「衆愚の時代」を考える 検察審査会は信用できない?


永田町ディープスロート
(現代ビジネス 2010年10月27日)  http://bit.ly/buMaOX

「私は小沢氏の事件に対する検察審査会の議決文を読みましたが、『なるほど』と納得できる文章ではない。非常に感情的で、論理の飛躍が目立つ一方で、はっきりとした根拠は何もありませんでした。

 検察審査会は、市民という名の素人集団。ステレオタイプのマスコミ報道に、悪い影響を受けてしまっているんです」

 こう語るのは、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏だ。

 鳥越氏はいま、朝日新聞と激しい論戦を繰り広げている。

 発端は、先月6日に鳥越氏が毎日新聞「ニュースの匠」に寄稿した文章だった。


「市民」と「世論」の現状を憂う、鳥越俊太郎氏 小沢一郎氏の「政治とカネ」問題をめぐって、〈検察審査会は"市民目線"と新聞では持ち上げられてはいますが、しょせん素人の集団〉とバッサリ。

 プロである東京地検特捜部が不起訴と判断した以上、事件は〈虚構〉だとする意見を表明した。

 これに対して、朝日新聞は鳥越氏の発言を引き合いに出しながら、〈市民の力を信じる〉という趣旨の社説を掲載(同月19日付)。元俳優・押尾学被告の裁判員裁判で有罪判決が出されたことを受けて、〈責任感をもって事件に向き合った裁判員が、この日の判決を導き出した〉と市民の力を賞賛した。

 応じるように鳥越氏は今月4日に毎日新聞に再び寄稿。朝日新聞の記事に対して、メディア関係者とはいえ民間人の自分の名前を実名で出されたことに驚いたとした上で、〈私は市民の力を信じてはいない〉と改めて主張したのだ。

 一連の応酬について、鳥越氏はこう語る。

「朝日新聞の論調は『市民=正義』。これはとんでもない考え方ですよ。犯罪者だって市民、市民にはいい市民もいれば悪い市民もいる、これが現実なんです。

 それに日本という国はもともと、一つの方向に国民全体が流れやすい。言語は一つ、読んでいる新聞・雑誌、観てるテレビはほとんど同じだから、誰かが一方向へスイッチを押すとそっちへ一斉に流れちゃう。

 小沢氏を特捜部が狙っているとなれば、マスコミが一斉に小沢批判を始める。それが拡声器のようになり、市民全体は『小沢=悪いやつ』だと思ってしまうんです。これが検審の判断では、モロに出てしまったということでしょう」


■絶賛か、袋叩きか


 小沢氏の「政治とカネ」をめぐる事件を担当したのは、東京第五検察審査会。今年4月に一度目の「起訴相当」を議決、特捜部はこれを受けて改めて小沢氏を不起訴としたが、10月には再び小沢氏を強制起訴すべきだとする「起訴議決」を公表した。

その間、9月に行われた民主党代表選時に小沢氏は、「一般の素人の人がいいとか悪いとかいう仕組みが果たしていいのかという議論は出てくる」と検審を批判。これを契機に、メディアでは「市民は正しいのか」「市民は信用できるのか」という議論が噴出し始めたのだ。


評論家の佐高信氏が言う。

「はっきり言って小沢を起訴した検察審査会の市民感覚っていうのは、死んでる民の『死民感覚』ですよ。メディアの言いなりになって、『小沢袋叩き』に乗っかってるわけでしょ。

 いまメディアと国民は、こういう『スクラム』に慣れきっている。次々と政治をひっくり返して、総理大臣をコロコロ変えてしまうことからもそれは明らかでしょう。これはおかしいぞ、と思いますね。

 そもそも私は世論って言葉を聞くと、とたんに身構えてしまうんです。小泉純一郎が総理で支持率が8割を超えたとき、小泉批判をしたらめっぽう叩かれましてね。

 メディアが世論を盛り上げて、その世論に乗ってメディアがさらに過熱報道して、世論がまた叫ぶ。だからいまは、絶賛か、袋叩きかしかないんです。

 それでいて絶賛していた小泉・竹中路線が間違っていたとわかっても、袋叩きしていた小沢一郎を特捜が不起訴にしても、私たちが間違えていましたという『決算書』を作らない。言いっぱなしで誰も責任をとらないんだから、なんと始末が悪いことか」


■パンとサーカスばかりを


かつて「ヨロン」は「輿論」と書き、立場のある人間が責任をもって述べる意見のことを指した。

 一方の「世論」は「セロン」と読み、噂話、流行発言、場当たり的な発言を意味したと言われている。文芸評論家の富岡幸一郎氏が語る。

「いまの『セロン』の代表ともいえるのが、世論調査でしょう。フランスなどでは、世論調査が国家に悪影響を及ぼす言論操作になるとして、規制を設けているほどです。

 日本国民を見ると、国家意識は薄れているし、『パンとサーカス』(物質的な欲望と好奇心をあおる見世物)ばかりを欲する人も増えている。

日本はここ15年ほど衆愚政治の道をたどってきましたが、民主党政権になってついに来るところまで来たという感が拭えません。

 それに足並みを揃える民主党の政治家たちにしても、素人集団が政治ごっこをしているようにしか映りません。特に政治主導という旗を揚げたばかりに官僚を使いこなせなかった、仙谷由人官房長官の尖閣諸島問題への対応はひどかった。

