闇の検察「けんか両成敗」(その1)
(Japan Problem 2002/06/19)

http://www.taka-watch.com/CAJPN-admini-MC5.htm


登場人物

三井環         元大阪高検公安部長。58才。
              4月22日、詐欺容疑などで逮捕。
              同日付、同高検総務部付。
              5月10日、詐欺罪などで起訴。収賄容疑などで再逮捕。
              同日付、懲戒免職処分。
              5月30日、収賄と公務員職権乱用の罪で追起訴。
亀谷直人        山口組系暴力団組長。55才。
              4月22日、詐欺容疑などで逮捕。
              5月12日、処分保留のまま釈放。
田中徹          不動産仲介会社経営。57才。
              1974年に退職した元兵庫県警警官。
              4月22日、詐欺容疑などで逮捕。
              5月12日、処分保留のまま釈放。
渡真利忠光       山口組系暴力団組員。訪問介護事業会社経営。40才。
              4月22日、詐欺容疑などで逮捕。
              5月10日、贈賄容疑で再逮捕。
              5月30日、贈賄罪で起訴。
加納駿亮        大阪地検検事正→福岡高検検事長
川上道大        高松市のミニコミ紙社主。54才。
庫山恒輔        仙台市民オンブズマン事務局長
原田明夫        検事総長
東条伸一郎       大阪高検検事長
大塚清明        大阪高検次席検事→同公安部長兼任
森山真弓        法相    
小泉純一郎       首相


以上敬称略。


山口組系暴力団員・渡真利忠光は、既述の通り、亀谷組長の代理として三井氏側との買い取り交渉の窓口となっていた人物である。
5月から始まった交渉は、秋まではある意味「蜜月関係」(日経新聞2002.5.13夕刊15面)であったそうだ。
従って昨年の6月から7月にかけて、資金繰りがつかず期限に契約を履行できなかったにもかかわらず、引き続きマンションの部屋を使用し続けている負い目のあった亀谷組長側の代理である渡真利忠光組員が、三井氏を高級クラブで接待したり、デート嬢を紹介したりしたことは、かなりありそうなことである。


さあ、読者の皆さん。これが詐欺、収賄などの罪で起訴された元大阪高検公安部長のしたことである。
もちろん、国家公務員倫理法により、管理職クラス以上の公務員は、事業者から金銭の供与や接待を受けた場合、報告しなければならないと規定されており、三井氏の行為は同法に抵触していたと思われる。
また、家賃収入などを税務申告していなかった所得税法違反の疑いもある。

しかし、それらすべてのことを考慮しても、三井氏の行為が、現役の検察幹部として、逮捕に値するほどの「検察史上類を見ない」重大な犯罪であったのであろうか?
まして、たとえ現役の検察幹部であろうが、職務とは関わりのない副業ビジネスの上で、47万5,400円の登録免許税のごまかし詐取を行い、たまたま取引相手として接点ができた暴力団組員と数回酒食を共にして馳走に預かったことが、管理責任を問われて検事総長が、戦後の検察史上初の「懲戒処分」を受ける対象となる事件なのであろうか?

その原田明夫検事総長は4月22日、三井氏逮捕にあたっての記者会見で、
「今年に入り、金銭の授受や酒食の供応など、三井容疑者と暴力団関係者とを巡る黒い交際の情報が寄せられたため、内定捜査を進めたところ、今回の事件を把握した」と語った。
”文芸春秋”7月号に掲載された朝日新聞・落合博美記者のコメントによれば、少なくとも三井氏の私憤は、1999年1月には既に押さえられないものとなっていたようだ。

果たして、三井元大阪高検公安部長の私憤と、戦後の検察史上初と言われる原田検事総長の懲戒処分とは、係わり合いがあるのであろうか?
原田検事総長はこの事件を、「検察史上類を見ない不祥事」と言う。
一方、三井氏は、5月13日付の「声明文」の中で、「・・・・・収賄罪という国民受けの罪名を、暴力団員の嘘の供述のみによって犯罪事実をデッチあげ、それを真実として私の真相供述は否認と位置づけ、検察の組織的裏金づくりを闇に葬ろうとするものであります。・・・・・」と主張している。




古川利明の同時代ウォッチング
http://toshiaki.exblog.jp/m2006-10-01/   2006年 10月 25日

 「2億円問題」、すなわち、「桑田兼吉保釈工作」ですが、例のマンションの実質的所有者だった亀谷直人(指定暴力団山口組系2代目佐藤組内六甲連合組長)と、山健組の桑田の裁判担当で、保釈工作に奔走していた鶴城丈二(※山口組系侠友会会長。02年11月、桑田に対する2度目の保釈申請が却下される決定が出た日に、亀谷に射殺される。ちなみに、亀谷は殺人罪で懲役20年の実刑が確定し、現在、岐阜刑務所で服役中)、そして、桑田の秘書をやっていた、同じ山健組内の繁田という男(※三井環のオッサンがこの2億円問題について『月刊現代』03年12月号(同年11月5日発売)に公表した翌月、刺殺され、犯人は未検挙)に繋いだのは、ほからなぬ、自称・アウトロー作家の宮崎学です。
 宮崎は02年4月22日の三井環のオッサン逮捕後、山健組の関係者から、「三井のネタで、桑田の保釈を勝ち取れないか」と相談を受け、彼が動いて、この「2億円問題」が動き始めているのです。

