政治混迷と日本経済 大停滞をどう克服する
(東京新聞・社説 2011年1月4日)http://p.tl/a-U9

 二〇一一年の日本経済が抱える最大の懸念材料は「政局リスク」である。経済成長や財政再建を展望するには、永田町の再編も視野に入れるべきだ。
 多くの人々が内心、あきれ果てている。昨年末の予算編成は民主党が政権を握って初めて本格的に取り組んだ政府予算案だった。それにもかかわらず、民主党は小沢一郎元代表の国会招致をめぐる党内抗争に明け暮れていた。
 若者が就職難に苦悩し、企業は海外脱出しているというのに、菅直人政権はひたすら権力維持に汲々(きゅうきゅう)としていたかのようだ。
◆「政策なき政局ゲーム」
 言うまでもなく、あらゆる政策は予算を伴う。国民にとっては「予算こそが政治」である。その原点はどこへ行ったのか。
 民主党にもヒットはあった。たとえば事業仕分けだ。あの熱気は人々が国の予算や役所仕事に巨額の無駄や非効率が潜んでいるのを実感したからこそだろう。
 仕分け結果は予算編成に反映されるはずだったが、廃止と決まった事業が国民の目の届きにくい密室調整で相次いで復活した。ジョブカード制度が典型である。
 数少ないヒットも役所と支持労組の巻き返しに遭って結局、得点に結びつかなかった。これでは「事業仕分けは単なるパフォーマンス」と批判されても仕方がない。
 予算編成が終わったと思ったら、菅政権は「たちあがれ日本」に連立参加を打診した。連立を組む民主党・国民新党と、たちあがれ日本では、基本政策や理念がまったく異なる。結局、実らなかったが、この話が政権の本質を象徴している。
 ようするに、いまや菅政権は「政策なき政局ゲーム」を繰り返すだけの政権に堕している。
◆大連立で解決できるか
 国会をみれば、与党は衆院で法案の再議決に必要な三分の二の多数がなく、参院で過半数を割っている。現状では予算案を自然成立させることができても、特例公債法案や税制改正法案を可決成立するのは難しい。つまり予算案や法人税5%引き下げなどは「暫定案」のようなものだ。
 もしも予算を執行できないような事態になれば、目先の景気に対する打撃だけでなく、中期的にも日本経済の先行き不安を一段と増幅するのは避けられない。
 日本経済に潜む「政局リスク」は、自民党時代の安倍晋三政権に始まる。二〇〇七年参院選で自民党が敗北し、国会は衆参で多数派が異なる「ねじれ」状況に突入した。一〇年参院選では攻守ところが入れ替わり、菅政権が参院の多数を失った。
 国会がねじれているから、政権が不安定になる。問題をそう認識して、リスクを克服するために出た構想の一つが大連立である。
 民主党と自民党が消費税引き上げや外交・安全保障のような重要課題に絞って連立し、問題を解決する。こういう大連立の考え方は一見、もっともらしい。だが、前提になる消費税や外交安保で両党は一致できるのだろうか。
 菅政権は消費税引き上げにのめり込んで敗北し、党内にはいまだに批判が残っている。自民党政権下でも増税で激しい党内抗争があった。大連立が現実味を帯びてくれば、それぞれの党内で強い反発が起きるのは必至である。
 本当のリスクは党内にある。
 自民党も民主党も政策の基本路線をめぐって、党内に異なる発想をする勢力が混在し、いざ国民に約束した改革を進めようとすると、内側から足を引っ張る動きが強まる。
 たとえば、国家公務員総人件費の二割削減がそうだ。正しい政策にもかかわらず、官僚や支持母体である労組の強い反対に遭って進まない。
 自民党時代もそうだった。抜本的な改革であればあるほど、霞が関やそれと連動した党内勢力が水面下で妨害工作に走り回った。
 政局リスクは政党の内部矛盾に起因するとみるべきなのだ。このリスクを取り除かない限り、日本の抜本的改革は難しい。
 財政再建には政府自身が身を削る努力が不可欠である。政府の抜本リストラなくして国民が増税負担を引き受けると考えるのは、政治家・官僚のおごりと言える。
 国民が望むのは、官僚の抵抗を排してリストラを断行する政権ではないか。そのために、政策を軸に再結集する永田町のビッグバン(政界再編)を視野に入れる時期が近づいている。それなくして、二十年にわたる大停滞からの脱出も財政再建も展望しにくい。
◆基本問題の徹底論議を
 結集軸は社会保障と財政再建、地方分権、そして外交安保政策であるはずだ。言い換えれば「政府の役割」をどう考えるか。こうした基本問題の徹底論議から真の日本復活を目指すべきだ。
 激動の一年が始まった。