ウィキリークスとメディアリテラシー


林 志行の「現代リスクの基礎知識」
(BPnet 2010年12月28日) http://p.tl/IYbT


 内部告発サイト「ウィキリークス」による国家機密情報の暴露が問題となっている。
 この件が世界的にも注目されたのは、米国の外交公電を大量公開したことによる。海外に駐在する米国の外交官が在外公館から本国に送る公文書、いわば、水面下での世界の動きを大衆の目の前にさらけ出した瞬間だ。これにより、米国政府を本気で怒らせている。
 ウィキリークス側は、今は外交公電などを集中的にリークしているものの、さらに金融機関に関する秘密情報に対象を広げるとも示唆しており、別件で逮捕、拘束されていた(すでに保釈中)創設者の今後の活動が注目されている。
 今回のウィキリークス問題は、果たして何を意味するのか。
 日本では、アサンジ氏を容疑者として扱い、その行為を犯罪として、米国との対峙で議論しがちだが、容疑があるのは別件で、リークそのものの罪が英国で問われているわけではない。
 単にこの行為が卑劣かどうか、犯罪かどうかというのではなく、メディアとしても認めるのか、あるいは反政府権力者の独善システムなのかの議論にすべきであり、私たちの情報感度が試されているともいえる。
 日本国内においても、ウィキリークスに類似したケースとして、尖閣諸島沖での衝突ビデオの流出や、警視庁の内部資料が流出した問題などが発生しており、情報の保全についての法制のあり方やシステムが改めて問われている。
 こうした事態に私たちはどう対処すべきなのか。ウィキリークスの全体像と利害関係者をトレースしてみた。
 いつものように、事件事故の発生当時の第一報、分析などは、ツイッター「linsbar」等での日々の活動を参照願いたい


●ウィキリークスの衝撃

 告発する者と、その告発を伝播するプラットフォームの関係を是とみるか、非とみるか。体制側からは、告発サイトの創設者を異質なものとして排除したいとの意識が働く。それぞれはぞれぞれの主張により、それぞれが定常的に安定する「場」を作るための攻防を展開していく。
・オープンイノベーション
 巨大システムに対抗するためには、ネットワークを駆使し、分散化させることで、自らに対する体制側からの総攻撃を避けることが不可欠だ。あるいは、ある日突然、事前通告なしに、大量に情報をばらまくことで、圧倒的な情報量を示唆することが求められる。それも、その大量の情報は真実味を帯びたものである必要がある。
 ウィキリークスが注目されるのは、暴露しようとする情報を前もって欧米有力メディアに公開し、その検証を任せていたことだ。あくまで自らは、プラットフォームを提供しているだけで、情報提供者から告発したい情報を受け付ける。見方によっては、オープンイノベーションの考え方を応用したものととらえることができよう。
 ウィキリークスが渡す生情報をプロの目線で、既存メディアが検証し、報じるとともに、ウィキリークスもメディアとして情報を公開し、それらの元ネタをデータベースとしてネット上に置いておくという仕組みだ。運営資金はあくまで寄付によるもので、支持者には世界的に著名な映画監督やノーベル賞受賞者、その他セレブなどがいる。
・ゲームの理論
 もちろん、暴露する内容や社会に与えるインパクトが大きければ、暴露された側(現体制)はそれを阻止しようとする。リークされた情報は一時的なものとなり、さらに入手しようとしても、今度は本物と偽物を混ぜたものとなるか、あるいは関係者も本音では語らなくなるので、有効ではないという指摘もある。
 あるいは、入手した情報はたまたまであり、限定的であるということだ。善意からリークしたものも、実はうまく口車に乗せられただけというイメージを世間から持たれれば、それに続く者はいなくなる。
 まして、ウィキリークスの創設者は、若い頃からハッカーとして活動し、逮捕された経歴もある。今回の逮捕容疑は性的犯罪となると、さらに信頼性は揺らぐ……。いや、一見揺らぐように、多くのユーザーに受け止められる。
 リークする情報については、世界の主要拠点のサーバーに分散され、あらゆる攻撃を受けないようにしていたが、寄付金(投げ銭)システムのもととなるクレジットカード会社の決済口座などが閉鎖され、解約されるとなると、ウィキリークス側の全体のビジネスモデルが揺らぐことになる。
 もちろん、ウィキリークスの支援者が、文化人など著名人を含め金銭的な支援を表明しているほか、ウィキリークスとの取り引きを停止した金融機関に対し、ハッカーが攻撃を仕掛けている。
 一方で、米国のセキュリティ組織は、こうした話題性の高いサイトではフィッシング詐欺が発生する可能性が高いとして、不用意なアクセスに警告を与えている。
 それぞれが、相手の出方を見ながら、次の一手を打つことが繰り返されている。
・ボーダレス&フラット化する社会
 今のところウィキリークスの問題は、政府や多国籍企業に限定されているが、トーマス・フリードマンの「フラット化」(同じ製品・サービスを提供可能ならば、資本や拠点は、より「うまい」「早い」「安い」場所を探し、全体が平準化されていく)に従えば、やがて個からの声がもっと出てくることになる。
 すでにウィキリークスの「仕組み」が広く知られるようになったので、決済や寄付の仕組みがさらに小口化されていく。
 それらは、国家としての秩序、企業や組織の求心力をも破壊しうるパワーとなりえ、自社の情報管理を単に厳しくするだけでは制御できない世界観を作り出していることを意識しなければならない。
 そうした芽は、すでにツイッターやフェースブックなどに表れており、本人の意思、意図とは別に、情報が無意識のうちに集められ、再編集することで、あたかも真実味を帯びることになろう。


