マイケル・サンデル(ハーバード大学教授) 「これまでの私の人生の話をしよう」

2011「白熱教室」スタート!
賢者の知恵
(現代ビジネス2011年01月18日) http://p.tl/Rhog

「白熱教室」終了後、ハーバード大の講堂で
 なぜ僕が正義にこだわるのか/レーガンとの討論に敗れて/ジャーナリスト志望を捨てた理由/大学時代は哲学が分からなかった

 60万部を超えるベストセラーを生んだ「白熱教室」の模様は日本でも何度も放映された。しかし、この名講義の主役・サンデル教授の半生は語られることはなかった。初めて明かされる「正義」の原点---。

インタビュー:大野和基(ジャーナリスト)

■11歳で正義について考えた

 私は小さい頃から議論をすることが大好きな子供でした。野球も好きでしたが、政治にも夢中になっていました。高校に入学して校内のディベート・チームに入り、やがて生徒会長にも選ばれました。

 当時、私はロサンゼルスに住んでいましたが、カリフォルニア州知事は、後に大統領となるロナルド・レーガンでした。彼はすでに共和党内で頭角を現していましたが、私の高校は公立でリベラルな学校だったので、レーガンの考えに賛同する生徒はほとんどいませんでした。

 あるとき私は、レーガンをディベートに招待するというアイデアを思いつき、彼のオフィスに招待状を送りました。ところが、うんともすんとも返事がない。困って母親に相談すると、「レーガンはジェリービーンズが好物だと何かの本に書いてあった」と教えてくれたので、私はこれを利用することにしました。

 6ポンドのジェリービーンズを買ってきて、招待状と一緒に彼の自宅の郵便受けに入れたのです。すると2~3日後、電話がかかってきてディベートに出席するという返事がもらえました。

 当日、2400人の生徒が講堂に詰めかけました。私はレーガンに負けまいと、考え得るもっとも難しいテーマを用意して、彼の横に座りました。ベトナム戦争や国連におけるアメリカの役割、18歳で選挙権を与えるべきか否かについて議論することにしたのです。レーガンはたとえば18歳での選挙権付与に反対でしたが、うちの生徒はみんな賛成でした。

 こんな状況で、生徒のほとんどが彼の意見に同意しなかったのに、私はディベートに勝てませんでした。レーガンが独特のチャーミングさで、会場のみんなを魅了したからです。

 彼は相手の意見を尊重しながら、それでいてきちんと反論していた。これこそがレーガンの最大のチャームポイントだったのです。生徒たちは議論の結果に納得したわけではありませんでしたが、私は彼のこの魅力こそが後に彼を大統領にする力となったと思っています。

 それほどまでに私は若い頃から議論好きだったのですが、高校生の時点ではまだ将来何をしたいのか、はっきりしませんでした。

 もっとも得意で関心があった科目は歴史で、次は政治と経済でした。哲学ではありません。ブランダイス大学に進学しても哲学をまともに勉強しませんでした。1年のときには、プラトンやアリストテレスの哲学を学ぼうとしましたが、あまりに抽象的で理解できませんでした。

 自分が、選挙など現実の政治に関心があることはわかっていたのですが、とりあえず政治、歴史、経済をきちんと勉強しておこうと思いました。

 私の読書体験は野球選手の伝記から始まります。というより小学校5~6年の頃はこれしか読んでいません。ミッキー・マントル、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグなどの伝記を次から次へと手にしていました。そしてとうとう先生に「もうこれ以上野球の本を読んではいけない」と叱られたのです。

 たしか11歳のときでした。私は「僕が読みたいのは野球の本なんだ」と反論しましたが、先生は「いくら野球についてのレポートを書いても単位をあげない。他の本を読みなさい」と聞かない。私はそのときアンフェアだと思った。これが世の中のjustice(正義、公正)について、考えさせられた最初の体験でした。

