オバマ大統領のネット政策を葬った米国中間選挙 迷走を始めたネット中立論とブロードバンド規制強化


小池良次「シリコンバレー・イノベーション」
(現代ビジネス 2010年11月20日) 小池良次(Ryoji Koike)   http://p.tl/pA2O

11月上旬、米国で行われた連邦議会中間選挙で、野党リパブリカン(共和党)が躍進した。

 連邦議会下院で過半数を押さえた共和党に対し、与党デモクラート(民主党)は上院で過半数割れを"やっと免れた"わけだが、これにより政府と議会が与野党に分かれる"ねじれ議会"が来年1月から出現する。政局の行方は不透明感が増し、基金や補助金などを拡充する"大きな政府"を目指してきたオバマ民主党政権は、軌道修正を求められることになる。

 この軌道修正は、ハイテク関連の政策で既に始まっている。グーグルやマイクロソフト、ヤフーなどを支持基盤とするオバマ大統領は、これまでネット業界優遇政策を指向し"ネットワーク中立性法"の制定や"ブロードバンド規制強化"を目指してきた。

 しかし、この政策は暗礁に乗り上げた。今回の中間選挙では、ネット中立性支持を表明した上下両院の民主党議員95名が「全員落選する」という衝撃的な事態に直面したからだ*1 。


■ネットワーク投資ただ乗り論─とは何か

 ネット業界とブロードバンド業界は、ネットワーク中立性を巡って過去数年にわたり対立を続けてきた。しかし、今回の中間選挙で「ネットワーク中立性法の制定」は死んだ。同政策を表看板のひとつとしてきたオバマ政権は、苦しい状況に追い込まれている。そこでまず、ネットワーク中立性を取り上げてみよう。

 同問題は「議論の対立点」と「政治的な駆け引き」というふたつの側面をもつが、まず前者から見てゆこう。

 話は2005年前後にさかのぼる。米国の固定ブロードバンドは大手電話会社あるいはCATV事業者による市場独占が進んでいる。これはDSLにせよ、ケーブルモデムにせよ、あるいは光ファイバーにせよ、ブロードバンド・ネットワークの整備には数兆円の投資が必要で、政府は電話会社やCATV事業者に優遇処置を行い、設備投資を促してきた。

 これは独占をある程度容認する代わりに、巨大投資を民間ベースで進める考え方だ。これは日本も同じ道筋を経ている。

ただ、ブロードバンドの設備投資は"休み"がない。技術革新が早く、毎秒キロビットからメガビットへと広帯域化が進み、現在ギガビット・サービスへの準備が始まっている。

 つまり、提供地域を拡大するだけでなく、スピードアップを狙って最新設備の更新を続けなければならない。電話や放送であれば、ある程度ネットワークを建設すれば投資回収に入れるが、ブロードバンドは巨大投資を継続的に行わなければならない。

 この状況に耐えかね、大手通信事業者のAT&T*2 などは2005年頃に、ユーザーだけでなくインターネットでサービスを提供する大手ネット事業者に投資負担を求めたいと考えた。

 電話業界では、同サービスを利用する先行ユーザーにユニバーサル・サービスという名目で費用を徴収し、低所得者への無料電話や電話網整備の資金に充当している。こうした規制に慣れた通信事業者にとって、設備投資負担の分散をルール化することに大きな違和感はない。

 しかし、非規制で走ってきたネット事業者にとって違和感は大きく「負担によってネット事業者を選別する考え方だ」と反発した。

 グーグルやマイクロソフト、イーベイ、アマゾンなどの大手ネット事業者はNETCompetition.orgやMoveOn.orgといった市民系ロビー団体ばかりでなく、インターネット広告の業界団体Interactive Advertising Bureauや電子小売業界のOnline Retailing Allianceなど様々な団体と連携し、電話会社やCATV会社と対立する。こうして"ネットワーク中立性(Net Neutrality)論議"が始まった。

 推進派は「大手電話会社やCATV事業者からインターネットの自由を守ろう」と呼びかけ、連邦議員に働きかけてネット中立性法案の提出した。しかし、大手通信・放送事業者に近いブッシュ共和党政権は難色を示し、2006年6月8日、連邦議会下院は中立性を義務付ける修正条項を否決した。


■過激なネット中立性は「通信の進歩」をとめる

 中立性の論点を大別すれば、「ただ乗り論」と「不当なアクセス制限」の2点に集約できよう。

 最初の"ただ乗り論"については、当時の米ネット中立論が日本に飛び火した事例を見てみたい。2006年5月、総務省が主催する「IP化の進展に対応した競争政策のあり方に関する懇談会」(IP懇談会)に対して、グーグルがネットワーク中立性を求める意見書を提出している。この意見書は、当時のネット中立性に反する行為として、次のようなサービスを指摘している。

