エジプトの革命-米はムバラク支持をやめよ
(WSJ :社説 2011年 1月 31日 9:19) http://p.tl/mE9p


 昨晩(28日夜)の大規模なデモと街頭での暴力的な衝突は、エジプトを断崖に追いやった。何の断崖か、それは誰にも分からない。今後数日間の行方は、米国にとって最も重要なアラブ同盟国にして最大のアラブ国家であるエジプトにとって膨大なリスクをはらんでいる。それはグローバル市場の反応が示す通りだ。これは米国の政策を批判してきた人々が長年警告していた危険な事態だ。

 カイロ、スエズなど諸都市では、ムバラク大統領の30年間の支配の終えんを求める28日の礼拝のあと、何千あるいは何万人もの人々が街頭に繰り出した。あらゆる階層のエジプト市民は、25日の初の全国的な抗議行動のあと敷かれた集会禁止令をものともせず、ツイッターなどの呼び掛けに応じてデモに参加し、ムバラク独裁政権に対する怒りを爆発させた。

 ムバラク大統領は一日の沈黙のあと、エジプト人にテレビで語り始めた。内閣を総辞職させ政治的な譲歩の姿勢をみせたが、もはや抗議参加者を満足させることはできないだろう。しかし「治安維持のためあらゆる手段を講じる」と述べるなど、挑戦的だった。

 ムバラク氏は警察が沈静化に失敗したあと、軍を動員してこうした姿勢を鮮明にし、インターネットやブログ、ツイッターなどソーシャル・メディアを遮断し、ウィーンから帰国したばかりのエルバラダイ氏を自宅軟禁した。こうした威圧姿勢は抗議行動を激化させるだけで、カイロでは午後6時の外出禁止令が破られ、与党本部が放火された。

 現実は、ムバラク氏が権力維持の選択肢をほとんど持ち合わせない状況にある。彼は弾圧を強化し、抗議行動をイスラム原理主義組織ムスリム同胞団の責任にすることもできる。しかし、街頭で抗議する人々はエジプト社会を映す鏡である。それは圧倒的に若者が多く、不満を抱き、大半が非宗教的でテクノロジーに敏感だ。ムスリム同胞団は当初、抗議行動に驚いたが、その後これを支持した。弾圧を強化すれば、ますます残忍な方法が必要になり、さらに多くの人々をムバラク放逐行動に追いやるだろう。

 米国もまた、ほとんど政策の選択肢がない状態に置かれている。フィリピン、韓国など市民蜂起をきっかけに独裁体制から平和的な体制に移行した国では、米国は長年にわたり改革を促し、市民社会の発展を支援してきた。エジプトでは、歴代米政権は、唯一の選択はムバラク氏支援か、過激なイスラムかの二者択一だとするムバラク氏の主張をうのみにしてきた。この2つのいずれの代替策もほとんどないのは悲劇だが、決して驚きではない。

 ムバラク氏のあとに続くものが、1979年のイランのように過激でイスラム原理主義的になる可能性も確かにある。エルバラダイ氏は非宗教的な選択肢として登場するかもしれないが、国内でどの程度支持されるか未知数だ。ムスリム同胞団は軍部以外で最も規律がしっかりした政治勢力だが、政治的な混乱があればこれに乗じようとするだろう。

 しかし必死に政権を維持しようとするムバラク氏を支援するのは同様にリスキーだ。同氏は82歳で、全盛期は過ぎ去っている。今週の混乱のあとで、彼が望んだ息子ガマル氏への禅譲は問題外のようにみえる。米国が独裁者を支持し、彼の軍隊が街頭でデモ隊を殺していると受け止められれば、この独裁者が最終的に倒れた場合、われわれは影響力を一切失うだろう。

 そして軍部がムバラク氏を支持すればするほど、とりわけ暴力によってそうしようとすればするほど、一般国民の不信感は募るだろう。これはシャー(パーレビ国王)の下でのイランで実際に起こったことだ。チュニジアの軍部が示した自制のほうがましで、この自制の結果、軍部は今月、独裁的なベンアリ大統領の追放後に、秩序維持で一定の役割を演じることができた。

 今日、最良の路線は、米政府当局者がこれまでの約束を守り、政治・市民社会改革のプロセスを尊重することだ。エジプトにおける米国の利害は、一人の支配者にあるのではなく、独裁体制から、エジプト人の希望を反映する安定した代議制に基づく政府に移行することにある。

 クリントン国務長官がエジプト政府に対し、警察の自制とインターネット阻止の撤回を訴えたことは正しい。しかし、ムバラク氏は「独裁者」であるという明白な事実をバイデン副大統領が否定するのはいただけない。ムバラク以後の時代はいずれやって来るのであり、米国が独裁者の最後の友人とみなされることがあってはならない。