 政治や選挙に対する興味も強かったので、テレビや新聞でその種のニュースをいつもチェックしていました。その影響からか、大学生になる頃には将来、政治記者になるか、議員になろうかと考えたくらいです。

■私の人生を決めた「4年間」

 でも結局はその道は断念しました。きっかけは21歳のときに、ジャーナリストになることを視野に入れて、「ヒューストン・クロニクル」(テキサスで最大の新聞)のワシントン支局でインターンシップをやった際の出来事です。1974年の夏でした。ちょうどウォーターゲート事件が起きていて、新聞社はてんやわんやでスタッフが足りないほどだった。

 ところが夏が終わると、支局長が私にこう言ったのです。「これほどおもしろい事件はもうないだろう。おれはこれをカバーしたら、もう引退する。これより興味深い事件は起きないだろうから、記者をやっていても仕方ない」。支局長はまだ50代半ばでした。

 その言葉に驚いた私はたずねました。「ジャーナリズムの世界はもう頂点に達して、あとは落ちる一方という意味でしょうか」。支局長はそれを否定しませんでした。そのとき、私はジャーナリストへの道には進まないことを決意したのです。

 大学を卒業しても自分が何になりたいか、はっきりしなかった。そこでローズ奨学金をもらい、(イギリスの)オックスフォード大学に行って社会政治理論を学ぶことにしました。この間は将来の仕事のことを何も考えずに授業に出たり読書したりすることができた。その時点で私は初めて哲学を勉強しました。哲学の講座をとり、読書三昧の日々を過ごしていたのです。

 一時は法律を学ぼうと考えたこともあります。しかし、政治哲学をやればやるほどはまっていき、アリストテレス、カント、スピノザ、ヘーゲルや現代の政治哲学者について研究しました。結局4年いて、博士号を取得した。そのときの論文が後に私の最初の本となります。だから、私の人生の転換期はこの大学での4年間だと言えるでしょう。

■自分なりの答えは持っている

 1980年から、助教授としてハーバードで教えることになりました。私は大学生のとき、哲学を理解できませんでした。だから自分が学生だったら、どのように授業を進めたらわかりやすいかを考えながら講義内容を構成していくことにしました。

 最初は学生が100人しかいなかったので、小さい教室で教えていましたが、2年目には300人にもなった。そこで少し大きめな教室に移り、3年目には500人に増えたので、この講堂に移らざるを得なくなりました。いまは800~1000人の学生がこの講座に登録しています。

 この授業で私は学生に自分で深く考える力を身につけてほしいと思っています。いろいろな立場の哲学者の考えを知ることで、学生たちの思考は深まるはずです。自分で考えることがどれくらい難しいのかを、教えることも授業の目的のひとつです。

 学生たちは私の授業でメモを取っていますが、ただ文字を書いているだけではありません。彼らは哲学者と議論しています。お互いの意見を尊重しながら、私とも議論し、学生同士でも議論しています。それが民主主義社会ではとても重要なことなのです。とくにお互いに意見を異にするとき、その意見を尊重し合うことは重要だと思います。

 議論するテーマはもちろん私が決めています。そのために日頃からニュースに耳を傾け、新聞や雑誌に目を通します。政治哲学のテーマとして適していると感じたものがあれば、すぐにメモを取る。たえず問題意識を持っていなければなりませんが、それはとても楽しいことでやりがいのあることです。

 昔の問題ではなく、いま起きている問題を扱うことが重要だと考えています。そういった問題には、学生たちがすでに直面している、あるいはこれから直面する可能性があるから、彼らがよけいに真剣に取り組むと思われるからです。

 ディベートのテーマに、たとえば正義や公正のような難解なものを選ぶのは、学生を刺激して、自分の力で深く考えさせるためです。私が授業で扱うテーマについては、必ず自分なりの答えを持っています。それを学生に隠そうとは思っていません。