1) ツー・パイプ(Two Pipes)

 特定のコンテンツに優先的にアクセスできる回線サービスを消費者に提供する。これにより普通のサービスを使っている人は、特定コンテンツにアクセスしにくくなる。

2) ダブル・ディッピング(Double Dipping)

 インターネット接続サービス会社(ISP)が特別なアプリケーションを提供することでユーザーが優先的にコンテンツプロバイダーにアクセスできる環境を提供し、特別な料金を徴収する。

3) 独占契約(Exclusive Dealing)

 第3者とISPが契約を結び、優先的にトラフィックやサービスを提供する環境を整備して、追加料金を徴収する。

4) ネットワークの最適化(Network Optimization)

 ローカル・サーバー(ネットワークの末端にあるサーバーのこと)の蓄積機能などを使って、ISPが特定のコンテンツやサービスに優先的にアクセスできるようにネットワークを最適化すること。

5)サービス品質保証(Quality of Service)

 ISPが、特定のトラフィックを最適化するようにソフトウエアを設計すること。


この5条項はわかりにくいが、中立性の推進派の主張を要約すると次のようになる。

 インターネットは「トラフィックを大量に集めた個人や団体が圧倒的に有利になる」という特殊性を持つ。もし「ネットを優先利用するためには費用がかかる」という環境が普及すると、費用を払えるユーザーや大手プロバイダーはますます多くのトラフィックを集め、中小や個人などは良いコンテンツを提供していてもユーザーに届けにくくなるという不公平が生じる。

 しかし、当時の意見書にある5項目を通信事業者が本気で実行すれば、ブロードバンドの技術進歩は止まってしまうだろう。ブロードバンドはサービスであり「より早く、より確実で、使いやすい」プランを通信事業者が開発し、ユーザーを増やしてゆかなければ、ビジネスは伸びないからだ。ユーザーにすこしでも差がでるからといって、便利なサービスを制限すれば、ブロードバンドを守るつもりで、それを殺すことにもなりかねない。

 この過激なネット中立論は、過去5年の対立を経て、影を潜めている。現在、中立性推進派も回線のプライオリティー(優先)サービスやネットワークの付加価値サービスは重要だと認めている。逆に、そうしたサービスが正しく提供されているかどうかを消費者がチェックできるように、「ネットワーク運用性の透明化」を求めている。


■不当アクセスは禁止されるべきもの

 一方、ネット推進派は、競合サービスに対する不当なアクセス制限も批判の対象とした。具体例としては2005年3月、ノースカロライナ州のブロードバンド事業者であるマディソン社(Madison River Communication)が自社のIP電話サービスを有利にするために、ユーザーが他社のIP電話サービスを利用できないようにアクセス制限をかけた。

 この問題では、米IP電話大手のボネージ(Vonage)社の訴えに対応して連邦通信委員会が介入し、ISPに対して改善指導と1万5000ドルの罰金を科した。ただ、こうした悪意のある不当なアクセス制限の事例は少ない。こうした不当アクセスが"横行している"と認識するのは「誤り」だが、不当アクセスの禁止はネットワーク中立性議論における重要なポイントといえるだろう。

マディソン社事件のように、自社の中核事業やコンテンツで競争にさらされた場合、プロバイダーは優位な地位を使って、競合事業者に対抗したいという誘惑にかられる。こうした誘惑に歯止めをかける規制は必要で、2005年9月に連邦通信委員会(FCC)が「ブロードバンドに関する指針(Broadband policy statement)」という異例のステートメント(行政指導)を発表した。

 これは、インターネットのユーザーが、1)どのようなコンテンツやサービスにも、2)どのような機器からでも、3)適切な手段によって、アクセスできることを保証すべきである---という内容で、後にFCC中立性ガイドラインと呼ばれるようになる。

 この行政指導の影響は大きく、2006年の春に開催された電話業界の会議「テレコムネクスト」でも、大手電話会社CTO(最高技術責任者)が「不当なアクセス制限をする気はない」と再三、聴衆に訴えかける場面があった。

◇◇◇

 しかし、この中立性ガイドラインは後に、ブロードバンド規制の強化を狙うFCC自身を悩ませることとなる。次回は、この点について解説しながら、中間選挙で修正を余儀なくされた米国のブロードバンド政策の行方をさらに検討してみよう。