公文書公開によるウラ金の暴露

 裁判官の3号から4号の差別は、ほかの人もだいたい言い出していますから問題はないのですが、ウラ金について言っているのは、私ぐらいです。私が10年ほど前に『週刊金曜日』に、本多勝一さんとの対談で、「こんなことになってしまった裁判所」という題名で、連続3回ほどやりました。
 そこにも書いていますし、また私が日本評論社から5年ほど前に出した『裁判が日本を変える!』という本にも書いているのですが、そういうウラ金のために、ウラ取引をしているというようなことを言っても、最高裁は無視して、何にも私に対して言ってきません。私が言っているのがうそだったら、名誉毀損で裁判でもかけたらいいじゃないか。こういうつもりで、私はあえて最高裁のウラ金とか、ウラ金のためのウラ取引とか言っていますが、一向に最高裁は私を無視です。
 それで、私は平成21年の4月に最高裁に対して、最高裁の裁判官の統制とウラ金づくりの公文書公開の裁判を求めました。それと同時に、会計検査院に対して、最高裁のウラ金、裁判官のヒラメ化の原因である裁判官3号報酬に関して、実施した会計検査の結果が分かる行政文書の開示を求めました。
 ところが会計検査院からは、そういう会計検査をしたことがないので、その関係の行政文書もないので開示はできないという返事が返ってきました。だいたい戦後60年にわたって、会計検査院がそういう検査を1回もしていないことが、ちょっと私としては考えにくいので、もう会計検査院も知っておきながら、放任しているんじゃないかと思います。
 それから、公務員の不法行為に対して、個人責任を負うかどうかという問題があって、学説や下級審の判決では負うという判決も相当ありますが、最高裁は頑として、公務員は個人責任を負いませんという判決をするんです。そのためにいくら公務員の違法行為があっても、主権者たる国民はそれを問えない。だから、公務員は極端にいえばやり放題ということになると思います。
 なぜ最高裁がかたくなにそういう個人責任を認めないのか。これは行政とのウラ取引じゃないかというのも私は言っていますが、それに対して最高裁は何とも言ってこない。こういうことになります。

我々は遅れた社会に住まわされている
 こういうことで、裁判官が統制されてしまっていますので、なかなか裁判官は、組合の弾圧を受けた事件なんかで、本来誰が見ても無罪のはず、こんな無罪が何で分からんのかという思いはあるでしょうが、それはもう裁判官が分かった上で、最高裁の統制を受けて、これは有罪にしないと自分の地位が危ないということでやっているわけですから、無罪になったりすることはまず考えられないんじゃないか。
 だから、逆にいえば無罪にしなかった場合に、自分の地位が危ない場合は無罪になる。これが鈴木宗男の事件と、最近の厚労省の村木局長の事件との違いなわけです。
 鈴木さんの場合は世間の評価が悪い。だから、鈴木さんに賄賂を送ったという人の調書を証拠として、鈴木さんを有罪にする。村木さんの場合は、そういう村木さんが有罪であるという関係者の調書は信用性がないというので排除して、村木さんを有罪にしない。それは村木さんの場合は、どうも村木さんが正しいという世論のほうが強いということで、これを有罪にしていては、逆に自分の地位がヤバイ。こういう読みだろうと思うわけです。
 そういうことで有罪か無罪かが決まってしまうというのが日本の裁判です。だから、組合の弾圧事件なんかでも、これを有罪にしたら、有罪にした裁判官の地位が危ないんだというぐらいの世論の盛上りがないかぎりは、難しいだろうという気がします。だから、担当弁護士の能力とかそんな問題ではないわけです。
 はっきり言いまして日本の社会には、近代社会の三権分立はない。もう非常に遅れた社会に生活している。大変なところにわれわれは住まされているんだということで、私なんかは腹が立って仕方がないのです。

