【オピニオン】今後エジプトはどうすべきか
フランシス・フクヤマ、ライアン・クロッカー、マージド・ナワズ、アーマー・バーギーシー
(WSJ2011年 2月 3日 19:11) http://p.tl/o0o2


 フランシス・フクヤマ氏、ライアン・クロッカー氏、マージド・ナワズ氏、アーマー・バーギーシー氏の4人の専門家が、今後、エジプトが歩むべき道について語った。


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■改革派は組織化を
フランシス・フクヤマ

 最初はチュニジア、そして今エジプトで起きている最近の事件は、世界中に広がる自由への欲求がアラブ文化でも例外ではないことを示している。

 これらの劇的な事件を誘発した「自己犠牲の行動」は、野菜を売っては何度も荷車を政府に押収されたチュニジア人が起こしたものだった。彼は、苦情を訴えたが、女性の警官に平手打ちされ、屈辱を受けた。人々は、国民を尊重する政府を求めているからこそ、政治的な権利を要求している。この願いは明らかにアラブ中に反響している。

 この騒乱は、貧民や社会のはみ出し者や信者が起こしたものとは思われない。これを起こしたのは、中間層――「ツイッター」や「フェイスブック」を駆使する、納得のいく仕事や政治参加の機会を持たないチュニジア人とエジプト人だ。彼らは、世界から孤立したいのではなく、参加したいのだ。

 しかし、中南米や東欧、アジア、アフリカでは20年前に始まった「民主化」という祭典に、なぜアラブ世界はこんなにも出遅れたのか。理由のひとつには、ホスニ・ムバラクのような独裁者が追求した戦略がある――改革派野党を骨抜きにし、穏健派イスラム原理主義組織のムスリム同胞団を米欧を怖がらせる範囲で活動させるという戦略だ。

 この戦略は、代々の米政権との関係をうまく機能させた。米政府は、リップサービス程度には民主化の必要性を唱えるものの、イスラム反政府勢力が勢いづくのを恐れ、仲間を支援しようとはしなかった。その報いが今、来ているというわけだ。

 ムバラク氏が辞任し、彼の政権と完全と手を切ることができれば(つまり、スレイマン副大統領のような長年の側近も政府から去ることを意味する)、エジプト人の重要課題は「組織作り」という地味な仕事になる。

 独裁者が去ったからといって民主主義が魔法のように生まれることはなく、自由かつ公正な選挙が実施された後も民主主義がすぐ手に入るわけではない。グルジア、ウクライナ、キルギスタンなど旧共産圏での革命は、米国のアフガニスタン、イラクへの介入と同様、民主統治がうまく機能せず、当初の支援者の期待を常に裏切ることとなった。

 「フェイスブック」と「ツイッター」は、独裁者打倒のための瞬時の群衆動員に威力を発揮する。しかし、政党を立ち上げ、連立を組み、政策について交渉したり、政治家・官僚を正直にすることにはあまり役立たない。

 現時点で、エジプトで最も組織化された勢力は軍隊とムスリム同胞団だ。自由で民主的な未来を望むエジプト人は、そういった集団に未来を託したくないのであれば、自らが準備を急ぐことが必要だろう。

(フクヤマ氏は、スタンフォード大学のシニアフェロー。『The Origins of Political Order: From Prehuman Times to the French Revolution』が近刊予定)


■軍隊の役割が重要に
ライアン・クロッカー

 カイロやアレキサンドリアの町でどんなことが起きようとも、間違いなくムバラクの時代は終わった。エジプトは今、1952年と同様、根本的な変化に直面している。

 オバマ政権が「秩序ある移行」を強調したのは正しい。古い秩序が維持されない移行があるべきだ。しかし、それは、秩序を以て行われなければならない。

 エジプトの群衆は、党も連立も構成していない。「打倒ムバラク」以外に明確な目標はなく、既存のリーダーもいない。ムハンマド・エルバラダイ氏はエジプトよりも国外で尊敬され、よく知られている。エルバラダイ氏の資質を以てしても、彼はチェコのハベル大統領にはなれない。

 今、エジプトで新たな政治的秩序が生まれようとするなかで、軍隊は重要な役割を担うだろう。米国防幹部はエジプト軍部と直接、連絡を取っている。エジプト軍は驚くほどの抑制を示しているが、実行可能な政治プロセスが手つかずのまま時間が過ぎれば、有望な政治戦略の期待を破壊しかねない暴力のリスクが増していく。

 ムバラク氏は、9月の選挙への不出馬を発表した。彼はまず、それらの選挙が公正で、独立選挙委員会と国際オブザーバーの監視の下で行われることを保証すべきだ。

 第二に、ムバラク氏は、エルバラダイ氏、反体制派のアイマン・ヌール氏、「ムスリム同胞団」などのグループの指導者、市民リーダーらとともに、政治と経済の改革に向けた幅広い対話を始めるべきだ。対話の成果には、憲法改正も含まれる可能性が高いが、国民投票か新議会への提出が可能だろう。

 こうした方策により、デモが収束することを願いたい。デモは抑制のきかない暴力の可能性をはらむだけでなく、すでに疲弊した経済をまひさせる。観光業の回復には、数年とまでいかなくても数カ月はかかると思われ、投資家の意欲も壊滅とまで言わないにせよ、大きく損なわれる。

 われわれの敵、イランとアルカイダは、エジプトの混乱が長引けば、必ずやそれを利用するだろう。アルカイダのナンバー2、アイマン・アル・ザワヒリが、1990年代のエジプトのイスラム過激派組織「ジハード(聖戦)」に対する政府弾圧のさなか、出国したエジプト人であることを思い出すべきだ。

