“漏れ”すぎた捜査情報……尖閣衝突事件を振り返る


尖閣諸島沖の中国船衝突事件のビデオが流出した問題は、多くの課題を投げかけた。この問題が長期化したのは現政権に問題があったことは言うまでもないが、思わぬとばっちりを受けた人もいる。それは……。


(Business Media 誠:相場英雄 2010年11月18日)http://p.tl/pIr0  


尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件を巡る海上保安庁からのビデオ動画流出問題が、依然尾を引いている。捜査当局は神戸海上保安部の男性海上保安官を確保したものの、逮捕はせず、任意の事情聴取を続ける方針を示した。流出元とされる海保保安官の守秘義務を巡る法解釈、あるいは公判維持の困難さなどは他の専門家にお任せするとして、今回は全く別の視点で一連の騒動を見てみたい。

 衝突事件問題がここまで長期化したのは政権の舵(かじ)取りがつたなかったことは明白だが、これに思わぬとばっちりを受けている向きが存在する。困惑しているのは、現場の捜査関係者たちだ。なぜ彼らが困り顔なのか。


■政権不信が招いた副作用


 「こんなに捜査の詳細をさらされたら、現場はたまったもんじゃない」(警視庁ベテラン捜査員)――。

 東京地検、警視庁・沖縄県警合同捜査本部が一連の動画流出事件を捜査する間、こんな声が筆者に届いた。

 さまざまなメディアの報道によれば、東京地検はYouTubeを運営するグーグルから動画を投稿した人物を割り出すため、IPアドレスなどの登録情報を差し押さえ令状に基づき押収した。結果、IPアドレスを割り出し、共同で捜査している警視庁の捜査員が神戸市内の漫画喫茶を特定した。その後、報道陣を巻き込んで、当該の神戸の現場が大騒ぎになったことは多くの読者が記憶しているはずだ。

 筆者が記すまでもないが、新聞やテレビの報道では、セキュリティー専門家の意見も交えつつ、どうやって衝突事件の画像がYouTubeにアップされたのか、詳細に伝えられた。この間、捜査員がどのようにこれを割り出したのかも明らかにされたのだ。

 筆者は実際に担当捜査員や担当幹部職員にネタを当てたわけではない。また、記者会見で事実が開示されたのか、あるいは夜回りで情報が漏れたのか、その詳細を知る立場にはない。ただ、マスコミ業界に長く身を置いてきた者として、今回の騒動には強い違和感を覚えているのだ。つまり、捜査情報が事細かくマスコミに流れ過ぎているとの印象が強いのだ。

 ここで冒頭の捜査員の言葉である。筆者が接触した捜査員は、今回の事件の担当ではない。ただ現場捜査員が驚くほど、事件の情報がマスコミに流れ、これが広く国民に伝えられているのだ。筆者、そして現場捜査員の何割かは、一連の“詳細な捜査情報の提供”が、上層部による保身だとみている。

 先週の本コラムでも触れたが、現政権に対する霞ヶ関のアレルギー反応は一般の読者が感じているよりも遥かに強い(関連記事)。もちろん、検察・警察当局も同様だ。

 ここからは筆者の取材で得た感触、そして想像であるが、事件捜査の詳細を明かすことにより、検察・警察当局は現政権からハシゴを外されないよう、あらかじめ保険をかけているように見える。つまり、“ここまで調べを尽くしましたが、逮捕には至りませんでした”という予防線を張っただけだと思えてしまうのだ。換言すれば、公判維持が難しいと分かっていた上で、政府中枢の命令には背けず、アリバイ的な捜査を行ったのではないか。


■今後の捜査に支障も

『偽計』(双葉文庫) 「捜査の詳細が明らかにされるのは良いことではないか」「元記者の立場で、お前はどちらの味方だ」――読者からこんなおしかりが出てくるかもしれない。ただ、小説の取材を通じ出会った捜査関係者たちの話を聞くにつけ、「報じても良いネタ・悪いネタ」は確実に存在すると筆者は感じている。つまり、詳細を報じることにより、犯罪者に対して捜査の手法をさらしてしまう、あるいは逃げ道を作ってしまうことがあるからだ。

 筆者は、巨額の身代金要求を伴うバスジャックをあつかった拙著『追尾』(小学館文庫)、市中の監視カメラを駆使して犯人を追跡する『偽計』(双葉文庫)などで、捜査関係者への取材をベースに据え、事件捜査の詳細を描写した。しかし、肝心のキモに関してはフィクションの要素で文面を埋めた。犯罪を助長したり、犯罪グループに利することはできないと考えたからだ。

 本稿の冒頭に触れた現場捜査員の声は、“詳細に捜査情報と手法が開示されることで、捜査員が犯罪人に先回りをされてしまう”という懸念が含まれているのだ。また、こうした一連の捜査情報が組織上層部の“対永田町”の戦略に使われているのではないか、という不満も充満している。

 捜査情報、捜査手法が公開されることになれば、一番苦労するのは実際に犯人を追跡する現場の捜査員であることは明白だ。彼らの士気が落ちてしまえば、巡り巡って犯罪検挙率の低下に通じるリスクもはらむ。海保保安官の一時的な身柄確保というイベントは、大きな代償を払ったと筆者はみる。

 現政権の舵取りミスがもとで起こった動画流出事件は、最終的に今後の警察、現場捜査員の捜査に支障をきたす恐れがあると指摘したら言い過ぎだろうか。