私が裁判官を辞めた理由
 それで、なぜ私が裁判官を辞めたか。私は一方で必死で、そういうおかしな仕組みだということを知りながらも、その中で自分は何とか生き延びられるだろうというので、卑怯というか、そういう考えを持ちながらも生き延びてきたのですが、あまり無理をしすぎて、女房が非常に重い病気にかかっちゃって、転勤ができなくなってきた。
 そこそこ私は最高裁の顔を立てるような仕事も必死でやってきたので、高松に女房の実家があるから、もう女房が病気だから高松へ転勤させてくれと言ったら、転勤は受け入れてくれた。それはありがたいのですが、最初は、大阪高裁から高松高裁の刑事部の裁判官ということで行ったのですが、高松高裁の刑事の裁判長が奈良の裁判長のときに、私が大阪高裁で散々に、こんな判決ではいかんという判決でいじめていた人だったので、取ってくれずに家裁に回されちゃったということがあるわけなんです。
 それで家裁に行って驚いたことがあったのです。家裁に転勤になりましたというので、ほかの用事で最高裁に行ったときにあいさつにも行ったのですが、家裁の所長は非常に優秀な人だから、それを見習うようにということを最高裁から言われた。その所長が優秀だというのは、10年もかかっている、20年もかかっている、長期未裁という長いことかかっている事件が、もう当時高松家裁には山積みされていて、20件か30件あった。もうどうしようもないぐらいにたまっていたのを、その所長がバッサリと処理した。
 その外形だけを聞くと、すごい人だなと思うのですが、どういう処理の仕方をしたかといいますと、20年30年かかっている事件の当事者を呼び出して、いったん取り下げをしなさい。取下書を出しなさい。取り下げてすぐまた復活の申立書を出しなさい。だから、いったん取り下げたから、20年30年たった事件が、全部その時点ではまっさらの新件になるわけなんです。だから、20年30年の事件は全部なくなった。だけど、すぐに復活の申立があるから、また同じような事件はそのままあるわけです。
 私か家裁に行って、その事件を処理しようと思ったら、薄っぺらい取り下げと復活の表紙の記録と、それから20年30年という何十年ものものすごい記録とがひっついている。これはどういう意味だろうと思って、何ぼ考えてもよく分からなかったのですが、ああ、取り下げをさせて、もう一回復活させたのかということが分かってきた。
 それで、両当事者を呼び出して聞いてみると、そういうことですというのですが、私ごときが、あとこれこれをやってくださいと言ってもなかなかやってくれない。もう白けてしまっている。裁判所の言うことなんか、まともに聞けませんよというような、そんな事件の処理をしてた、その優秀だといわれた所長は、その後さらに地裁の所長になって定年で辞めて、香川県の公安委員長をやった。そういう出世コースを歩んでいる人もいるわけです。
 そんな処理を見る中、私は女房が病気なので、毎朝子どもの弁当をつくって、送り出してから裁判所へ行く生活をしていたのですが、こんな処理のしかたで万が一間違いを犯して、マスコミにでもたたかれたら、元も子もない。これは辞めろということじゃないかというので、辞めたのです。
 元々私は5年ぐらいで辞めようと思っていたのですが、結婚してから、女房の親は公務員で、女房は公務員ほどいい職業はないと思い込んでいるものですから、辞めるな、辞めるなと言うのです。それで、私がどうしても辞めると言ったら、もう1箇所だけ転勤したらそこで辞めましょうと言う。それで、行ってしばらくすると、さらにもう1箇所と言う。
もう1箇所、もう1箇所が22年になっちゃった。そういうことだったのですが、女房も病気になって、これは辞めろということかと、辞めてしまったのです。

