地殻変動の年


(THE JOURNAL: 田中良紹 2011年2月 5日) http://p.tl/DJnW


 今年の干支は辛卯(かのとう)である。「辛」は草木が死滅する意味で、「卯」は扉が開かれている形を表す。生き永らえてきたものが死滅し、新たな芽が生まれてくる年という意味だという。私は「ニッポン維新」という連載コラムに「今年を創造的破壊の年にしたい」と書いた。

 新年から中東各地で政権交代を求める民主化運動が起きている。メディアは「ベルリンの壁の崩壊に匹敵する」と報じたが、まさしく歴史的な地殻変動を我々は目の当たりにしている。旧来のものの見方に引きずられず、まっさらな目で現実を見ていく必要があるように思う。

 私が報道の仕事に携わるようになってから、旧来のものの見方では現実を見通せないと思ったことが三度ほどあった。最初は1971年の「ニクソン・ショック」である。それまでの日本は1ドル360円の固定為替相場で、輸出主導の貿易立国路線を推進し、高度経済成長を実現してアメリカに次ぐ世界第二位の経済大国になっていた。

 アメリカはベトナム戦争の泥沼にはまりこみ、至る所で反戦運動が繰り広げられていたが、沖縄返還を悲願としていた日本政府はベトナム戦争に協力することでその目的を達成しようとしていた。その矢先にアメリカのニクソン大統領が突然南ベトナム解放民族戦線の後ろ盾である中国と和解することを表明した。中国、北朝鮮、北ベトナムの共産主義勢力から自由主義陣営を守るための「反共の防波堤」と位置づけられていた日本にはまったく寝耳に水であった。

 米中和解は日米安保体制を見直すに足るアメリカの戦略転換である。しかし国内では議論らしい議論はなく、私の知る限りでは、後に沖縄返還交渉の「密使」として知られる国際政治学者・故若泉敬氏が「日米安保条約を日米友好協力条約に変更すべきだ」と主張したが黙殺された。

 その1ヶ月後にニクソン大統領は今度は金とドルとの交換を一方的に停止した。ドルを基軸通貨とする戦後の国際通貨体制は変更され、変動相場制が導入されて円高となり、日本の輸出主導型経済は大打撃を受けた。高度経済成長の基盤的条件が崩れたことになるが、これにも日本の反応は鈍かった。各国が早々に変動相場制移行に切り替えたのに対し、日本は旧来の為替レートを維持しようとドル買いに走り、税金を無駄に出費した。

 第二の出来事は、1986年から87年にかけてフィリッピンのマルコス政権と韓国のチョン・ドファン政権が相次いで崩壊したことである。いずれも親米反共政権で二人ともアメリカのレーガン大統領と親密な関係にあった。しかし政敵を力で弾圧するなど独裁体制を敷いて民衆からは反発されていた。この二つの政権を倒させたのはアメリカである。親米で大統領と親しくともアメリカの利益にならないと判断されれば切り捨てられることが明らかになった。

 「マルコス独裁20年」と批判されたが、その頃の自民党は30年を越す長期単独政権を続けていた。しかも1985年にアメリカが世界一の借金国となり、日本が世界一の金貸し国になったことでアメリカの日本を見る目は厳しかった。アメリカ議会から日本の政治構造を調べるために調査団が派遣され、その調査団と若手の政治家や政治記者との懇談会が催された。私も参加したが誰も日本の政治構造をアメリカ側に納得させることは出来なかった。「自民党独裁30年と思われても仕方がない。日本政治の常識は世界に通用しない」とつくづく思った。

 第三が冷戦の崩壊である。1989年にソ連の支配下にあった東欧諸国で民主化運動が起きた。ポーランド、ハンガリーで共産党政権が倒れ、東西ドイツを分断していたベルリンの壁が壊され、それはチェコスロバキアやルーマニアにも及んだ。1年足らずのうちに政権交代のドミノ倒しが起きた。そして1991年、第二次大戦後の世界を半分支配してきた軍事超大国ソ連が崩壊した。あり得るはずのないことが現実になった。

