●なぜこの国に、“モミ消しのプロ”は存在しないのか(1)

(Business Media 誠:土肥義則 2009年11月17日)  http://bit.ly/AQAGw


「スピンドクター」という言葉をご存じだろうか。翻訳すると「情報の専門家」といった意味だが、海外では政治や企業などあらゆるところで、当たり前のように存在している。なのに、なぜ日本でスピンドクターは活躍していないのだろうか。

 この問題について、永田町で取材を続けているジャーナリスト・上杉隆氏と数々の事件を追い続けてきたノンフィクションライター・窪田順生氏が、徹底的に語り合った。Business Media 誠でしか読めない対談を全9回にわたって連載する。


窪田順生(くぼた・まさき)1974年生まれ、学習院大学文学部卒業。在学中から、テレビ情報番組の制作に携わり、『フライデー』の取材記者として3年間活動。その後、朝日新聞、漫画誌編集長、実話誌編集長などを経て、現在はノンフィクションライターとして活躍するほか、企業の報道対策アドバイザーも務める。

『14階段――検証 新潟少女9年2カ月監禁事件』(小学館)で第12回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。近著に『死体の経済学』(小学館101新書)、『スピンドクター “モミ消しのプロ”が駆使する「情報操作」の技術 』(講談社α文庫)がある。


土肥 窪田さんはこれまでいろいろな職場を経験されてきたようですね。

窪田 学生時代にテレビの情報番組の制作に携わっていました。そして大学を卒業後、テレビの製作会社に就職し、TBSの『世界ふしぎ発見!』のADとして働いてきました。

上杉 エジプトにも行かれたそうですが。

窪田 ピラミッドに行きました。やはり現地で熱射病にもなり……(笑)。ただADとして働いていくうちに「書く仕事の方が面白いかなあ」と思うようになって、たまたま講談社の『フライデー』が記者を募集していたので応募してみたんです。

土肥 『フライデー』が記者を募集していたんですか?

窪田 『フライデー』としては初めての試みだったそうです。そのときは600人ほどの応募があり、5人が就職しました。

土肥 写真週刊誌の記者として就職されたわけですが、先輩から教育などはあるのですか?

窪田 教育なんてものはありません、ゼロです(笑)。事件があれば、デスクから「現場に行ってこい!」といった世界ですね。僕がいたころには「桶川ストーカー事件」※や「東海村放射能漏れ事故」など事件や事故がたくさんあり、そのたびに現場に足を運び取材をしていました。

※桶川ストーカー事件:1999年、埼玉県のJR桶川駅前で、大学2年生の猪野詩織さん(当時21歳)が刺殺された。詩織さんは事件発生の半年ほど前から、元交際相手の男にストーカー行為を受けていた。だが相談した上尾署はまともに取り合わず、同署は告訴調書を被害届に改ざん。告訴の取り下げを求められた約1カ月後に事件が起きた。

窪田 『フライデー』の記者として事件などを追いかけるようになったのですが、徐々に裏側の世界に興味を持つようになりまして。そして『フライデー』を辞めて、月刊誌『裏モノJAPAN 』で2年ほど働きました。この雑誌はとても品があるとはいえず、大阪池田小学児童殺傷事件を起こした宅間守の部屋にもあったというほど。内容といえば犯罪などの体験談を書くという、いわゆるサブカルチャー雑誌。

上杉 とんでもないカルチャーですね(笑)。


■朝日新聞を3カ月で退職

窪田 「オレの強盗体験」といったことも平気で掲載していました(笑)。そこでは編集者として働き、その後、朝日新聞に就職しました。なぜ朝日新聞に転職したかというと、これまで裏社会ばかり見てきたので、少しは表の世界を見ないといけないなあと思いまして。でないと、自分の「バランスが悪くなるかも」と感じたんです。そして入社後、岐阜支局に配属され、岐阜県政を担当しました。とはいっても、3カ月で辞めちゃいましたけど(笑)。

土肥 どうして朝日新聞を辞められたんですか?