仲間の助けで逮捕されずに済んだ
 だけど、禍福はあざなえる縄のごとしという諺もありますが、人間何がプラスになるか分からないもので、高松で高裁の刑事の裁判官で辞めたとしたら、知り合いとしてはヤーサンぐらいしかできなかったと思うのです。家裁にいたばかりに、家裁は調停委員というのが県下に500人ぐらいおります。それから、保護司さんというのも500人ぐらいおります。合計で1000人ぐらいの人。そんな人がみんな、生田さんが辞めて大変らしいから、事件があったら持っていってあげようと、お互いに呼びかけをしてくれた。1000人といったら大きいですよ。だから、私は弁護士を始めた途端に、もう事件はワンサカときて、当時は事件で困るということはなかった。
 その代わり他の弁護士からのやっかみなどもありました。それから、あるタウン誌の社長が香川県警の一部とヤーサンとの癒着を暴こうとして、3回も銃撃されて命をなくす土壇場まで行った。この人の依頼を受け、癒着を暴こうとするような事件も、現在もやっています。そういうのをやろうとしました。
 そのために、まず弁護士会からのやっかみ等で、弁護士の懲戒ということをやられて、業務停止2ヵ月というのを受けたわけです。私としてはどう考えても、そういうことが違法な業務になるという気はない。本人のためを思ってやってあげたのが、何で違法になるのかなと思って、日弁連に香川県弁護士会の処置は違法であると申し立てたら、すぐに日弁連は、もう1年以内ぐらいに取り消してくれた。それで助かったというのもあります。
 それから、県警とヤーサンとの癒着を暴こうとしたために、その癒着しているグループの警察官から逮捕されそうになった。ところが、たぶん警察官でないと知らないと思うので警察官だと思うのですが、私が「逮捕されそうになっている、今日明日中に逮捕されますよ」という情報を、家裁の調査官に流してくれて、家裁の調査官から私に、「生田さん、逮捕されるよ」という情報が入った。
 私が愛媛の教科書裁判なんかで知り合った、世界的なネットワークを持っている人に、「俺、逮捕されるぞ」という情報を流したら、そのネットワークで、みんながメールとかで、香川県の丸亀署に抗議をしてくれた。それも韓国からは3000名ぐらい、中国からも1000人近く、アメリカからも数百人というメール。それから、日本全体もメ-ルを送ってくれて、そんなので逮捕されずにすんだというのもあります。

様々な経験で見えてきたこと
 いいこともあれば、やっかみとかで狙われたというのも結構あります。弁護士には国税の調査なんかはほとんど入らないというふうに私は聞いていたのですが、私の場合は3年に1回ぐらい調査に入られて、もう5回ぐらい国税の調査に入られています。
 それから、車で四国とか中国地方とかも走り回っているのですが、私が高速道路を走っていると、高速道路の入り口からパーッとくる車がいると思ったら、私の後ろにピタッとつかれる。これが覆面パトで、スピード違反で挙げられるということはもうしょっちゅうです。最近は運転するに当たっても、前と後ろを平均するぐらいに、後ろも注意しながら走っている。それなら、スピードを落としたらいいじゃないかというかもしれんですが、スピードを落としたら私の生きがいがない(笑)。そういう不利益というのは、もういくらでもあります。
 私としては、人間のすることは何でもやりたいという気があって、一応学校の先生もした、市役所の職員もした、裁判官もした、弁護士もした。それで、いまから10年ほど前に、香川県の県知事選というのがあって、それも立候補してみました。
 初めは人を担ぎ上げる役をやったのですが、誰も御輿に乗ってくれなくて、自分が飛び乗っちゃったという事件です(笑)。選挙で勝つためにはどういうことをしなきゃならんかというのを、嫌というほど味わいました。要するに、自分と同じ考えの人が5人いれば勝てると言われているんです、選挙は。ところが、この5人というのがなかなか集まりません。それと、自分の味方だと思っている人が、必ずしも味方ではないということまで分かるんですよ。
 香川県の場合、高松市が大票田ですから、高松市ともう一つの丸亀市というところぐらいをグルグル回って運動すればいいのですが、自分の事務局みたいな人は、いや、地方へ行きましょうよ、地方へ行きましょうよって高松市とか大都市にあまり行かないんですよ。おかしいなと思った。どう見ても自分の味方じゃない。自分のために選挙事務局になってくれているんじゃないということが分かってきた。そういう、いろいろな裏があります。
 それから、私はPTAの会長をやったりして、PTA関係で非常に親しい、私が会長の時に副会長で、PTAの関係ではぺコペコしている人が、選挙の関係で頼みに行くと、ふんぞり返って、これは同一人物かなというぐらいの変わり方にびっくりすることもあります。それも男だけじゃなしに、女性でもそういう変わり方をする人がいる。こういうことで、いろいろな経験をさせてもらいました。