 事実、02年8月初旬、新神戸オリエンタルホテル4階の、ロビー前にあるコーヒーショップで、この宮崎学も同席して、亀谷と、山健組側の鶴城、繁田の「4者会談」が実現しているのです。
 で、この場では、亀谷は「三井逮捕のウラには、大変なことがある。それをやると、検察だけの問題ではなく、山口組が国家に潰されてしまう」と、いったんは断っているのです。

 ところが、この後、亀谷は保釈中でシャバに出ていた渡真利忠光(※亀谷の企業舎弟で、三井のオッサンが落札した競売マンションの買い戻し交渉を、亀谷に依頼されてやっていた。例のデッチ上げ逮捕では、三井のオッサンへの"贈賄側"として、腐れ検察の筋書き通り調書を巻かれ、公判でも争わなかったため、実刑判決を受け、服役する)に持っていくと、渡真利は、自分の取り調べを担当した大坪弘道(現・神戸地検特別刑事部長)のところにこの話を持ちかけているのです。

 すると、大坪は渡真利に「お前が、協力してくれるなら、考えないこともない」と言ったことを、渡真利が、自分の兄貴分だった亀谷にいい顔がしたかったこともあって、「これは、イケるようです」と報告したことから、「2億円工作」が本格化していくわけです。

 実際、保釈工作は失敗に終わったため、亀谷が山健組側から受け取った「2億円の行方」は不明ですが、少なとも、宮崎学がこの工作の根幹部分で関わっているのは、間違いなく、事実です(ただ、保釈の方は失敗しているので、たぶん、宮崎はカネは受け取っていないと思いますが)。
 ですから、溝口敦の長男が山健組関係者に襲われた事件で、被疑者が逮捕された際、『週刊実話』に、宮崎学が「ヤクザを批判する者は、命はないものと思え」旨の発言をしている理由も、これでよくわかるでしょう。で、 私は何度か、三井環のオッサンと酒を飲みながら、この話をしました。

 私 宮崎学は私もよく知っているが、どうして、こんなことに彼が関わっているんですか?

 三井 カネだ。ヤツはカネで動く。

 私 でも、宮崎は、『カネに死ぬな、掟に生きろ』っていうタイトルの本を出しているですけどね(笑)

 三井 それは違うな(笑)

 私 少なくとも、私が知っている「彼」は、そうではないんですけどね。(01年夏の参院選で)白川新党では一緒に戦って。小泉の登場で、それまで出馬を承諾していた連中が、掌を返して逃げていき、「切り札」として、私が宮崎出馬を煽った。その結果、彼は出てくれたのだけれども、逆に今度は自分が宮崎学に出馬を説得されるハメになり、その場の勢いもあって、一度は「ウン」と承諾した。しかし、自分の中での、「政治と表現活動の間の一線を守る」というポリシーから、断った。そんな思い出もあるんですよ。
 ただ、三井さんが逮捕された直後に『アサヒ芸能』に書いたコラムで、三井さんのことを「悪徳検事」と糾弾していたので、それがずうーっと引っかかっていたのは事実です。人間、わからないもんですね。

 三井 (宮崎は)保釈直後は、しょっちゅう電話してきて、何度も会うたが、最近は、全然、連絡もなくなった。

 私 ふーん、そうですか(笑)

 で、なんともやりきれないのが、こうやって宮崎学が桑田兼吉保釈工作のウラで動いているのを、あの講談社ノンフィクション賞とかいう、たいそうな賞も獲得している魚住昭は知っているのですが、そこは「売文業者同士の仲良しこよし」ということで、見て見ぬフリをしているのです。まあ、私に言わせれば、魚住昭は、所詮、その程度のレベルです(#要は、朝日新聞の村山治と同類項や。恥を知れ!) 
 それを考えると、赤レンガ、マスコミはもちろん腐りきっていますが、「フリージャーナリスト」などと称している連中も、「五十歩百歩」という気がします。
 なぜなら、我々、ジャーナリストの生命線とは、「握った情報は、書く」。これ以外にないからです。


#三井環のオッサンの公判で、05年2月1日に有罪判決を言い渡した大阪地裁の宮崎英一裁判長の、例の「判決文事前漏洩モンダイ」で、ウラが取れたわけではないが、どうも、甲斐中辰夫が動いた可能性がある。コイツは、三井のオッサンと同じ、中央法科の出なんだよな。もし、シッポを掴んだときは、タダぢゃおかんからな。ちなみに、経歴を記しておくと、93年金沢地検検事正、94年東京地検次席検事、96年東京高検次席検事、98年横浜地検検事正、98年7月最高検刑事部長、99年4月東京地検検事正、00年高松高検検事長、01年6月最高検次長検事、02年1月東京高検検事長を経て、02年10月7日付けで最高裁判事に天下っておる。んで、今、最高裁の腐れ検察出身の判事は、この甲斐中と、01年10月27日に法務省刑事局長として、原田明夫、松尾邦弘と一緒に麹町の後藤田正晴のところに、「加納人事」を飲んでもらうよう、頭を下げに行っている、あの古田佑紀やからな。もう、ここまで来ると、「判検癒着」どころか、モロ、「判検一体」やからな(笑)。マンガの世界やで。



亀谷直人獄中手記「2億円モンダイのウラ取引のハナシ」

古川利明の同時代ウォッチング(2010年 10月 10日) http://bit.ly/bUsW3T

「日々坦々」の資料ブログhttp://ameblo.jp/asuma-ken/theme-10028306416.html