上杉 つまらないですよね。

窪田 おっしゃるとおり、つまらなかったです……。

上杉 そりゃあそうでしょう。雑誌の記者や編集の仕事をしてきた方が、いきなり朝日新聞で働いても「面白くない」と感じるのは当たり前。

一同笑い。

上杉 多くの人は朝日新聞で働いている方が“立派”と感じるかもしれませんが、取材活動をする上では単に組織の歯車になってしまうつまらない職場ですよね。

窪田 本当につまらなかったですね。また僕の場合は新潟県で起きた少女監禁事件※の取材をしたかったので、「もう朝日新聞で働くのはいいや」と思い辞めたんです。

※新潟少女監禁事件:2000年1月、新潟県柏崎市四谷の自宅2階で9年2カ月に渡って、少女が監禁されていることが発覚した。
 そのあとミリオン出版に就職し、そこで『実話ナックルズ』という、いわゆる“カストリ雑誌”(大衆向け娯楽雑誌)の編集をしていました。そこの久田将義編集長は『噂の眞相』※の岡留安則編集長と親交があり、「第2の噂の眞相を作るんだ」という意気込みで『NONFIXナックルズ』(のちに『ザ・ハードコア・ナックルズ』)を作りましたが……やがて休刊になってしまいました。

※噂の眞相:1979年3月に編集発行人・岡留安則氏によって創刊された月刊誌。政治経済から芸能界ゴシップまで「タブーなき雑誌」を標榜した雑誌だったが、2004年4月に休刊した。
 そこで裏社会の組織や人間を取材していたのですが、PRコンサルタントの仕事をしてみようかな……ということで、今は“会社の内側に入る”仕事をしています。企業の危機管理などを担当していて、不祥事やスキャンダルが起きたときのメディア対応をお手伝いしています。

上杉 いわゆるスピンドクター(情報操作の専門家)をやっているんですね。世界的に見てスピンドクターは重視されていますが、日本だけはそうではない。おそらく危機が目の前にあることに気づいていないのでしょう。政府も会社も組織も、いわば“丸裸”でいるようなもの。全員が丸裸だから、いいのかな(笑)。

窪田 あまりにも日本は「情報操作が存在している」ことに無関心だったので、内側に入っていろいろ見てみたのですが……やはり丸裸でした(笑)。


■情報管理がボロボロの官邸


上杉 現実を直視しないんですよね。危機が迫っていても、それを見ないというか、見ようとしない。ヘンな癖がついているから、「自分は大丈夫だろう」と思っているのでは。それは根拠のない、楽観主義に陥っているようなもの。

窪田 例えば船場吉兆のささやき女将※のような人が登場すると、多くの企業は「メディア対応は大事なんだ」といった認識になるんです。会見などでのイメージは大切だということは分かっているのですが、実際「何をしたらいいのか分からない」といった感じで、右往左往している人が多いですね。

※2007年10月、福岡県の百貨店の店舗で、船場吉兆が消費期限切れの菓子を販売していたことが明るみになった。そのとき記者会見した湯木佐知子社長が、隣の席にいた長男(湯木喜久郎取締役)にささやきかけていたことで、消費者などからひんしゅくを買った。
 で、結局は「記者の人たちだって人間だから、腹を割って話せば分かってくれますよ」といった根拠なき性善説で、この問題を片付けようとしますね。

上杉 海外ではどの職種も当たり前のようにメディアコントロール担当のスピンドクターがいますが、日本に窪田さんのようなお仕事をしている人はいますか?

窪田 PR会社で「メディア対応をします」というところはありますが、「我々は危機管理の専門家です」といったことは聞いたことがありませんね。

土肥 そういえば上杉さんも、鳩山政権が誕生するときに「報道担当の首相秘書官か補佐官で起用する」といった報道が出ていましたが……。その話はどのようになりましたか?

上杉 そんな話もありましたね。しかし、今では記者クラブを守る鳩山政権への批判の急先鋒になってしまいました(笑)。報道担当の話はまさにスピンドクター的な役割だったと思いますね。

土肥 思います、というのは?

上杉 報道担当についての話は、間接的に聞いていましたが、鳩山由紀夫さんから直接「来てください」とは言われていません。もっとも、誘われても行きませんが……。あんな情報管理がボロボロの官邸に誰が行くか、といった感じですね。

一同笑い。


■日本にスピンドクターがいない理由

『スピンドクター “モミ消しのプロ”が駆使する「情報操作」の技術』(著・窪田順生氏、講談社プラスアルファ新書)上杉 例えば英国の場合、首相報道官や補佐官は議員でない人が担当しています。議員だと政権末期になれば、次の政権に乗り換えるような裏切り行為が生まれやすいから。非議員だと政治家と一緒に辞めざるを得ないので、裏切り行為が生まれにくい。しかし日本のように、首相の周囲を議員で固めて、その議員の下に報道官を置いても、スピンドクターの役割を果たすことは難しい。