3日やったら辞められない!?
 元の裁判官の話に戻りますと、最近は女性の裁判官が3割ぐらいになってきていると思いますが、女性の裁判官というのは、いい面も悪い面もあるのです。だいたい勘でやる人が多いんですよね。これはもう初めから、原告が勝ちだとか被告が勝ちだとか、決め打ちでやられてしまう。うまいこと、自分がやっているほうに加担してくれたときは儲けもんですが、反対側になった場合はもう何をやってもだめ。そういう決め打ちの人が女性には非常に多い。
 それで、裁判官の仕事というのは、多数の事件で大変だろうとお思いかもしれませんが、それはやり方いかんなんですよね。民事事件なんかでは、何が真実なのかということを極めた上で、判決をそれに沿うように書きたいと思って、いろいろな状況証拠なんかも精査して、原告が勝ちだ、被告が勝ちだと決めようと思うと、非常な努力が要るのです。
 簡単にやろうと思えば、原告が言っている筋で書いたほうが書きやすいのか、被告が言っている筋で書いたほうが書きやすいのか、書きやすい筋で判決をサーッと書いてしまう。それが上手なやり方だと言われていて、最近はその手の判決が非常に多いのです。
 だから、何が真実かというので必死に悩みますと、これはもう行き着く先は、ひどい場合は自殺になります。私もよく知っている裁判官で、私の期の上下で5人ほど自殺している人がいます。この人たちはみんな極めてまじめな人でした。だから、もう行き詰っちゃうんです。ところが、出世するような人はそんなことで悩まずに、どっちの筋で書いたほうが簡単かというので、ザーッと書いていくから、悩まずにすむ。こういうことなんです。
 高裁でもいろいろ記録をきめ細かに精査して、1審の判決が間違いかどうかを正そうとしたら、非常な努力が要ります。だから、高裁の刑事の裁判官でも、私の知っている人で自殺した人もいます。ところが、高裁というのは、もう1審が正しいんだという前提の下に書こうと思えば、そんな記録をあまり丁寧に見る必要もないわけなんです。
 1審の判決があります。それから、この1審の判決はここが悪いという控訴趣意書があります。それを見比べて、1審のここが悪いと控訴人は言うけれども、控訴人の控訴趣意書は1審判決を調べれば、不当であることは明らかであるとかいう理由で、パッと書けるわけですから、何ぼ大部の記録があったって、そんなのあまり丁寧に見ないでもやれる。それぐらい手抜きをしようと思えば、簡単に手抜きができる。
 それから1審は1審で、何ぼ言っていても、被告の言うこの点は措信できないというので、ひと蹴りで終わりですから、どういう理由で措信できないかということまで、言う必要もないわけじゃないんですが、現在ではもうそういう判決ですから、極めて簡単にやれる。
 だから大阪高裁のときに、囲碁で有名な木谷實一門というのがあって、そこの息子さんで木谷明さんという優秀な裁判官がいて、現在は大学の先生ですが、その木谷さんが、生田君、1審判決どおりの高裁判決を書いたら、こんな楽な仕事はないから、乞食といっしよで3日やったらやめられなくなるぞと言う。
 だから、そんな裁判官にはならんように注意せないかんというのを、散々教えられたのですが、やり方いかんによっては極めて簡単なんです。裁判官の仕事が大変だ、大変だとか言われていますが、それはもうほんとにまじめに、何が真実かというのを追求しようという姿勢で臨めば大変ですが、そうでない手抜きをやるかぎりは極めて楽で、乞食といっしょで3日やったらやめられんという楽な仕事でもあるわけです。そういう仕事が裁判官の仕事で、いろいろな汚いことをしている人もたくさんいて、出世している人もいます。

裁判は主権実現の手段
 あと少し日本の裁判の現状を見てみます。裁判の本質は何か。機能としては紛争の解決。これが民事の裁判あるいは刑事の裁判。もう一つは行政権力の統制ということで、これが行政裁判。それから、憲法の適合性を判断するのが違憲訴訟なわけです。この三つぐらいあるのですが、このいずれもその本質はというと主権者の主権実現の手段なんです。主権を実現しようと思って裁判をする。
 特に行政訴訟なんかを見てもらったら分かりますように、公務員の不法行為、これに対して行政訴訟を起こしていくというのは、まさに主権の実現です。それから教科書の採択がおかしい、検定がおかしいというので、教科書の検定や採択に対して異議を求めていくというのも主権の実現です。
 それから、法律が憲法違反であると、あるいは行政措置が憲法違反であるということを求めていくのも(安保条約が憲法違反であるというようなことが典型ですが)主権の実現なわけです。だから、選挙権の行使とか、あるいは直接的な表現の自由の座り込みとか、デモとか、そういうことと同じような主権の実現であるわけですが、この主権の実現ということを、日本の為政者は非常に嫌うわけなんです。
 諸外国でもほとんどの先進国であります陪審制とか、そういうのも採用しない。日本では戦前、陪審制が昭和3年から昭和18年までなされていまして、戦争が終わるまで停止するという法律があるのです。それによって停止されたままなのです。

