ブラックボックス化された検察審査会による強制起訴を考える


『法と常識の狭間で考えよう』ネットワーカー弁護士の独り言 

山下幸夫弁護士 2010.10.27  http://p.tl/39Lz


検察審査会制度の意義が大きく問われる事態となっている。

 民主党の小沢一郎氏の資金管理団体「陸山会」が2004年に土地を購入した際、小沢氏の手持ち資金4億円を原資としながら、同年、2005年、2007年分の収支報告書に虚偽の記載をしたなどとして、東京地検特捜部による強制捜査が実施され、衆議院議員石川知裕氏ら元秘書3人が起訴された。

 東京地検特捜部は、2010年2月に小沢氏を不起訴処分(嫌疑不十分)としたが、小沢氏を告発した市民団体が不服として、検察審査会に審査を申し立てた。これを受理した東京第五検察審査会は、2010年4月、「起訴相当」を議決した。その後、東京地検特捜部は小沢氏と元秘書らを再聴取したうえで、「新証拠が得られなかった」 として、2010年5月に、改めて小沢氏を不起訴としたため、東京第五検察審査会が第2段階の審査を進めていたが、2010年10月4日に起訴議決をしたことが公表された。

 これによって、全国で4件目(既に、兵庫で2件、沖縄で1件の強制起訴が行われている)の強制起訴になることが決定した。

 小沢氏は、この起訴議決に対して、その取消を求める行政訴訟を、2010年10月15日に東京地裁に提起し、執行停止を申し立てたが、東京地裁は、「刑事裁判において争うべきである」として10月18日に執行停止申立を却下し、それに対する東京高裁への即時抗告も棄却されている。

 2010年10月22日には、東京第二弁護士会が東京地裁に推薦した3名の弁護士が指定弁護士として任命されて、強制起訴に向けた動きが開始されている。早ければ年内にも起訴される見通しである。

 私は、かつて、検察審査会制度は、新たな被告人を生む制度であり、現在の日本では起訴されるだけで、マスコミに「犯人視」報道され、ほとんど有罪視されることから、社会生活上も様々な不利益を受けるおそれがあることを指摘したことがあるが(検察審査会制度の改革と今後の課題)、まさにそのような事態となっている。

 今回、小沢氏という日本の政治家の中でも希有な実力者について強制起訴される事態に至ったが、メディアでは小沢氏を「犯人視」して大々的な報道をしている。それを受けて、現在行われている臨時国会においても、自民党を始めとする野党からは、小沢氏の証人喚問を要求する動きがあり、与党である民主党内においても、政治倫理審査会での説明は避けられず、岡田幹事長が小沢氏にそれを要請するという動きとなっている。

 ところで、今回の東京第五検察審査会による第2段階の審査については、何回審査会が開かれて、どれ位の時間をかけて審査が行われたのか、審査補助員が審査においてどのような役割を果たしたかなどが全く公開されないために様々な憶測を生んでいる。

 特に、検察審査会事務局が公表した審査員の平均年齢が、当初、30.9歳で異例に若いことから話題となったが、その後、事務局が何度も訂正を繰り返し、最終的に34.55歳に訂正されたが(東京新聞2010年10月16日付「こちら特報部」記事)、その経緯が不可解であることから、果たして検察審査員は実在するのかという根本的な疑問すら出されるに至っている。

 この経過から言えることは、検察審査会は、そこに参加する市民のプライバシー等を守るために、極端にブラックボックス化し過ぎたのではないかということである。これは、同じ時期に作られた裁判員裁判についても同様であり、市民である裁判員のプライバシーを守るために、判決書にも裁判員の氏名は記載されないし、法廷でも名前は呼ばれず、テレビ撮影にも映されない。

 しかしながら、そのようにブラックボックス化された検察審査会が、検察官とは別に、独立した強制起訴権限を有することになった訳であり、本来であれば、ある程度の説明責任を負うべきところ、ほとんど説明責任が果たされないような制度設計になっていることが今回明確になったと言える。

 検察による起訴については、日本の裁判所では99.9%の有罪率であると言われており、それが起訴による「犯人」視に繋がっているが、検察審査会による起訴の場合にはそのような高い有罪率になるとは考えにくい。

 公務員犯罪について検察官が起訴しなかった場合に、地方裁判所に付審判請求をして裁判所が審理し地方裁判所が理由があると認めた場合には起訴されたものとみなすという付審判制度においても、弁護士が検察官役を務めて刑事裁判を追行しているが、その有罪率は概ね50%程度だと言われている。この違いを十分に理解しなければならない。

 だから、検察審査会による強制起訴を導入する際には、強制起訴による「犯人視」によって、起訴される者の名誉や信用が低下させられ、社会生活上様々な不利益を受けるおそれがあるから、そのような懸念を完全に払拭するようにしなければならなかったのに、そこには何の手も付けないまま、検察審査会による強制起訴制度を導入した点に問題があったことになる。

 ブラックボックス化した検察審査会に、強制起訴権限を与えたことは、別の面でも、新たな問題を提起している。

 2010年10月25日、鹿児島県阿久根市の竹原信一市長が独断で専決処分を繰り返した問題に関連して、「行政関係事件専門弁護士ネットワーク九州」のメンバーである弁護士ら25人が阿久根市長を背任容疑で刑事告発した。これは不起訴になった後の検察審査会を睨んだ動きであることは明らかである。

 
今後、市民が、検察審査会による強制起訴に期待して刑事告発する動きが広がることが予想されるが、それは、結局、国家権力による刑事制裁の発動に期待するという動きであり、本当にそれで良いのかという疑問も出るところである。

 元々、検察審査会に強制起訴権限を付与するなどの改正は、裁判員制度の導入などが行われた司法改革の際に併せて実施されたが、国会でもほとんど議論されることなく、政府の司法改革推進本部が作成した法案を丸呑みして制定されたものであり、国会による議論はほとんど尽くされていない。

 小沢氏をめぐる検察審査会の動きは、改めて、ブラックボックス化した検察審査会の権限の強大さとその説明責任の欠如を明らかにしてくれた。この機会に、私たちは、もう一度、検察審査会のあり方がこのままで良いのかについて考える材料を提供してくれている。私たち市民が検察審査会とどう向き合っていくのかを真剣に考えていきたい。