●ウィキリークスの背景

 ウィキリークスとはどのような事件で、何が問題になっているのか。
・ジュリアン・アサンジ氏の生い立ち
 出身はオーストラリア。1971年生まれの39歳である。母は17歳で教科書をすべて焼き捨て、バイクに乗り、家を飛び出す。放浪を続け、アサンジ氏が14歳になるまで、37回も引っ越しをしている。アサンジ氏1歳のときに母が結婚した相手は劇団監督。両親ともに反権力主義者だったことから、学校教育を否定し、自宅にて通信教育を受けさせる。家の近くの電気屋で、パソコンを独学で学び、10代には仲間とハッカーチームを組み、米国のロスアラモス国立研究所などのコンピューターに侵入した(ウォールストリートジャーナル日本版、2010年12月2日付)。
 この経歴から、すぐに映画「ターミネーター」を思い出した。コンピューターが支配する世界。殺人ロボットは過去に戻り、母親とその息子の殺害を企てる。二人はバイクで放浪し、支配から逃れ、やがて、未来で人類のリーダーとして立ち向かう・・・。アサンジ氏の生い立ちからして、ウィキリークスは出るべくして出たという印象を与える。
 そんなアサンジ氏だが、18歳のときガールフレンドが妊娠し、結婚。20歳のときにカナダの通信会社ノーザン・テレコム(現ノーテル・ネットワークス)のシステムに侵入し、31件のハッキングで逮捕され、25件で有罪の判決を受ける。逮捕の後、自分のもとを去った元妻から、子供の親権を取り戻すため、母親と共に、「子供を守るための親の調査」なる団体を立ち上げ、情報公開法をフル活用し、10年越しの州政府相手の裁判を闘いぬき、親権を勝ち取るなどしている(日経ビジネス2010年12月21日付)。
・内部告発サイトの活動
 ウィキリークスによる活動が大きな話題となったのは2009年。オランダの海運会社トラフィギュラが、2006年に西アフリカのコートジボワール沿岸で行った有毒廃棄物の不法投棄に関する内部資料を公表したことである。次は、2010年4月。イラクのバクダッドで2007年7月に録画された米軍のアパッチヘリの銃照準器からの映像を公開した。テレビなどでは、記者や市民を銃撃するシーンが繰り返し流された。映像を流出させた陸軍上等兵は、2010年7月に起訴されている。
 ただし、本格的に注目されるのはここからだ。7月にアフガニスタンでの戦争に対する米軍機密文書を公開する。文書は、米ニューヨーク・タイムズ紙、英ガーディアン紙、独シュピーゲル誌に提供された。「アフガン・ウォー・ダイアリー」と題された機密文書は、2004年から2010年までのアフガン駐留米軍から収集されたもので、9万1000点に上る。さらに、10月には、イラク戦争に関する機密文書40万点を公開した。
 また、11月には、米国政府の外交公電を公開。在外公館に駐在する外交官が各国の首脳らと接触した内容、あるいは人物評に関する情報25万件を公開した。
・逮捕を巡る動向
 12月7日、英国警察当局は、性犯罪容疑で、スウェーデンから逮捕状が出ていたアサンジ容疑者を逮捕し、裁判所は14日までの勾留を決めた。スウェーデン当局が11月、性犯罪容疑の訴えがあるとして、ICPO(国際刑事警察機構)に同容疑者を国際手配していたことによるものだ。
 アサンジ氏を告訴したのは、31歳と27歳のスウェーデン人女性。8月のイベントで知り合い、部屋に宿泊させていたが、問題とされる日以降も宿泊させたりしていたとされる。2人とも告訴する意思は当初なく、婦人警官が検察官に報告。検察官が逮捕を決定したことになっている。
 その後、12月14日にロンドンの治安裁判所が保釈を求めたが、スウェーデン当局が不服とし、上級裁判所の英国高等法院に即日抗告。12月16日18時過ぎ(ロンドン時間)に英高等法院が検察側の抗告を退けたことで、ようやく釈放された。
 保釈後は、支援者が持つ邸宅に滞在している。保釈金のうち、現金で支払った20万ポンドは、返還される可能性は高いが、保証人が支払った4万ポンドは、没収の可能性もある。