GHQにうまくだまされた日本人
 それから第二次世界大戦後、憲法改正をした国では、ほとんど憲法裁判所という裁判所を持っています。ところが日本は、アメリカ型の司法裁判所の司法判断の中で、憲法違反の裁判もするということになっています。それがどう違うかというと、憲法裁判所の場合は事件にならなくてもこれは憲法違反だという訴えを起こせるから、主権の行使としては一番直接的なわけです。日本の場合は憲法違反があって、それで損害を受けたという事件性がなければ、その元になっている法律の憲法違反は言えないのです。
 典型的なのが、警察予備隊が憲法違反だという裁判を起こされたときに、その憲法違反によってどういう損害を受けたのか、その損害が明らかでないから、事件性を備えていないからだめですよというので、さっさと却下になったのがあります。戦後、違憲判断ができるようになったというので大いにもてはやされましたが、それは戦後に憲法改正をやった国は、ほとんど憲法裁判所を設けているからです。オーストリア、イタリア、ドイツ、トルコ、ユーゴスラビア、フランス、ポルトガル、スペイン、ギリシャ、ベルギー、韓国もそうです。これはGHQにうまく日本人はだまされているんだと、私は思います。
 それから行政事件では、先にも言いましたように、ドイツでは50万件、日本では1800件、500分の1です。それからアメリカなんかだったら、訴えを起こすと、相手は手持ち証拠を全部開示しなきゃならんというのがあります。日本ではそういうことはありませんから、行政訴訟を起こしても、こちら側には証拠がありませんから、ほとんど負けです。それが500分の1の差です。
 それからドイツでは、公務員はメモの義務というのがあって、応対した市民との会話等を全部きめ細かに書く義務がある。そのメモを訴訟が起こされたらすぐ提出する義務があります。日本ではそういうことはありません。
 それからドイツではノートの切れ端に、この公務員はこういう違法行為をしている、この行政行為はこういう違法であるという走り書きのメモを裁判所に送り届けても、それが訴えとみなされますが、日本ではよほどきちんと書いた訴状でも、あんたは原告適格がありません、あるいは訴えの利益がありませんとかで、約20%は門前払いではねられる。
 最終的に勝つのは、市民の約10%。そんなのだから、もうみんな行政訴訟を起こしません。そのために、主権の行使が非常にマイナスになっている。それから民事裁判でも、日本は裁判が少ないのが世界的に有名で、だいたい裁判官数でもヨーロッパの10分の1。
10分の1の人数でやっているわけです。その上、ヒラメで最高裁の統制を受けていますから、どういう結論になるかは、もう目に見えています。
 そういうことで、民事事件というのは公的な法的なサービスであるべきなのに、日本ではこれは裁判という権力作用であると、こういうふうなとらえ方をしていて、民事裁判をできるだけ少なくしようとしている。それで、民事裁判が日本では非常に少ないということを外国の研究者が日本の大学の雑誌なんかに書いていますが、日本の学者はそういうことは書かない。

