「記者会見オープン化」に冬、到来――菅政権の情報公開は鳩山政権より大幅に後退


週刊・上杉隆
(DIAMOND online 2010年12月9日) http://p.tl/zZfe


■9月17日以来、約3ヵ月ぶりの首相会見にて…


 9月17日の記者会見を最後に、一切開かれなかった首相会見が、約3ヵ月ぶりに開催された。冒頭、菅首相は次のように語り、臨時国会の運営を自画自賛した。

〈この臨時国会の間、国会の議論も大変なところもありましたけれども、私にとっては国会の内外を通して、大変実り多いこの間であったと、このように感じているところであります〉(首相官邸HP・菅内閣総理大臣記者会見(H22.12.6)より)

 一連の尖閣諸島問題、ビデオ流失問題、法相更迭、メドベージェフ露大統領の北方領土訪問、北朝鮮砲撃事件など、筆者の記憶によればこの3ヵ月間の菅内閣は、厳しい舵取りを強いられ、その政権運営に非難が集中した、と記憶していた。だが、どうやら、それは筆者の記憶違いだったようだ。

 菅首相は「実り多い」と断言するし、この3ヵ月間、午前・午後の1日2回、週10回以上にわたって、菅首相や仙谷官房長官に接してきた新聞・テレビの記者たちからも一切、異論の声があがらない。

 やはり首相官邸どころか、国会議事堂にすら立ち入りできないフリーランスジャーナリストの記憶というのは、こうも頼りないものになってしまうのだろう。

 自らの低脳を嘆きながらも、引き続き首相の言葉を追うことにした。

 記者クラブメディアの質問が一通り終わり、NHKの生中継が終わったところで、ようやくビデオジャーナリストの神保哲生氏に質問が当たった。

 神保氏はこの一年間、フリーランスのジャーナリストたちによって繰り返されてきた「記者会見オープン化」の質問を、またもや繰り返した。

〈菅政権になってから、民主党は本来の一丁目一番地である情報公開というものが、特に菅政権となってから、必ずしも進んでおりません。記者会見の解放というのも実際に止まっておりますし、予算編成の過程についても透明化というものが進んでおりません。

 実際、直接訴えるというようにおっしゃったのですから、今後具体的にどのような形でそのような形をとっていくのか。会見の回数を増やすのか、あるいは透明性を増すような何らかの措置を採られるのか。もう少し具体的なお話を伺えればと思います〉(同前)

 これに対して菅首相はこう答えた。

〈記者会見については、この今日の会見も含めて、私の会見は基本的にはオープンになっていると承知をしております。もしそうでないのであれば、それは改善しなければなりませんが、そのように私自信は理解いたしております〉(同前)

 この瞬間、思わず私は仰け反った。いったいこの人はこの半年間、何をしてきたのだろうか。いや、私の記憶違いかもしれない。きちんと言い分を聞こうと気を取り直した。


■「どういう形があるのか……いい案があったら、是非教えてください」


〈各閣僚においては、いろいろな形がとられていると思いますが、基本的には、できるだけオープンにするようにということを私からも、閣議なり、閣僚懇の席で申し上げたいと思っております。

 それ以上にどういう形があるのか。私もメディアの皆さんとのお付合いが、なかなか野党時代のように自由に、以前でしたら、我が家に何人か来られて、少しお酒でも飲みながら懇談していたんですが、なかなか難しいですね。それは決して、私が制限しているということだけではなくて、総理という立場だと一部の人にだけそういう機会をということが、多少逆の意味で、皆さん方の中で問題になるといったこともあるようでして、逆にどういう形であれば、もっとフランクに 私の考えていることが皆さんを通して、国民の皆さんに伝えることができるか。これは本当に努力したいと思っておりますので、神保さんもいい案があったら、是非教えてください〉(同前)

 どうやら私の記憶違いではなく、単に首相の頭が変だったようだ。


■思い起こせば半年前の就任直後、筆者の質問に菅首相の答えは


 半年前、就任直後(6月8日)の記者会見で、筆者は菅首相にこう質した。

〈96年の夏に旧民主党ができて、ここに至るまで14年間経って、菅首相がこうやってこの場に誕生したことにまず 感慨深いものを思いますが、そこで振り返ってみて、当時旧民主党がディスクロージャーというのを掲げて、開かれた政治というのを打ち出しました。その精神 が生きているとしたら、今回政権をとったこの時点で、例えば官房機密費、並びにこうやって開いていますが、全閣僚の政府会見、そして何と言っても菅さんが先ほどおっしゃいました官房長官の会見等を、国民のために完全に開くという御意気はあるのかどうか。鳩山前首相はそれについては約束をしてくださいましたが、菅総理はどうなのかお伺いします〉(首相官邸HP・菅内閣総理大臣記者会見(H22.6.8)より)

