聖者が町にやってくる ── 10.24デモ従軍記
(THE JOURNAL:二見伸明 2010年10月27日 09:27) http://bit.ly/aQRKdc


 「義を見てせざるは勇無きなり」と老骨に鞭打って、24日のデモに参加しました。東京・銀座一丁目の水谷橋公園を出発したときは350人ほどでしたが、数寄屋橋交差点では最後尾が見えないくらいに膨れ上がり、デモをガードしているお巡りさんは「100人くらいと聞いていたけれど、口コミだけでこんなに集まるなんて、とんでもない大きなデモだ」と、にこにこしながら愚痴っていました。日比谷公園へ右折する8丁目の日航ホテル前では1000人に近い大集団になりました。観光客や買い物に来た人たちでごったがえす外堀通りの沿道からは手を振る人、カメラで撮る人、沿道の店員さんが飛び出してきて拍手するなど、反響は上々でした。


 参加した人は老若男女、千差万別です。大学の先生、お医者さん、物書き・評論家、中小企業の親父、サラリーマン、私と一緒に「検察、検察審査会の横暴を糾弾せよ」という横断幕を掲げた大阪から来た専業主婦三人組など、デモ初体験のご婦人たちや、北海道から、空路、駆け付けた人もいました。年齢的には分別のある、意識の高い中高年が多かったと思います。「小沢、真っ白」というプラカードを担いでいるオジサン、手製のチラシを楽しそうに沿道の人たちに配っているご婦人、それぞれ、好き勝手に自己主張していました。茨城から来た、デモ初体験のお医者さんの奥さんは、恥ずかしそうに「小沢は無罪だ」と叫びながら、「検察の抜本改革はしなければならないが、裁判所、とくに最高裁の改革が必要です。検察は自分でシナリオを作り、それに沿った調書を作っていることが明らかになりました。にもかかわらず、裁判官が『法廷での証言は信憑性が低い。調書の方が信憑性が高い』と考えているようでは、冤罪はなくならない」と、鋭い意見を述べていました。また、年金生活の男性は「最高裁は砂川事件以来、肝心なときには、憲法の番人ではなくなる。東京地裁、高裁は最高裁の態度を見ながら、『見ざる、聞かざる、言わざる』の『権力』に媚びへつらう事なかれ主義者だから、『議決無効』の訴えを棄却したのだろう」と憤っていました。


 デモは、民主主義を守るため、政治、経済、社会のあり方に警鐘を鳴らす、極めて重い意味をもつものでした。重いテーマをもちながらも、自由に、のびのびと明るく訴えた今回のデモは、マスコミが好んで使う「国民目線」のデモだったのではないでしょうか。なにしろ、町内会の歩け歩け運動のオジサン、オバサンが拳を振り上げて「マスコミは偏向報道をやめろ」と怒鳴ってるようなものですから。素朴で貴重な草の根運動を体験しました。

 デモの主催者は、デモに参加したことはあるけれど、デモを企画・運営したことがないド素人、スタッフも、デモに縁のない男女青年たちでした。国会正門前で、警察機動隊と睨みあい、「○○反対!」とデモった経験をもっていたのは私くらいかもしれません。


 「聖者が町にやってくる」――ルイ・アームストロングが唄って一世を風靡した「聖者の行進」は黒人霊歌で、アメリカ・ニューオリンズでは死者を賑やかに送る「葬送のマーチ」だそうです。その中の一節。

[この乱れし世も 我々に必要なものだと、人はいう。しかし、新しい世界が始まる朝を、私は待っている]

 私にとって、「聖者の行進」は「世論ファシズム」「言論ファシズム」「検察ファシズム」という「妖怪」を日本から追い払い、新しい朝を迎える「行進曲」です。


 東京都心で、マスコミには黙殺されましたが、「右」でも「左」でもない「普通の人びと」のデモがあったのです。時代を変える一石にしたいですね。

 皆さん、聴こえませんか。「一日一歩、三日で三歩。三歩進んで、二歩さがる」歌声が。「汗かき、べそかき」歩きましょう。小さな、小さな「聖者の行進」をしませんか。