公文書開示で日本を変える
 それだけじゃなしに、裁判所の予算、司法予算というのは、去年ぐらいですか、国の予算が84兆円というときで、裁判所の予算は3276億円、0.39%。だから、三権分立だといって、3分の1あるかといったら大間違いで、0.4%の予算でやっているわけです。
 それから、お金がなくて、裁判を起こしたくても起こせないという人のために、法律扶助というのがあるのですが、日本ではイギリスの90分の1。イギリスの年間法律扶助の事業費は1610億円、そのうち国家予算が1146億円ですが、日本の事業費は18億円、そのうち国家負担は約4億円というわけで、もう全然話にならんほど、そういう扶助もしていません。
 それから、何よりもこういうおかしなことに対して、国連に個人通報制度というのがあります。国内で最高裁まで行って必死に努力したけれども、国のこういうおかしな制度で困っていますという、個人通報制度というのがあるのですが、日本は個人通報制度を批准していませんので、国連に訴えることもできません。
 個人通報制度で変わったのがイギリスだと言われています。イギリスでも国内の制度はよくなかったのですが、国連に訴えて、個人通報で国連から、こういうところを改めろという指示を受けて、大分よくなった。ところが、日本ではそういうこともできない。民主党になって、法務大臣がやってくれるかと思っていましたが、そういう個人通報制度についても、全然何もやってくれません。
 そういうのが日本の裁判の現状で、これをはね返すためにはどうしていかなくちゃならんかということを考えなくてはならんのです。まず公文書公開ということで、私がやっていますように、最高裁に対して最高裁の裁判官統制、ウラ金について公文書公開を求める。開示しなかった場合には、開示を求める裁判をする。
 それだけじゃなしに、公文書公開法自体がいま見直しの時期にきている。何とか見直していって、不開示を減らそうとか、国民の知る権利を基盤に公文書公開があるんだという基本姿勢をはっきりさせようとか、内閣総理大臣が最終的にほかの長が不開示にしたものに開示を命ずることができる制度にしようとか、いろいろ考えられていますから、大分変わってくるんじゃないか。そういう点があります。

司法の後進性と国力低下
 それだけじゃなしに日本国民は、日本の主権者は人と違うことを恐れる、人と違うことを一切やらないというので有名なのですが、こういう態度では段々とやはり生き延びていけなくなってきている。日本の1人当たりのGDPは2000年で世界3位だったのが、2010年では27位まで落ちています。それからIMD〔国際経営開発研究所〕の国際競争力順位というのも、90年では1位だったのが、2008年には22位に落ちてきている。
 だから、国力というのは最近、極端に落ちてきています。それと国民の主権の行使が不自由であるということと、私は無関係ではないと思います。こういうことが、やはり国力の低下で明らかに現れてきているわけなので、恐らく今後は改められるであろうと思います。
 それでアメリカの政治学者でもあり、カーター大統領の国家安全保障問題担当大統領袖佐官であったブレジンスキーという人が、世界的な政治意識の覚醒とデモクラシーの深化の世の中になってきたということを言っています。日本もこれからそういう社会になってきて、デモクラシーの深化がもっともっと徹底してくるようになってきます。
 それから最近、博報堂の生活総合研究所から出た本では、世の中が態度表明社会になってきた。みんな自分の態度を表明しないと、もう生きていけないようになってきたという状況にあります。そういうことから、この司法のおかしさというのも、いずれみんなが気がついて、異議を出すような社会になってくるんじゃないか。だから、組合を弾圧するのが当然だという社会は、必ず改められます。そういう社会にいまどんどん変わっていきつつあります。
 その一つのあり方にもなるんじゃないかと思って、私は最高裁相手に、裁判官の統制とウラ金の司法行政文書の開示を求める裁判をやっています。こういうことをやっておりますと私自身に対する圧力も、いろいろな形で受けますので、どこまでやれるか分かりませんが、本日のようなこういう会にお招きいただけるというのも、私なりに一生懸命努力している成果を、ある程度は世の中でプラスに評価してくれるところもあるんじゃないかと、こういうふうに考えて、本日は非常に感謝している次第です。
 至らない話でしたが、これで時間もきましたので、一応終わらせていただきます。どうもありがとうございます。(拍手)


生田暉雄氏のプロフィール
・1970年  裁判官任官
・1987年  大阪高等裁判所判事
・1992年  退官(裁判官歴22年)
・同年、弁護士登録(香川県弁護士会所属)
・現在…裁判は主権実現の手段であるとの考えのもとに、東京、宇都宮、愛媛の教科書裁判に関与している。また、最高裁の「やらせタウンミーティング」違法訴訟、国民投票法違憲訴訟を提訴すべく、準備中
(編集者注・これは生田氏の講演内容をまとめたものです。JR東日本労組のご協力に感謝します)