窪田 確かに構造的な問題がありますよね。

上杉 日本では無理ですよ。政務秘書官や官房長官クラスの人が、いわゆるスピンドクターの意識を持っていればいいと思います。日本でいえば、石原慎太郎都知事の特別秘書をしている高井英樹さんはスピンドクターの役割を果たそうとしています。あとは小泉純一郎元総理のときの首席秘書官だった飯島勲さんも情報をコントロールしようとしていましたが、スピンドクターとまでは言えませんでしたね。

 これまでにもスピンドクターの役割を果たそうとした補佐官や官房長官がいましたが、外から見るとまったくなってなかった。なぜなら彼らは分かったフリをして、間違ったことをしていたから。名前はあえて言いませんよ……世耕弘成さんとは(笑)。



●週刊誌が記者クラブを批判しない理由(2)http://bit.ly/3kOxUe


行政や経済団体などが発表する情報を、いわば独占的に入手することができる記者クラブ。ほとんどの週刊誌は記者クラブに加盟していないが、なぜかこの問題を取り上げようとしない。その理由は……?


■日本と海外では違う、広報に対する考え方

土肥(編集部) 日本でスピンドクター(情報操作の専門家)が普及する可能性はありますか?

窪田 正直、難しいでしょうね。

上杉 いまのところは無理ですね。まず認識がない。

窪田 僕はいま、企業の広報機能を強化しようとしていますが、本当に難しい。企業にはもちろん社長がいて、その下にたくさんの部署がある。例えば営業の力が強い会社で、営業部長が「マスコミなんて無視しておけ」といった会社だと、もうダメ。社長室が広報を担当していれば、その会社の広報機能を強化することもできるのですが、多くの企業はそうではない。

上杉 海外では広報の地位が高い。けど日本だとラインから外れた、いわゆる“終わった人”たちが、広報を担当していることが多い。

窪田 ラインから外れた人たちは、仕事に対するモチベーションが本当に低い。「マスコミの相手なんて、できることなら避けたい……」といった人が多いですね(笑)。

上杉 「オレが広報で仕事をしているときだけは、不祥事を起こさないでくれ」といった感じですよね。ちなみに日本で一番有名だった広報担当者といえば、ライブドアで働いていた乙部綾子さんでしょうか? 彼女は“勘違い広報”の典型でもありますが(笑)。

窪田 日本と海外では広報に対する、根本的な考え方が違います。企業の中に入って分かったことですが、マスコミ対応の考え方を変えるということは本当に大変ですね。

上杉 日本社会の悪いところとして「それは違いますよ」という人に対して、「そうか」と耳を傾けるのではなく「あいつ、何かヘンなことを言ってる」「変わっている」などで終わってしまう。

窪田 本当にそうですよね。


■“逆切れ”した日本新聞協会


行政や経済団体などが発表する情報を、いわば独占的に入手することができる記者クラブ。ほとんどの週刊誌は記者クラブに加盟していないが、なぜかこの問題を取り上げようとしない。その理由は……?

窪田 上杉さんは『ジャーナリズム崩壊』の本を書かれて、その中で記者クラブを批判されています。正論を言っているだけだと思うのですが、“変わり者”といった扱いをされていますよね。なぜ主要メディアは自分たちが行っていることが、オカシイということを理解しようとしないのでしょうか。

上杉 外務省の岡田克也大臣、金融庁の亀井静香大臣が記者クラブの扉を開けたため、あの2人がいまは「オカシイ」と呼ばれています。本当は当たり前のことをしているだけなのに。

窪田 なぜ記者クラブの問題はこのようになってしまったのでしょうか。上杉さんも著書の中で書かれていますよね、日本新聞協会が記者クラブに対する「見解」※を変更したとかで。

※1978年、日本新聞協会の編集委員らが、記者クラブに対する見解を変更した。「その目的はこれを構成する記者が、日常の取材活動を通じて相互の啓発と親睦をはかることにある」(日本新聞協会)――。この「取材活動を通じて」の文言によって、記者クラブは親睦団体から、取材拠点へと変わった。(参考文献:『ジャーナリズム崩壊』)

上杉 日本新聞協会は規約を改正することで、開き直ってしまった。自分たちに非があるのは分かっているので、コソコソするのではなく「自分たちの何が悪いんだ!」といった感じ。

窪田 まさに日本新聞協会の“逆切れ”。

上杉 日本新聞協会が逆切れした原因の1つは、雑誌にもあります。『週刊新潮』や『週刊現代』などは、記者クラブに加盟しているメディアのオコボレをちょうだいしながら雑誌を作ってきた経緯がある。いわば“共犯関係”にあるので、雑誌側も強くはいえない。