 当時と同じように、「ジハード」と「ムスリム同胞団」はパートナーではなく、敵同士だ。「ムスリム同胞団」は政治システムに受け入れ可能だが、アルカイダと「ジハード」はエジプトで再び足がかりを得て政治システムを破壊しようという意欲に燃えている。その事態は、起きてはならない。

(クロッカー氏は、テキサスA&M大学ジョージ・ブッシュ・スクール・オブ・ガバメント・アンド・パブリック・サービスの学部長。2004年から07年まで駐パキスタン米大使、07年から09年まで駐イラク大使を務めた)


■ムスリム同胞団にはホメイニ師がいない
マージド・ナワズ

 私は、イスラム活動でエジプトの刑務所に4年収監され、現在の騒乱を率いる何人かと監房で一緒だった。だからこそ私は、この事態を専門的または政治的な関心を上回る関心を持って眺めている。私は何年も前にイスラム教を捨てたが、これは私にとって個人的なことなのだ。

 まず、この騒乱の性質をはっきりさせたい。これは、人々の自発的な反乱だ。政党が計画したわけでもなく、思想的な運動が組織したものでもない。疲弊し、激怒した都市の若者が火付け役となり、急速に全エジプトの運動と化した。革命の最もあるべき姿とは、このエジプトの嵐を巻き起こした要素―自発性、包括性、持続性――を備えていることだ。

 エジプトには、警察国家を受け入れなければ、過激派が国を乗っ取る、といった考えが古くからあり、アラブ世界の民主化を阻害してきた。今起きている騒乱は、この考えはもはや通用しないということを物語っている。これからは本物の改革が可能となり、イスラム勢力の強大化を通じてのみ変革がもたらされる、という昔の考えは打ち砕かれた。

 リーダー不在の騒乱は、デモが勝利を収めた後の政治空白を誰が埋めるのかという疑問を投げかける。イスラム勢力による政権奪取に対する懸念は、妥当なものだ。しかし、そういったシナリオはないと思われる。

 「ムスリム同胞団」は、今回の騒乱を自分たちのものではないと認識している。また、より愛国的で多元的、包括的な「新エジプト」は、「ムスリム同胞団」による侵害の試みを拒否するだろう。アーマー・ムーサ氏(アラブ連盟事務局長)や、ムハンマド・エルバラダイ氏(国際機関の元官僚)、アイマン・ヌール氏(改革派野党の指導者、私の元刑務所仲間)などとは異なり、「ムスリム同胞団」には国家をまとめる人物がいない。この革命を引っ張る、ホメイニ師のようなイスラムの大物はいないのだ。

 ムバラク退陣後のエジプトで、「ムスリム同胞団」は議会で議席数を増やすと思われるが、この組織の人物が大統領や主要閣僚の座を勝ち取るとは考えにくい。「ムスリム同胞団」が合法的な勢力としての存在を高めるにつれ、エジプト内外の政策立案者は、イスラム教徒の男性だけが大統領になれるというような過激派的な主義を放棄させるため、圧力をかけるだろう。

(ナワズ氏は、反過激主義を掲げるシンクタンク、クイリアムの共同創設者。パキスタンに民主文化を根付かせるための運動も行っている)


■エジプトには民主文化が欠如
アーマー・バーギーシー

 これを書いている時、ホスニ・ムバラク大統領と数十万のデモ参加者の対立はこう着状態が続いている。数カ月後、数年後はもちろん、2、3日後にエジプトがどうなっているか誰も予測がつかない。しかし、カイロで情勢を目の当たりにしている私は、二つの悪い結末のどちらかになると信じている。

 まず、(フランス革命が起きた)1789年のケースだ。革命派の勝利ではあったものの、騒乱を引き起こした怒りの嵐は、反対派を容赦なく罰するジャコバン派の恐怖政治へと発展した。大衆の怒りが独裁者の追放で静まるという考えは、大きな誤りだ。

 あるデモ参加者は昨晩、次の手段は、郊外の邸宅を一軒ずつ訪ね、家の購入資金をどこから得たのか家主から聞き出すことだと私の友人2人にカイロの広場で語った。

 二番目の可能性は反動的なシナリオだ。体制派のエリート――ムバラク氏本人ではなく、彼の取り巻きという意味だ――が勝利した場合、この国は、二度とこのような騒乱を起こさないことを誓う、国家と怯える中間層の契約によって支配されるだろう。あくまでインターネットへのアクセスができない状態での私の判断だが、西側メディアにはこの観点がまったく抜け落ちている。

 カイロの通りには、デモ参加者とは別の、もうひとつの勢力がいる。数の上でデモに勝るというほどではないが、何千もの若い男が、自分の家や店の前で略奪から守るために一晩中立っているのだ。

 金曜日の晩、警察がいなくなった後、この男たちは何が起きたかを味わった。何百人もの強盗が通りをうろつき、略奪と放火を繰り返した。数千とも伝えられる脱獄者も、明らかに捕まることなく、そこに交じっている。

 私は、反動的なシナリオの可能性が高いと考える。ただ、確かなのは、エジプトにはリベラルな民主政権を支えられる政治文化のようなものが欠けている。野党の要求の浅薄さは、ムバラク政権のばかばかしい談話に匹敵するほどだ。ロックやバーク、ハミルトン、ジェファーソンなどの知識もなく、私の国は抑えのきかない急進主義か、抑圧の継続のどちらかに進む運命なのだ。

(アーマー・バーギーシー氏は、イージプシャン・ユニオン・オブ・リベラル・ユースのシニア・パートナー。バーギーシー氏はインターネットにアクセスできないため、電話で彼のコメントを口述筆記した)