菅と仙谷「自民党と組む」永田町激震スクープ 大政奉還?


永田町ディープスロート
(現代ビジネス 2010年12月06日) http://p.tl/NM_f


 菅首相は自らを高杉晋作になぞらえている。だが、いまの首相に、高杉のような改革者の志は微塵も感じることができない。権力の座に居座り続けるためなら、国民から見放された政党とも野合を図る。その行動は滅びゆく者のそれとしか見えない。

「鳩山より長くやりたい」

 東京・港区麻布十番に、政界要人や芸能人ら、著名人が訪れることで知られる高級中華料理店がある。

「富麗華」というのが店の名前だが、その夜、店内には菅直人首相の高笑いの声が響いていた。

「仙谷由人官房長官らと、個室で会食されているようでした。中の様子は分かりませんが、部屋の外に聞こえるくらいの菅さんの笑い声が、何度も聞こえましたよ」(店に居合わせた客)

 この日(11月24日)は、前日の北朝鮮による砲撃で、韓国側は兵士の他にも、一般市民に2名の死者が出ていたことが判明していた。隣国の一つである日本にとって、北の暴発は他人事ではない。

 ところが、この国のトップ二人は、そんな危機の真っ只中だというのに、高級中華店で笑い声を上げながら、ノーテンキに盛り上がっていたのだった---。


 菅首相と仙谷官房長官、この二人、本当は仲がかなり悪い。首相は仙谷氏のことを、小うるさくて煙たい存在と思っているし、仙谷氏のほうは、最近も「菅と一緒にいると、オレのほうまでダメになる」と周囲に漏らすなど、内心ではバカにしきっている。そもそも、水と油の関係なのだ。

 しかしこの日、二人は表面上、そうした互いの葛藤を押し殺し、北朝鮮の砲撃もそっちのけで、互いに酒を酌み交わしていたわけだ。いったい、二人の間に何が起きたのか。

 実はその前日の23日、両者の間で、ある「合意」が結ばれていた。民主党ベテラン議員の一人がこう語る。

「首相と官房長官は結託して、なんと自民党に対して連立を申し入れることにしたのです。菅首相は失言問題を起こした柳田稔法相を22日に更迭しましたが、野党は勢いづいて仙谷氏らの問責決議案まで用意し、補正予算の成立もままならない。そのドン詰まり状態を打開するため、自民党に手を突っ込んで手を結ぼうと計画したのですよ」


 本来、相容れないはずの菅・仙谷コンビが、それでも付かず離れずの関係を保っているのは、二人の間に唯一にして絶対の共通目的があるからだ。

 それは、「何が何でも政権を維持する」こと。首相は国会で「石に噛り付いてでも」と口にしたが、同時にこんなふうに側近らに漏らしている。

「鳩山(由紀夫前首相)より、一日でも長くやりたい」

「来春の訪米は、ぜひ実現したい」

 一方で仙谷氏のほうも、陰では菅首相を小バカにしながらも、こう話している。

「菅はどうしようもないが、菅が倒れたら民主党政権自体がおしまいだ。否応無く、支えざるを得ないんだ」

 かくして彼らは、内心はたとえ顔も見たくないような間柄であっても、権力の座を守るために、あらゆる手立てを講じようとしているのである。

小沢に土下座してでも・・・
 実際、自民党と組む・・・という仰天プランに辿りつく前に、菅・仙谷コンビは、彼らにとって"悪魔"のような存在とも手を結ぼうとしていたという。

「問責決議で自分の首筋まで涼しくなっていた仙谷氏は、不倶戴天の敵であるはずの、小沢一郎元幹事長にまで"土下座"をし、政権の安定化を図るつもりでいたようです。ただ、これに対しては、小沢氏に何度も煮え湯を呑まされ、かつて彼を"悪魔"と呼んだ、仙谷氏の相談役・野中広務元官房長官が強く難色を示したため、断念したそうです」(同)

 そもそも、小沢氏自体が、現在の菅政権を完全に無視している。政治とカネの問題に絡む国会参考人招致の件でも、頑なに政府・与党の要請を撥ね付けており、たとえ土下座をしようと、菅首相らが会話できるような状況ではない。