窪田 朝日新聞に就職し、当時のデスクからこのようなことを言われました。「やっぱり雑誌記者のときに、新聞記者を取材したの?」と。つまり、“オレたちを夜討ち・朝駆けするんでしょう?” といったことを聞かれた。仲の良い新聞記者と情報交換はしましたが、彼らを夜討ち・朝駆けしたことはない。このように答えると「雑誌の記者はオレたちから取材して、『捜査関係者~』などと書くじゃないか」とも言われました。

上杉 立花隆さんの世代の人たちのジャーナリストは、新聞記者から情報を得てきました。最近でもテレビによく出てくる“立派”な人たちは、立花さんのやり方と同じようなことをしている。つまり新聞記者と雑誌記者は、いわば"共生関係"のようなもの。

窪田 その共生関係というのは、とても日本的。

上杉 僕が記者クラブ批判をできた1つの理由は、もともと新聞記者の情報に頼っていたわけではないから。もらうよりもむしろ情報をあげていたから。

窪田 情報をもらっていながら、記者クラブを批判することは難しいですものね。

上杉 僕の場合、新聞記者からもらう情報よりも、政治家や政治家秘書、政党職員などから取る情報が圧倒的に多い。そうしたインサイダーから聞いた情報で記事を書き、時には新聞記者にあげていることも。これまでの日本のジャーナリストで、新聞記者に情報をあげている人はほとんどいなかったと思う。

窪田 確かに少ないですね。


■記者クラブの“既得権益”

『ジャーナリズム崩壊』(幻冬舎新書) 上杉 自分の足で取材をしてきたジャーナリストは別ですが、多くのコメンテーターや政治評論家は、新聞記者からのオコボレをもらい続けていますよね。

窪田 僕は雑誌記者をしていましたが、新人のときは知り合いがいないので、自分の足で稼ぐしかなかった。しかし多くの先輩たちは、新聞記者からデータをもらって記事をまとめていましたね。そしてその先輩たちは新聞記者にギャラを支払っていました。

上杉 実はほとんどの週刊誌は、これまで記者クラブを批判したことがなかった。『週刊文春』でも僕が書くまでは、なかなかこの問題を取り上げようとしなかった。

窪田 雑誌の編集部も記者クラブにお世話になっているから、もちつもたれつで批判できないのでしょう。

上杉 しかしそんな不健全なことをいつまでもやっていてもしょうがない。ベテランのジャーナリストたちは記者クラブにぶらさがりながら生きてきたので、今後も自らの手で記者クラブを潰すということはないでしょう。

窪田 この“既得権益”はしつこそうですね。

上杉 見方を変えれば日本にスピンドクターがいないのは、記者クラブがその代わりを行っているだけのこと。

窪田 その通りです。記者クラブの中に、“プチスピンドクター”がたくさんいる(笑)。

上杉 彼らはジャーナリストのフリをしながら、実は権力側のスピンコントロールを無意識に行っているだけ。明確な意識を持っていないからでしょうね。

窪田 例えば政治家の囲み取材のときに、いきなり「イチローについてどう思いますか?」といったようなことを聞く記者がいる(笑)。あれは無意識に、政治家を逃がしているんでしょうね。

上杉 政治家や権力者側からすれば、そういった記者は“きちんとコントロールができている”ということになりますから。



●“ジャーナリズムごっこ”はまだ続く? 扉を開かないメディア界(3) http://bit.ly/8p4tob


「政治家の中で、記者クラブの開放に最も積極的なのは小沢一郎幹事長」という、ジャーナリストの上杉隆氏。小沢氏といえば、会見会見を苦手としているはずなのに、なぜ記者クラブ開放に積極的なのだろうか。


■アイティメディアは実態がないということ?


窪田 アイティメディアは記者クラブに加盟しているのですか?

土肥(編集部) していないですね。実は外務省の記者会見に参加しようと、外務省の担当者にお願いしたのですが、断られました(笑)。


▲外務省からの連絡:
 この度は外務大臣会見等への参加につき申請いただき、有り難うございます。

 さて、大臣会見等への参加について申請内容を確認させて頂きましたが、貴殿については、9月29日の岡田外務大臣会見で発表した「大臣会見等に関する基本的な方針について」で規定されている参加条件を下記の通り満たしていないため、残念ながら、現状では会見への参加を承認することは困難との結論に至りましたので、お知らせします。

理由:方針2.の協会や連盟への所属が確認できない

(中略)

 なお、大臣会見等に参加できるメディアのカテゴリーに関して、信頼性があり追加することが適当と考えられる報道関係の協会、連盟等がございましたら、検討する用意がありますので、ご提案いただければ幸甚です。

 ご理解の程よろしくお願いいたします。


窪田 アイティメディアは実態がないからダメだということですかね?それこそ勉強不足(笑)。

土肥 窪田さんは主に雑誌畑を歩んでこられたわけですが、記者クラブに入れなかったことで悔しい思いとかされたことはありませんか?