それに対して、菅首相はこう答えている。

〈開くという意味が、具体的にどういう形が適切なのか、私も総理という立場でまだ検討ということまで至っておりません。率直に申し上げますと、私はオープンにすることは非常にいいと思うんですけれども、ややもすれば何か取材を受けることによって、そのこと自身が影響をして政権運営が行き詰まるという状況も、何となく私には感じられております。

 つまり、政治家がやらなければいけないのは、まさに私の立場で言えば内閣総理大臣として何をやるかであって、それをいかに伝えるかというのは、例えばアメリカなどでは報道官という制度がありますし、かつてのドゴール大統領などはあまりそう頻繁に記者会見をされてはいなかったようでありますけれども、しかしだからと言って国民に開かれていなかったかと言えば、必ずしもそういうふうに一概には言えないわけです。

 ですから回数が多ければいいとか、あるいは何かいつでも受けられるとか、そういうことが必ずしも開かれたことではなくて、やるべきことをやり、そしてそれに対してきちんと説明するべきときには説明する。それについてどういう形があり得るのか、これはまだ今日正式に就任するわけでありますから、関係者と十分議論したいと思っています〉(同前)

 つまり、菅首相は、半年前と同じ質問に対して、同じような回答を繰り返しているのである。この半年間、菅首相はいったい何を変えたというのだろう。


■変わったこともあるにはあるが…

〈司会進行を担当するのは千代幹也・内閣広報官。千代氏は前職の内閣総務官時代、7人の官房長官に仕えた。大阪地裁での内閣官房機密費の使途開示を求める訴訟では証人として出廷。機密費の実態を知る人物。私を当ててくれるだろうか〉(フリーライター・畠山理仁氏のツイッターより)

 そう、実際、広報担当官は替わった。だが、畠山氏がほのめかすように悪い方向に変わっただけだった。

 これで、過去に官房機密費を追及する質問をした畠山氏、岩上安身氏、田中龍作氏、そして筆者が指されることはないだろう。これが菅政権の言う「クリーンでオープンな政治」だったのか。

 いや、もうひとつの変化も記さなければ、首相に対してアンフェアとなってしまう。

 もうひとつの変化は、10月、フリージャーナリストの下村健一氏が、内閣広報室内閣審議官に就任したことだ。

 下村氏は今年4月、公的機関の記者会見の無条件オープン化の「アピール文」に署名した同志のひとりである。きっと何かを変えてくれると多くの期待が寄せられていた。


■かつての同志が審議官に就任したが現在のところは期待も虚しく

〈すみません、“一応”の期待にすら応えられず…と言うか、「仕切りが下村さん」というのも、そもそも違うし…>(下村健一氏ツイッターより)

〈続き/総理会見終了後、会場で上杉・岩上・畠山氏らには声を かけ、「下村は一体何やってるんだ会」を年明け頃にやろう、とこちらから提案。立場的には辛い場になるだろうけど、無自覚のうちに官邸の思考法みたいなものに染まりつつあるかも知れない自分を正常化するには、絶対そういう場が必要〉(同前)

このつぶやき直後、ジャーナリストの江川紹子氏は同じ会見場でこう書いている。

〈あほくさ。そんな下らん会をやるより、首相がもっと十分に質問に答える記者会見をやるとか、官房長官会見をオープン化したらどおかにゃ〉(江川紹子氏ツイッターより)

 まさしく江川氏の言うとおりである。菅政権になって、官房長官会見のオープン化も、ぶらさがり会見の廃止も、月一回程度の首相会見の約束も、何一つ果たされていない。

 すべて反故にされたうえ、鳩山政権時代よりも酷くなっているのが現実である。

 発足当初、筆者が菅内閣を「情報暗黒内閣だ」と繰り返し述べた理由は、ここにある。

 もはや何も期待しないし、何もする必要もない。菅首相は、単に、自らの語った言葉だけを思い出してほしい。ただ、それだけである。