いい加減、財務省べったりの「予算案報道」は止めたらどうか
またまた埋蔵金が出てきた本当の理由


長谷川幸洋「ニュースの深層」
(現代ビジネス2010年12月24日) http://p.tl/rCgg


2011年度の政府予算案が12月24日に閣議決定される見通しだ。

 歳出規模は92兆円台半ばに達し、過去最大規模になる。焦点の新規国債発行額(これが財政赤字)は44兆円程度に上り、国債費(過去の借金の元利返済)を除く歳出規模(いわゆる政策経費)は71兆円程度になりそうだ。

 44兆円と71兆円という数字は、ともに鳩山由紀夫前内閣が6月の閣議決定で定めた上限の金額だ。一応ハードルをクリアした形にはなった。もしも同じ民主党政権の約束を守れなかったとなると、いよいよ「民主党は信頼できない」という話になっただろう。

 この予算案をどう評価するか。

 政権を支える立場の財務省が菅直人首相の顔を立てたとも言える。もちろん財務省は「今回限りですよ。再来年度からは増税しなければ無理ですよ」としっかり念押ししたに違いない。

 実際、仙谷由人官房長官は予算編成が最終局面にさしかかった段階で「あと2年が限度」と発言している。つまり、これは民主党政権が続く限り、近い将来の増税路線と引き換えの予算案である。それが第一点だ。

 次に「やはり埋蔵金が出てきたか」という点である。

 財務省はずっと「特別会計の積立金や剰余金は使い道が決まっている」とか「埋蔵金はない。あったとしても、もう掘り尽くした」と言い続けてきた。いまとなっては完全な間違いと証明されてしまったが、与謝野馨元財務相のような増税志向の政治家たちは「埋蔵金は伝説であり、あると証明した人はいない」とまで公言していた。

 ところが、ないはずの埋蔵金がことしも出てきた。鉄道建設・運輸施設整備支援機構の剰余金1兆2000億円が代表的である。それにとどまらず、財政投融資特別会計から約1兆円、外国為替資金特会から約3兆円も投入される見通しだ。

 埋蔵金について、多くのマスコミも毎年のように「埋蔵金頼みは一回限り。もう限界」と強調してきた。そして「財政再建には消費税引き上げが待ったなし」と訴えるのが定番の記事になっている。

 これでは、まったく財務省の立場を代弁しているにすぎない。

 そうではなくて「ない、ないと言い続けてきた財務省の話がデタラメだった」という記事をどうして書けないのだろうか。

 そもそも埋蔵金の存在に最初に注目が集まったのは、2005年の話である。以来、財務省の作戦はずっと一貫して同じである。

 つまり予算編成の途中段階ではマスコミに「もう埋蔵金は使えない」と言い続けて、そういう記事を書かせる。ところが最後のギリギリ段階になって、いよいよ首が回らなくなると、霞が関の奥深くに貯めこんできた埋蔵金をしずしずと差し出してくる。それで「これが本当に最後です」と言うのだ。

たとえば、ことし6月には内閣府が財政再建の試算を出した。

 そこでは税収が39.6兆円で、その他収入(埋蔵金はここにカウントされる)が4.1兆円となっていた。ところが、出来上がりの予算案は税収が41兆円程度に増え、その他収入は7兆円程度に膨れ上がった。先にみた鉄建機構の剰余金などがあったからだ。

 その一方、歳出の国債費は6月段階で22兆円だったのを、21兆円程度に圧縮した。6月の数字は金利を高めに想定していたのだ。つまり収入は少なく、出費を多く見積もって「だから赤字が膨れ上がりますよ」という相場観を作っていたのである。

 ちなみに、内閣府の官房長は財務省主計局出身者が務めている。内閣府と財務省は増税路線の旗振り役を担っている点で事実上、一体である。

 こういう手口は財務省の常套手段なのだから、マスコミは「いやいや、それは本当か。実はまだ隠してある埋蔵金があるんじゃないか」と疑ってかかるのが本来の姿ではないか。

 実際に予算案が出来上がってみたら、埋蔵金が5兆円以上、その他収入全体でみても約3兆円も出てきたのだから「やっぱり6月の話は眉唾だった。これだから財務省は信用できない」と受け止めて記事を書くのが普通の感覚である。

 同じ光景を何年も見せられているのに、またまた「埋蔵金はこれが最後。増税しかない」などと書くのは、自分の頭で問題を考えていない証拠である。

 毎年のように埋蔵金が出てくるという事実が物語っているのは、それだけ霞が関というところが伏魔殿であり「どこにどんなカネと無駄が眠っているか、素人の国民にはとても分からない」というおぞましい真実である。まさしく、その点こそマスコミが注目すべきなのだ。


■マスコミに必要な自己改革

 もっと大事な問題がある。

 こうした埋蔵金は「いま、そこにある制度や組織」の中に眠っているにすぎない。「いま、そこにある制度や組織」の仕事を根本から見直して、もっと「無駄なく効率的な制度や組織」に改革すれば、掘り出せた埋蔵金どころか「いま使っている費用」そのものを大幅に節約できるはずだ。

 それが「改革」の意味である。

 言い換えれば「こんな赤字では財政が破綻する」という議論は「改革はしません。霞が関は現状維持です」と唱えるのと同義なのだ。

どんな会社や家計だって、とんでもない赤字を抱えれば、まず仕事の仕方や費用を根本から見直す。それでも足らなければ、新規事業やパート、アルバイトの収入増を考える。国民が選んで作った政府であれば、なおさらだ。

 公務員の人件費削減はもちろん二重行政が指摘される国と地方の関係、役所の仕事を効率的に見直して出費を減らす方策が最優先でなければならない。

 そういう話はいくら財務省を熱心に取材しても、けっして出てこない。財務省こそが霞が関の既得権益を守る司令塔なのだから当たり前である。

 多くのマスコミで予算編成の記事を書くのは経済部、公務員制度や行政改革の記事を書くのは政治部と縦割りの取材体制になっている弊害もある。私もその一員ではあるが、マスコミも自己改革が不可欠だ。

(文中敬称略)