 世界史を塗り替える変革の原動力はテレビである。衛星放送の登場が世界を変えた。それまでは鉄塔から発射される電波の範囲でしかテレビを受信することは出来ず、国家は放送を管理し情報を国境の内側で統制することが出来た。しかし西側諸国の衛星から発射された電波は国境を越え東欧諸国でも視聴出来た。東欧諸国の国民に情報統制が効かなくなり、国民は世界で何が起きているかを知る事が出来た。

 冷戦の崩壊によって世界各国は自らの進路を手探りで模索しなければならなくなった。第二次大戦後に構築された仕組みのあるものは消滅しあるものは生き残る。そして戦前の仕組みが再び甦る。何がどうなるかを予測することは難しく、すべては現実の営みの中で、その力関係の中で決まっていく。我々はそうした世界を20年ほど生きてきた。

 唯一の超大国となったアメリカは、世界を支配するために最強の軍事力の組織構成を見直し、冷戦後に対応するよう配置転換し、世界の情報を収集・分析する能力と体制を整え、ドル基軸通貨体制を維持しながら地球上のあらゆる資源を確保することに全力を挙げた。

 またアメリカはソ連に代わる「敵」を作り出し、それとの対立を煽ることで最強の体制を維持しようとした。初めは「日本経済」を「ソ連に代わる脅威」と考え「日本経済封じ込め」を図るが、バブル崩壊と共に自滅した日本経済は敵にする必要もなくなった。次に「テロとの戦い」を宣言し、アフガン、イラクで戦争をするが、勝利どころかベトナム戦争以来の泥沼にはまりこんだ。最近では台頭する中国と対峙する姿勢を見せるが、既にアメリカ経済は中国と抜き差しならない関係にあり、中国はソ連のような「敵」にはなり得ない。

 そうした状況の中で、チュニジアから始まる変革の嵐が中東諸国を襲った。エネルギー資源の確保を最優先にしてきたアメリカは、これまで中東諸国の独裁政権と親密な関係を築いてきた。民主主義を表看板にしたアメリカの外交は常に二枚舌である。アメリカの利益になる独裁政権はむしろ都合が良い。

 その独裁政権の退陣を求めて民衆が立ち上がった。反体制の指導者に率いられた運動ではない。インターネットが原動力の運動である。インターネットで情報を知った民衆の自然発生的な蜂起が歴史上初めての「指導者なき革命」を引き起こそうとしている。かつてソ連の支配下で起きた東欧の民主化を彷彿とさせるが、それがアメリカの支配下にある中東の独裁国家で起きているのである。

 「中東の民主化」は「テロとの戦い」を遂行するアメリカの基本方針である。アメリカは「中東の民主化」を掲げてイラクやアフガンで戦ってきた。だから民主化運動を敵に回すことは出来ない。しかしそれはあくまでもアメリカにとって都合の良い民主化である。民主化によってイスラム勢力が力を増せばアメリカの中東政策は根本から見直さざるを得なくなる。そうなればアメリカの世界戦略に影響する。

 冷戦崩壊後、アメリカは2年から3年の時間をかけてあらゆる政策の見直を図った。今回もそれに匹敵する作業を迫られるかも知れない。これまでの常識にとらわれていては対応を誤ることになる。それほどの地殻変動が起きているのである。今年はそういう年なのだ。

 ところで指導者なき民衆の運動が起きているのは中東だけではない。二見伸明先生が参加されてブログにもお書きになったが、日本でもインターネットで自然発生的に集まった人たちが定期的にデモを行っている。検察とマスコミを糾弾し、小沢一郎氏を支援する民衆のデモである。こちらは中東に比べればささやかで静かだが、しかしこれもこの国に地殻変動が起きていることを感じさせる。指導者がいなくとも民衆は立ち上がる。そしてそれが歴史を動かす力になる時代が到来しているのである。