 小沢懐柔は期待薄・・・となれば、ホンネを言えば、菅首相も仙谷氏も、国会運営では公明党と連携をしたい。だが、菅首相は野党時代に、公明党と創価学会の関係を「政教一致だ」と激しく糾弾し、学会から「仏敵」扱いされた過去がある。したがって、公明党と手を組んで難局を乗り切ろうというのも、虫が良すぎる。

そこで、苦肉の策として浮上したのが、「自民党との連携」だったのだ。水面下で進められていた交渉が、表面化するきっかけとなったのは、11月18日、「たちあがれ日本」の与謝野馨元財務相が、唐突に首相公邸を訪れたことだ。

 民主党幹部がこう語る。

「表向き、菅首相が与謝野氏に対し、国会運営正常化のための助言を求め、与謝野氏は野党党首との直接協議を勧めたことになっている。だが実際には、元自民党の幹部で公明党ともパイプがある与謝野氏に、自民党との連立を見据えたアドバイスを聞いたようだ」

 実は与謝野氏は、民主党が惨敗した参院選後の8月8日にも、菅首相と"密会"している。この日、菅首相は築地の寿司店「樹太老」で、囲碁棋士の小川誠子氏と会食したが、それはあくまで口実だった。

「菅首相は午後5時頃から同9時頃まで、4時間も店にいました。首相が公邸に帰った後、1時間ほどして与謝野氏が店から出てきた姿を捕捉され、密会がばれた。首相はこの日、夏風邪をひいて体調は最悪だったのですが、身体を引きずるようにしてやってきた。それだけ与謝野氏との密談を重要視していたのでしょう」(全国紙政治部記者)


 これ以後、与謝野氏と首相は、しばしば電話で政権運営などについて相談を交わす仲になったという。先日横浜で行われたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の前、菅首相はサミット開催経験のある福田康夫元首相の助言を仰いだが、「話を聞いたほうがいい」と言って間を繋いだのも、与謝野氏だったという。


■「大連立」という亡霊にすがる


 与謝野氏に福田氏、そして、懐柔を諦めたとはいえ小沢氏。菅首相が接触を図っている人々には、ある共通項がある。

 それは、2007年の「大連立騒動」の登場人物ということだ。当時、やはり「ねじれ国会」に苦しんでいた福田元首相は、与謝野氏の後ろ盾である中曽根康弘元首相や、その盟友の渡辺恒雄・読売新聞グループ会長らの支持を得て、民主党の小沢一郎代表(当時)と、いわゆる「政界大再編」を画策した。

 ただその際は、小沢氏が民主党内をまとめきれずに、構想が瓦解。再編は将来に持ち越されて現在に至っている。


 当時の福田氏と同様、国会運営に苦しむ菅首相が、そんな噦曰くつき・の人脈にすがっているのはなぜか。当然、「同じ目的」があると見るのが妥当であろう。

「所属議員が6名しかいない『たちあがれ』では、たとえ連立できても、国会のねじれは解消できない。しかし与謝野氏は、竹下亘氏や後藤田正純氏など、自民党に子飼いの議員を残しており、切り崩しを期待することもできる。ただ、選挙区の調整が難しいので、完全な連立は困難。現在の政局を乗り切るため、次の選挙まで時間を区切った、あくまで時限的な連立話です」(前出・ベテラン議員)

 一見、荒唐無稽にも思える「民・自連立」構想だが、菅政権が、そうした奇策に走らねばならないほど、追い詰められていたのは紛れもない事実。尖閣衝突事件を巡る対応で、仙谷氏や馬淵澄夫国交相らの問責決議案が野党から素早く提出されていれば、補正予算は成立せず、支持率はさらに暴落して、菅政権は墜落するのが確実だった。

そんな死に体の政権を救ったのは、皮肉にも23日に発生した北朝鮮の砲撃事件だ。

「神風が吹いた!」


 政府高官の一人は、韓国が砲撃されたとの報を受けた直後、こう言ってはしゃいだ。北朝鮮の暴発により、国際情勢が緊迫化したため、野党側は問責決議案の提出をいったん自重。補正予算成立にも協力することになり、崩壊寸前だった菅政権は一息つくことができたのだった。

 冒頭で紹介した菅首相の不謹慎な高笑いには、まさしくそのホンネが表れていたということになる。

「助かった」

 首相は心からそう思い、仙谷氏とともに、"祝杯"を上げていたのだろう。そうして結果的に、「自民党に対する連立工作は、いったん棚上げになった」(前出・民主党幹部)のだ。