●日本政府の対応

 日米関係が、沖縄の普天間基地移設を巡りぎくしゃくしたことからすれば、米国政府の外交文書が世界中にさらされることに対して、日本政府が同盟の一員として理解を示し、犯罪と断定することは一見妥当なように見受けられる。
 しかし、ウィキリークスという仕組みそのものをどうみるか、メディアによる報道の自由とは何かを、より大きな概念で見渡すとき、日本という国はどうこの問題を取り上げるのか、より深い洞察が求められる。
・外務省
 前原誠司外務大臣は、言語道断と非難し、犯罪行為とした。大臣会見では、「情報を盗みとって、それを勝手に公開する。それがいかに未公開の秘密文書であれ、それを判断するのは、持っている政府であって、勝手に盗みとって、それを公表することに評価を与える余地は全くないと私は思っています」と発言している(外務大臣会見、2010年11月30日)。
 実は、文書はウィキリークスが盗んだものではなく、告発するデータを流す仕組みを提供しているので、メディアとみる向きは少なくない。既にオーストラリアの主要メディアは、ウィキリークスをメディアの一部とみなすという声明を出している。ウィキリークスも各国の法制度を理解し、それぞれの国で、有利な組織システムを採用し、合法的な活動として、自らを位置付けている。
 実際、前原大臣のコメントに対し、フリーランスの上出氏が、ウィキリークスの内容を報じる大手新聞も含めた批判なのかと質問していた。
 もう一つは、ウィキリークス問題で米国のクリントン国務長官が、12カ国の首脳らに電話で謝罪していることについて、日本が含まれるのかという質問が出たときに、直接はなかったとコメントしたことだ。日本はまたもやパッシング(スルー)されたのか、あるいは大きな被害がないということで謝罪対象に含まれていないのかが気になるところである。
・首相官邸
 「政府における情報保全に関する検討委員会」が12月9日に開催された(委員長、仙谷由人官房長官)。ここでは、政府機関の情報保全システムにおいて、必要とされる措置の検討が予定されている。また、検討委員会の下で、「情報保全システムに関する有識者会議」(座長・小池英樹電気通信大学大学院教授)が12月17日に、初会合を首相官邸で開いた。
 ただし、この検討委員会は、尖閣諸島沖での漁船衝突ビデオの流出事件や、APEC(アジア太平洋経済協力伒議)直前に警視庁から漏れた捜査協力者資料などへの対応を前提としたものであり、ウィキリークスの影響をどこまで考慮したものになるかは不明である。
 有識者会議のメンバーには、情報システムなどの専門家や防衛大学校、警察大学校の情報工学や情報管理の研究者が集まっているが、ウィキリークスを巡る各国での混乱を見る限り、金融機関やネット決済を伴うポータルサイト、さらには情報通信を管理する関係省庁なども、事件発生時への対処の立場からは、議論に参加することが求められよう。


林志行(りん・しこう)
早稲田大学大学院教授。外交官の父と各地を転々。日中英台・4カ国語を操る。専門は、リスクマネジメント、アジア情勢分析、国際ものづくり戦略。シンクタンクにおいて、調査研究、企業コンサルティングに従事。2003年1月、国際戦略デザイン研究所を設立、代表取締役に就任。2004年より美ら島沖縄大使。沖縄金融特区(キャプティブ導入)の発案者、ITリゾートの提唱者として知られる。2006年より東京農工大学大学院教授を兼務。2010年より、早稲田大学大学院経営デザイン専攻教授に着任。政府の各種委員を務める。経済誌、新聞各紙にて連載を持つ。近著に「マザー工場戦略」(日本能率協会マネジメントセンター)「事例で学ぶリスクリテラシー入門」(日経BP)など。日々の活動は、ツイッタ-「linsbar」に詳しい。