窪田 『フライデー』で記者をしていたとき、大事件が起きると、警察の記者クラブにこっそり潜入していました(笑)。しかしある日、幹事社の人に見つかり、「ヘンな奴がいるぞ!」と叫ばれ……まるで犯罪者扱いされましたね。そして左右にガードマンが付き、外に追い出されました。

上杉 記者クラブには、見事な“スピンドクター記者”がいるなあ。

窪田 考えてみれば「よく記者クラブという制度を作り上げたな」と感心してしまいます。もちろん日本新聞協会が開きなおったこともあるのですが(関連記事)、影で記者クラブの制度を認めた頭のいい役人がいるのでょうね。

上杉 記者クラブ制度の問題はメディアだけにあるのではなく、役人にもあります。彼らが便利だと思うから、この記者クラブを使っているだけ。

 薬害エイズ問題のときに櫻井よしこさんや岩瀬達哉さんが、記者会見の席で質問をしていたら、少しでも状況が変わっていたかもしれない。しかし役人はウソのデータを記者クラブに投げ、記者はそれをそのまま報道した。

 役人は自己防衛のために、記者クラブを利用しているだけ。問題なのは、使われている記者の方が気づいていないこと。とにかく記者は洗脳されていることが分かっておらず、“ジャーナリズムごっこ”をしているだけ。

 ちなみに政治家の中で、記者クラブの開放に最も積極的なのは意外なことに小沢一郎幹事長です。新進党時代から現在の民主党に至るまで、一貫して記者クラブを開放してきました。ただし記者会見はオープンなのですが、会見そのものをあまり開かない。これが問題です。


■小沢一郎幹事長が記者クラブを開放した理由

上杉 その後、東京の石原都知事や長野県の田中康夫知事(当時)、鎌倉市の竹内謙市長(当時)が記者クラブを開放しました。しかしマスコミが飛びついたのは長野県と鎌倉市だけ。なぜ彼らが石原都知事をスルーしたかといえば、東京都が記者クラブを開放したことは、さまざまな方面への「影響力があるから」と判断したから。一方、長野県や鎌倉市が記者クラブを廃止しても「あまり影響はなく限定的だ」と思ったのでしょう。だからマスコミは田中知事と竹内市長には群がり、散々叩いた。

窪田 記者クラブは完全に閉ざされてきたわけではなくて、少しは開かれていたということですね。小沢さんはなぜ記者クラブを開放しようとしていたのですか?

上杉 秘書や同僚の人から聞いたところによると、小沢さんはいつも既存メディアから悪者扱いされてきたので、彼らに反論したかったそうです。しかし、なかなか分かってもらえない――。なぜならテレビや新聞が一旦流れを作ってしまうと、その流れを変えることは難しいから。なので小沢さんは、記者会見を開放することで自分のことを分かってもらえる雑誌メディアに訴えようとしたようです。

窪田 しかし小沢さんが、記者クラブを開放してきたことはあまり知られていないですよね。

上杉 そうですね。それこそ記者クラブにとっては自らの恥部につながるから。彼らは、小沢幹事長がもっとも情報公開に理解があるなんて本当のことを、死んでも書きたくないと思っているんでしょう。だからその代わりに叩き続ける。これ以上言うと、“小沢ヨイショ”になるので、ここらで止めておきます(笑)。



●記者クラブを批判したら……最大の抵抗勢力が出てきた(4) http://bit.ly/8rfC04  


「記者クラブを開放せよ」と訴え続けている、ジャーナリストの上杉隆氏。その一方で「記者クラブはあった方がいいんですよ」とも。なぜ上杉氏は記者クラブの「開放」を訴えながら、「あった方がいい」と言っているのだろうか。


■最強のスピンドクターは誰か

土肥(編集部) さきほど立花隆さんの話がチラッと出てきましたが、お2人は立花さんのことをどのように見ていますか?