 有能な外務官僚を通じてしかるべき交渉をやるべきなのにまったくできず、100対0でリードしていたサッカーで逆転負けしたような歴史的惨敗を喫した。財務大臣にしても財務官僚を使いこなせず、口先介入ばかり繰り返して、為替相場をうまく動かせなかった。素人丸出しなんです。

 大人が子供にあわせることを専門用語で、ピュエリリズム(小児病)と呼びます。民主党閣僚の並んだ写真を見ると、私にはピュエリリズムの患者がずらりと並んでいるように見えてしまうんです。先日も蓮舫さんが国会内で撮影していましたが、そういうことを平気でやってしまうのがいかにも子供らしい。

 鳩山由紀夫前首相が中国の胡錦濤国家主席と会談したとき、尖閣諸島のガス田を意識してあの地帯を『友愛の海』と言って、驚かせました。本来外交というのは言葉を二重三重に折り曲げて発言すべきなのに、何も考えず口にしたんでしょう。こうした幼さがあるから、『輿論』に耳を傾けられず、『世論』に翻弄されてしまうんです」

 世論の顔色ばかりうかがっているのが、いまの民主党政権だということに間違いはない。

 消費税10%増税をぶち上げて世論の反感を買うと、低所得者への還付制度の検討を示唆。対象となる年収水準を「200万」やら「400万」やらと語り、菅首相がブレにブレまくった発言を繰り返したことは記憶に新しい。

 今年3月に『衆愚の時代』(新潮社)を上梓した作家の楡周平氏は、こんな民主党政権下の日本の現状をこう評する。

「米国のジョン・F・ケネディ大統領は就任演説で、国民に『国があなたに何をしてくれるかではなくて、あなたが国に対して何ができるかを考えなさい』と語りかけました。

 いま民主党政権が言わなくちゃいけないのはまさしくこの言葉です。

 それなのにいつも『国があなたにこういうことをしてあげますよ』と語るばかりだし、国民も『国は俺に対して何をやってくれるんだ』と求めてばかりで、あるべき姿とはまったく逆に進んでいる。

最もナンセンスだったのが、公立高校の授業料無償化ですよ。学費が払えなくて学業を続けられないというのであれば、奨学金を与えるハードルを低くすればいいだけで、一律に無料にする必要はない。これって僕に言わせれば、『ばらまき』というより『買収行為』。

 子ども手当もまったく同じで、こんな買収政治ではちっとも世の中は良くならないことがどうしてわからないのか。

 大衆に政治的判断を求めれば、些末なところばかりに目がいってしまう。国民にしても求めてばかりいないで、とにかく一生懸命働いて国のために税金を納めることをもっと考えるべきでしょう。このままいったら、日本はどうしようもない衆愚国家になってしまいますよ」

 衆愚政治とは、民主主義が陥る罠である。「みんなが決めるからいい」「みんなが正しいと思うからいい」という発想が、「間違っていても、みんなが決めたことだから正しい」という結果を招いてしまうことがあるからだ。


■「ただの文句たれ」が総理の国


 こんな国民を政治が諫め、「みんなが間違っていると言っている」ことでも、「本当はこちらが正しい」と突き進む勇気が政治に求められるのだが、もちろんいまの民主党政権にこんな英断は期待できない。

『即答するバカ』(新潮社)などの著書がある、フリーアナウンサーの梶原しげる氏はこう言い切る。

「民主党政権は繰り返される世論調査の数字ばかりを気にしていて、まるで視聴率に一喜一憂するテレビディレクターのようです。

 本当に優秀なテレビマンというのは視聴率も参考にするけど、番組全体の構成をしっかり骨太にすることを第一に考える。そうすることで長寿番組というのは生まれるんです。

 政治家も同じで、もっとドンと構えて自分の意見を主張すればいいのに、菅さんは勇気がないからこれができない。

 それで、あるタレントが画面に出たら視聴率があがったから、『そのタレントの出演場面を増やせ』と命じたり、『あのタレントが出た場面の視聴率が落ちているから、もう出すな』と言う場当たり的で仕事のできないディレクターのように、政策や発言をコロコロ変えてしまう。

心理学では他者評価を気にしすぎる人は抑うつ状態に陥るといわれていますが、民主党の政治家はそんな状態になりかけているのでしょうね」

 とはいえ、こうした無能政治家たちを選挙で選んだのは、国民に他ならない。前出・楡氏はこう嘆く。

「私が一番驚いたのは、東京都民が170万票も蓮舫さんに投票したということです。世の中って本当にわかっていない人たちが多いと思いました。

 私がこの人にデカい仕事ができるわけがないと思ったのは、代表選のさなかに『やれ小沢だ』『やれ菅だ』と割れている状況をうけて、『私はいろいろと議論をしながら、議論を積み重ねて何かを決めていくことが好きなんです』と言ったときです。学級会ならいいですが、国政の場でそんなことをやっていたら何も決まらないでしょう。

 米国では、『この10年の間で、人類を月に送る』と言って、それを実現した。ビジョンがリーダーの頭の中にあって、それを実現するために『おまえたちどうしたらいいか考えろ』とやるからできる。これを現場で、『月に人間を送るには・・・』などと議論し始めたら、『不可能だよね』で終わってしまいますよね。

 菅さんにしたって、ただの文句たれでしょ。文句たれに、『それならおまえがやってみろ』と任せて、うまくいったためしは世の中に一つもありません。少なくとも、私の人生において、そういう人間は一人も知りません。

 蓮舫さんや菅さんだけでありません。民主党の政治家の言動を見て発言を聞いていれば、『とてもじゃないが、こんな奴らに政治は任せられない』と、すぐにわかるはずなんですが」