 私が講義の最後に意見を述べるのは、自分がニュートラルであるふりをしたくないからです。自分の考えに対しては正直でありたいからです。でも、私がそれを明らかにする頃には学生たちは自分の考えがすでに固まっていて、私の考えに賛同するかどうか自ら判断することができるようになっています。

 私が「白熱教室」を続けているのは、みなのディベートのレベルを上げていきたいと考えているからです。そうすれば世の中で起こっている問題について議論した際、必ず共同体や社会のためになる優れた結論を導けるようになると思っています。

 実は日本で私の本がここまで受け入れられるとは考えていませんでした。哲学についての本がこれほど多くの人に読まれるとは想像もしなかった。

 2010年の夏に訪日したときに感じたのは、社会の大きな問題について議論したいという日本人の意欲でした。ディベートに対する飢えのようなものを感じたのです。だから私の本が読まれているのだと思います。正義とは何かだけでなく、いろいろな価値観について深く議論したい気持ちが日本人に元々あったのでしょう。この本はそれを始めるきっかけになったのかもしれません。

 東京大学では「白熱教室」を実演しましたが、訪日の前に日本人の友人たちに「日本人は議論下手だから、講義で質問しても反応がないかもしれない」と忠告されていました。そのことを信じていいかどうかわかりませんでしたが、実際にやってみて友人が言ったほど日本人は議論下手ではないことがわかりました。

 しかも議論のレベルそのものも非常に高い。もうひとつ驚いたのは、彼らにはお互いに意見を異にしてもきちんと相手の話に耳を傾ける姿勢があったことです。それにはとても感心しました。

 ハーバードの学生と東大の学生との差もあまり感じられませんでした。3年前にハーバードを卒業した私の息子も東大の講義に参加しましたが、感想を聞いたら、「ハーバードの学生の反応と東大の学生の反応は同じだ」と話していました。

■いま一番関心のあるテーマ

 私は議論好きですが、もちろんいつも議論ばかりしているわけではありません。授業や研究の合間には妻と映画を観にいきます。私が好きなのはアルフレッド・ヒッチコックの作品のようなサスペンスやスリラーです。ゴッドファーザーも気に入っている映画の一つです。

 野球も好きで、ソフトボールの試合を毎週日曜にやっています。旅行にもよく出掛けます。子どもがまだ小さいときはいろいろな土地を旅しました。インドやオーストラリア、それから京都にも行きましたが、古いお寺や日本庭園の美しさはいまでもよく覚えています。

 実は我が家は日本とは縁があります。妻の父親は在日米軍にいたことがあり米軍の歴史について研究していた人で、妻が生まれたときはちょうど日本占領について調べていました。両親が日本に対して親近感を抱いていたので、娘ができたときに日本名をつけたいと思ったそうです。それで日本の象徴である「菊」を意味する「キク」と名づけました。

 いま一番関心があるのは、リーマンショックによって、私たちはどんな教訓を得たのか、それによって今後どういう世界になるのかということです。この危機が起きる前の30年間は、市場に任せておけば、結果的に公共の利益は守られるとずっと信じられていました。市場放任の考え方に対して私たちが批判的になることはありませんでした。

 しかし、財政危機に見舞われて、この考え方にみんなが疑問を持ち始めている。それで市場の役割は何かについて再考しなければならなくなりました。これは現在、私たちが直面している最大の問題だと思います。

 最後に「正義」「公正」とはどんなものなのか---この難しい問いについて考えてみましょう。この問題を解くことはたやすくありません。私のもっとも端的な答えは、「人間にその人が得るに値するものを与えるということ」です。

 この考えに反対する人はほとんどいないと思いますが、誰が何を得るに値するのか、それはなぜかという問題は常に議論を巻き起こします。でもその議論がなければ政治哲学という分野は存在しなくなります。そうなると結局、私の職業も存在しないことになってしまうのです(笑)。


マイケル・サンデル
1953年生まれ。ブランダイス大学卒。'80年からハーバード大学で教鞭を執る。専門は政治哲学。
著書に『これからの「正義」の話をしよう』など