上杉 立花さんは海外で言えば、ジャーナリストではなくて、アナリストや評論家といった感じ。しかし日本ではジャーナリストと評論家の区別がついていないため、一緒くたにしている人が多い。

窪田 評論家というのは分析するために情報が必要になります。しかしその情報源が、新聞記者であることが多いため、彼らの悪口を言えない人が多いことが問題。

上杉 立花さんは著書の中で「記者クラブは悪くない」といったことを書いています。また数カ月前に開かれたシンポジウムでも、記者クラブを擁護する発言をしていました。つまり、彼は現場に足を運び、取材をしたことがほとんどないから、記者クラブのことをよく分かっていない。新聞記者からオコボレをちょうだいして、肩書きに「ジャーナリスト」と書くのはやめてもらいたい。でないとジャーナリストとして仕事をしている人に、迷惑がかかってしまう(笑)。

窪田 あと立花さんたちの世代の人たちが、下の世代を潰してきた経緯がありますよね。

上杉 立花さんの世代以降20~30年の空白期間があって、いきなり41歳の自分がいるといった感じ。僕らの世代でも「いけるかなあ」と思ったフリージャーナリストはたくさんいたけど、みんなそうした上の世代に潰されてしまった。フリーで仕事を続けるのは確かに大変なのですが、気づいてみたら政治分野の若手フリージャーナリストと呼ばれるのは自分1人だけになってしまった感がある。

 ハッキリ言って、ジャーナリストのライバルはたくさんいた方がいい。なぜなら、自分のところに集中して降りかかってくる圧力を分散できるので(笑)。

 例えば記者クラブの問題に関して言えば、テレビ局や新聞社などから「上杉は出すな!」という圧力がかかってきます。また役人も記者クラブを潰されたら困るので、“上杉問題”ということで話し合っている役所もあるほど。そして最大の抵抗勢力は、実はテレビに出ている政治評論家やコメンテーターと称する同業の人たちなのです。例えば毎日新聞で立派な肩書きを持っている人など。なぜ彼らが抵抗するかといえば、記者クラブを潰されるということは、彼らのビジネスモデルを崩されるから。

上杉 新聞は記者クラブがあることで、現場の記者から膨大なメモを手にすることができます。政治部の部長や編集委員クラスの人たちにとって、政治部で働くデスクやキャップは自分の後輩。そして後輩たちにメシをおごり、その見返りに情報をもらったりしています。つまり新聞社のエライ記者は現場に足を運ばず、メモを頼りに記事を書いていることが問題。

 これまで記者クラブは開放されていなかったのでメモは貴重だったかもしれませんが、もし開放されればそうしたメモの意味がなくなってしまう。記者クラブが開放されると、現場で取材しない「コメンテーター・ジャーナリスト」は淘汰されるわけです。これは世界的に見ても、当たり前のことなのですが。

窪田 その通りですね。

上杉 こうした政治評論家やコメンテーターこそ、ある意味、最強のスピンドクターなのかも。政治家や若い記者たちの守護神かもしれません。


■記者クラブに入りたくない理由


窪田 新聞記者が、“プチスピンドクター”となってしまっている。かつて『フォーカス』の清水潔記者が、桶川ストーカー事件※をスクープしました。この事件が起きたとき警察の記者クラブで発表がありましたが、新聞記者たちは「あの淫乱女は……」といった扱いでした。

※1999年10月、埼玉県のJR桶川駅前で、女子大生の猪野詩織さん(当時21歳)が男に刺されて死亡した。殺害事件後、報道被害を受けた詩織さんだったが、生前「私が死んだら犯人は小松」と遺言があった。殺害事件後も捜査本部が元交際相手を捜査した気配はなかったが、実行犯グループを写真誌『フォーカス』が暴いた。

土肥 ひどい話ですね。

上杉 僕は記者クラブを批判しているのですが、実は記者クラブがあることで恩恵も受けているんです。例えば首相官邸の記者たちは1~3階の往来は可能ですが、4~5階にある総理、官房長官、補佐官などの階には行くことができません。しかし僕は“記者”ではないので、入れるわけです。しかも民主党には秘書時代の元同僚が多いので、毎日のように会ったり電話をして情報交換をすることもできるのです。

 つまり僕のビジネスモデルでいえば、記者クラブはあった方がいいのです(笑)。取材は楽だし、情報を独占できるので。

 よく人から「お前も記者クラブに入りたいんだろう」と聞かれるのですが、アホらしい記者クラブになんか入りたいわけがない(笑)。

窪田 「入りたいだろう?」といった言葉が出てくることが、オカシイ。自分たちが置かれている状況が、いいと思っているのでしょうね。

上杉 僕は記者クラブに入りたいと訴えたことは一度もなく、単に「記者会見に出させろ」と言っているだけ。なぜなら、政治家が記者会見で話したことは「公約」になるから取材上都合がいい。例えば3月24日、僕は小沢一郎さんに「記者クラブを開けますか?」と質問しました。さらに5月16日、鳩山由紀夫さんにも「記者クラブを開けますか?」と聞きました。

