景や再発防止策について、検察の捜査を長年見てきた専門家に聞いた。


●ジャーナリスト 魚住昭さん
■「筋書きありき」変わらず

 「捜査とは真実を追究することと思っているだろうが、それは違う。捜査とは筋書きに沿った供述を集め、事件をつくることだ」
 私が通信社の検察担当でリクルート事件を取材していた約20年前、同僚が特捜部検事から聞いた言葉だ。
 特捜部の基本構造は、昔から変わらない。無理な取り調べと不利な証拠の隠ぺい。その延長線上に、今回の証拠改ざんがある。厚生労働省の元局長が無罪になった事件の、弘中惇一郎弁護士の言葉を借りれば、「悪質で巧妙」だったのが「悪質でずさん」になっただけだ。
 背景には検察組織が持つ本能と、検事個人の功名心がある。検察は司法省という三流官庁として誕生したが、捜査権を武器に政界や他官庁への影響力を次第に高めていった。
 それでも冷戦時代は自民党政権の摘発が社会主義政権につながるという恐れに加え、権力行使は抑制的にという良識も働いた。冷戦後はブレーキがはずれた。特捜部で大きな事件をやることが出世の早道となり、暴走に拍車をかけた。
 2002年が最大の分岐点だ。検察の裏金疑惑を告発しようとした三井環・大阪高検公安部長(当時)を逮捕した。明らかな「口封じ」で、検察のモラルは完全に崩壊した。
 検察の自浄能力には期待できない。まずは取り調べの全面可視化だ。被疑者だけでなく、参考人の調べにも導入すべきだ。検察のやりたい放題を防ぐため、検察官を国民の選挙で選ぶ検事公選制も検討すべきだ。


●法政大法科大学院教授 木谷明さん

■裁判官の検証の甘さ一因

 多くの裁判官が、検察官の捜査を過信して、取り調べの過程を厳密に検証せず、供述調書を安易に認めてきた。そうした状況が、検察官に「無理をしてでも、供述調書さえ取れば勝ちだ」と思わせる状況をつくってしまった。
 裁判官の間には無罪判決を出し、控訴されて判決が覆った場合、「人事面でマイナスになる」と恐れる風潮もある。検察の意に反する判決を書く労力はけた違いに大きく、裁判官の質と気力が判決を大きく左右しているのが現状だ。
 私は10年前に退官するまで、約30件の無罪判決を出した。検察の調書はうまく出来ていたが、矛盾を細かく洗い出すと、強引な取り調べで自白させたとしか思えないものも多かった。
 私が調書を採用せず無罪とした裁判で、判決直前に担当検事が「上司が検事長に栄転するので、判決は異動後にしてほしい」と頼みに来たことがある。上司に傷をつけたくないという理由だったようだが、被告や被害者の立場からはとんでもない話。検察の体質を見る思いがした。
 公判でうそをつく動機は、被告側にしかないと考えられがちだが、今回の事件で分かるように検察にも組織や自分の立場を守るという動機がある。
 検察は間違わないという「神話」は崩れたが、裁判官の在り方も問われている。一連の問題をきっかけに裁判官は検察と被告双方の証拠を公平・厳密に検討するという刑事裁判の基本に立ち返るべきだ。
(北海道新聞32面・10月22日)


この二人の考えを読者の皆様はどう受け止めるであろうか。私はこの二人の考えに全く同意するものだ。検察の独りよがりの正義感で、最初からシナリオ・ストーリーありきの取り調べ、事件化、また裁判官は検察の調書を鵜のみにして、調書に沿った判決を下す悪しき判断で検察官を増長させてきたのは裁判官にも責任があるのではないかと思う。
 大阪地検の調書のデタラメ、でっち上げで今、検察が問われているが、これは大阪地検だけでなく、東京地検、名古屋地検いや全国の地検がやっていることである。
 密室で時には脅かし、すかし、誘導して調書をとっている。あってはならないことをしているのが検察の実態である。まずは可視化の実現がえん罪をなくす第一歩になる。
 与党・野党関係なく、全国会議員が民主主義の危機という認識で立ち向かっていただきたい。私も世論喚起に向けて協力していきたい。