 しかし首相らが浮かれていられるのも、ほんの一瞬の酔夢に終わりそうだ。自民党国対幹部がこう語る。

「問責決議案に関しては、あくまで提出を延期しただけ。12月3日に臨時国会は会期末を迎えるが、問責はその前に、参議院で可決する。会期末近くに出しても意味がなさそうだが、狙いは来年1月の通常国会。冒頭から、『問責された大臣の元で審議はできない』と、大荒れになる。菅政権が行き詰まる時期が少し延びただけだ」


 その時、再び菅首相と仙谷氏は、自民党との連立を模索するかもしれない。だが、道は相当に険しい。

「菅首相は与謝野氏を頼りにしていますが、与謝野氏が首相と会っただけで、『たちあがれ』の代表・平沼赳夫氏のもとには、支援者たちから『裏切り者の与謝野を辞めさせろ』と抗議メールが殺到しました。菅政権はそれほど嫌われており、与謝野氏が首相の甘言に乗り、政権維持に協力するような姿勢を見せたら、即座に党を除名される見込みです」(別の全国紙記者)


■もはや無法地帯


 また、菅・仙谷コンビにとっては、何より"身内"の扱いが厄介だ。

 柳田前法相のクビ切りに最後まで抵抗した、民主党参院のドン・輿石東議員会長は、「官邸への非協力」を宣言し、傘下の羽田雄一郎参院国対委員長、平田健二同幹事長に「サボタージュ」を指示。結果的に北朝鮮の砲撃に救われたが、菅首相らが補正予算の審議を巡って野党と一時交渉不能に陥って泡を食ったのは、この輿石氏の叛乱のためだ

「どうだい。(官邸の威信が地に墜ち)これで無法地帯になったぞ」


 嫌がらせに成功し、輿石氏はほくそ笑んでいたという。そして、周囲にこうも語っている。

「参院民主は動かない。批判は官邸に向かい、官邸の完敗だ」

「自民党には、菅と手を握る者はいない。菅は、誰と手を握ればいいのかもわからない」

 首相らが奇策に走ろうとしているのは、参院のねじれ解消のため。なのに、その参院のボスが、協力するどころか足を引っ張りまくっている。これではどんな策を弄しようと、政権浮揚はあり得ない。

 そして、このような輿石氏らの「倒閣運動」の裏にいるのが誰かと言えば、それは言うまでもない。小沢一郎元幹事長である。


 小沢氏は最近、シンパの議員らとの会合を繰り返している。11月19日には、「一新会倶楽部」の1年生議員らと会食し、

「このままでは日本の政治は終わってしまう。いまの民主党の支持率で選挙に雪崩れ込んだら、1年生には厳しい選挙になる。"常在戦場"で行け」

 と、活を入れた。検察審査会による起訴議決を受け、強制起訴を待つ身として逼塞しているかのような小沢氏だが、同氏のグループに属する中堅議員の一人は、強気の姿勢を崩さない。

「保守合同を目的にした大連立は、小沢さんが本家。与謝野氏にしろ自民党議員の大部分にしろ、ホンネでは菅や仙谷みたいな素人と組むくらいなら、小沢さんのほうがいいと思っている。彼らと組むのは、行き場所が無い森喜朗元首相や町村信孝元官房長官ら、ロートルだけだろう(笑)」

 菅首相は就任時、政権を「奇兵隊内閣」と称し、自らを幕末の革命児・高杉晋作になぞらえた。だが、政権維持に汲々とし、手段を選ばないその姿は、同じ幕末の登場人物でも、むしろ徳川幕府最後の将軍・慶喜に近い。言うことがブレてコロコロ変わり、その変節漢ぶりから「二心殿」などと陰口を叩かれていた慶喜は、そういう意味でも菅首相にソックリだ。


 そんな徳川慶喜にも、歴史的には大きな功績がある。理由の半分は徳川家存続のためとは言え、大政奉還を決意し、結果としてその後の革命戦争での流血を最小限に抑えたことだ。

 だから、菅首相も慶喜に倣うことを勧めよう。このまま菅政権が続く限り、日本という国家の威信は大きく傷つき、国民生活の出血も止まらない。菅首相が決断すべきは、「平成の大政奉還」だ。もちろん、政権を奉還されるべきは、国民だ。国民に信を問う、つまりは解散・総選挙である。