 すると2人とも「開けます。どうぞ上杉さんおいでください」と言ってくれた。このように公の記者会見で発言したからこそ、いまこうやって記者クラブ問題について突っ込むことができるのです。もちろん民主党は困っています……なぜなら代表が会見の席で喋ってしまったから「公約」になっているわけですし。

記者会見の発言は公約になるので、ジャーナリズム側はそれを“武器”として使えます。ご存じの通り、石原都知事は東京にオリンピックを招致するため、国際オリンピック委員会(IOC)の総会に出席しました。実は彼の三選が決まった都知事選の記者会見のときに、僕はこのような質問をしました。「都知事は東京にオリンピック招致を公約に掲げていますが、もし2年後に落選したらどうしますか?」と。すると石原都知事は「そりゃあ男だからそれなりの責任を取りますよ。政治的に……」と言った。

 こういった経緯があったので、選考会が開かれたコペンハーゲンに行ってきたのです。そして東京の落選が決まった直後の記者会見で、僕は「2年前にお約束しましたが、どうやって政治責任をとるのですか?」と聞きました。

 なぜこのような質問ができるかというと、2年前の記者会見にちゃんと出席して、直接聞いていたから。記者クラブの悪いところは、人事異動でわずか2年前のことですら知っている記者がほとんどいなくなってしまうこと。多くの記者は数年で、ほかの部署に異動してしまいます。だから石原都知事の「公約」自体を知らないんですよね。

 記者会見というのは、権力側の人間と記者との丁々発止の場でもあります。だから「記者会見には入れろ」と訴えていますが、「記者クラブには入りたくない」とも言っています。



●取材現場では何が起きているのか? 新聞記者と雑誌記者に違い(5)http://bit.ly/8zSriD


大きな事件が起きたとき、新聞記者はどのような取材をしているのだろうか。その一方、主要メディアと比べ記者の数が少ない雑誌はどのような取材活動を行っているのだろうか。新聞記者と雑誌記者、その取材方法の違いについて、ノンフィクションライターの窪田氏が語った。


■若造記者でもスクープがとれたりする

上杉 手ごわいスピンドクター(情報操作の達人)がいれば、事前に「大臣、上杉がいますからこういった質問がきますよ」といった感じで、準備もするでしょう。しかし記者クラブ……つまり記者がプチスピンドクターと化しているので、本当の意味でのスピンドクターは不要ですよね。

窪田 逆に、記者側から「上杉が来ていますから、注意してください!」と告げ口する人もいる。お前はどっち側の人間なんだ、といった感じですよね(笑)。

土肥(編集部) 窪田さんは雑誌記者として、事件を追いかけることが多かったわけですが、警察の記者クラブには入れませんでした。どういった形で、取材活動をしていたのでしょうか?

窪田 よく新聞記者が行う夜討ち・朝駆けは、あまりしたことがありません。新聞記者と同じことをやって、同じ情報をつかんでも仕方がない。彼らよりも“上の情報”を手にしないと、週刊誌ではダメ。ある事件が起きても新聞記者の場合、まず記者クラブで会見が開かれるので、現場に到着するのが遅い。または来ないケースも多い。だから雑誌記者にとって、記者クラブという制度はありがたい(笑)。

土肥 新聞記者は記者クラブに行っているので、雑誌記者の方が1歩も2歩もリードしているということですね。

窪田 なので事件現場に行くと、他の雑誌記者の人たちとけんけんごうごうの騒ぎとなります。また大きな事件になると、新聞記者を含め、多くのメディアが殺到しますが、周囲から「あの記者、いい動きするなあ」と注目されるのは、たいてい雑誌記者。多くの新聞記者は事件現場の隣近所に声をかけ、サーッと帰ってしまう。

上杉 普通にちゃんと取材するのは、雑誌記者とフリーランスの方が多い。

窪田 現場百回ではないですが、僕の場合、他の雑誌記者が事件現場をあとにするまで、なかなか帰ることができませんでした。

上杉 じゃあ24時間、仕事しないと(笑)。

窪田 そうなんですよ。大きな事件が起きたときは、24時間働いている感じですね。でも現場で、新聞やテレビの記者からは悲壮感のようなものは感じられませんでした。彼らはすぐに現場を去ってしまうので、あとは雑誌記者の独壇場となってしまう。

 まさに取材し放題になるので、僕のような経験のない若造記者でも、スクープがとれたりするんですよ。

上杉 それは雑誌記者がすごいのではなくて、記者クラブのぬるま湯に浸かっている記者があまりにもヒドイだけ(笑)。彼らの多くは記者クラブにいることが「仕事だ」と勘違いしているから。

窪田 そうなんですよね。

上杉 この記者クラブの体質は、日本の一般企業と同じ。例えば上司が家に帰るまで、部下は会社に残って仕事をしなくてはいけない――。それと同じで、デスクやキャップが家に帰らないと、記者クラブを離れることができないんですよ。

窪田 報道の世界は日本的であってはいけないのに、すごく日本的な社会で仕事をしていますよね。


■新聞記者にとって一番怖いのは特オチ

土肥 窪田さんの場合、雑誌で記者や編集の仕事をしていて、その後、朝日新聞に就職されました。記者クラブがない世界から記者クラブがある世界に移ってみて、どのように感じましたか?

窪田 さきほども申し上げましたが、記者クラブは日本の一般企業と同じ体質で、県庁の人が帰るまで記者は帰れません。もちろん朝日新聞だけではなく、ほかの新聞社の記者も残っていますね。

上杉 要するに抜かれちゃいけないというマインドが強い。新聞記者にとって一番怖いのは特オチ※。スクープをとるよりも、減点主義なので特オチをすると評価が下がってしまう。

※特オチ:他社が一斉に報じているのに、1社だけ後れを取ったケース。

窪田 特オチをしたあとに、もしスクープをとったとしても“チャラ”にはできない。特オチをした時点で、「記者としての資質がなっていない」という評価をくだされてしまう。だから役所の職員が帰るまで、記者クラブに詰めていないといけません。夕方の5時までは記者クラブに詰めていて、その後「よーいドン!」といった感じで、それぞれの記者が独自取材を始めます。

上杉 記者クラブにいる人たちって、いろいろなことを自分たちで規制しているんですよね。例えば「そこに行ったらダメですよ」とか。

窪田 取材対象の幹部の人に言われているんでしょう。「あそこの家に行って、取材はしないように」とか。「ルールを守ってください」などと言われるんですが、ルールって言われてもなあ……みたいな。

上杉 なんのルールだよっ! お前たちのルールだろっ(笑)。

 僕が記者会見に入っていると、「記者クラブのルールを守れ」と言われてしまう。しかし記者クラブから排除されている人間なのに、なぜ自分たちのルールを押し付けるのかが理解できない。じゃあ、いつも会見に入れろというと、「それはできない」という。入れないということは自分たちの世界とは関係のない人間なのに、会見の席にいると「ルールを守れ」と言ってくる。本当に狂っている。

窪田 僕の場合、雑誌で記者クラブの外側にいた。しかし朝日新聞で働くことによって、記者クラブの内側に入れることができました。内側に入ってみて、一番驚いたことは規則が多いこと。記者クラブの中にはボードがあって「この記事は○時に解禁」とか書いてあるんです。しかし不思議なことに、記者はそれにきちんと従っているんですよね。ある人からは「それは絶対に破っちゃダメだからね」と言われてしまった。

上杉 破っちゃいけないという規則に対して、記者は忠誠を誓いますよね。しかし「なぜこの規則はあるの?」とか「なぜ規則を破っちゃいけないの?」ということを考えようとしない。

土肥 記者クラブの中にいると、疑問に感じず、いわば洗脳されてしまうということですか?

上杉 記者クラブの中に5年以上もいると、もうダメになりますよ。

窪田 また日本の新聞社の場合、新卒で記者となり、そのまま記者クラブに放りこまれるケースが多い。なので記者クラブから放り出されて、「はい、自由に取材してください」と言われても、なかなかできない人が多いのではないでしょうか。

上杉 朝日新聞やNHKなどで記者を10年ほどやっていた人が、雑誌記者に転職したら、まったく使えないことが多い。例えば「広報が閉まっていたので、取材ができませんでした」といったことを平気で言いますから。そうした場合、広報を飛ばして、取材するのが記者の仕事なのに。

 記者クラブにいる人たちを同業者と思うと腹が立つので、昔は「広報マン」だと思っていたんですよ。しかしそれも段々腹が立ってきたので、最近では「役人なんだ」と思っています。

窪田 ハハハ。

上杉 彼らのことを「役人」と思えば、きついことを言っても「ゴメンね。きついことを言って」といった感じで、心穏やかでいられる(笑)。

窪田 記者クラブに遅くまで詰めていても、「ご苦労さまです」と声をかけられるかも(笑)。