名古屋・トリプル審判 民主党政権も問われる
(東京新聞:社説 2011年2月7日) http://p.tl/je6b

 名古屋のトリプル投票で、河村たかし市長の訴えが圧倒的に支持された。地方自治は新たな時代を迎えるのだろうか。期待を込め、三つの注文をしよう。
 市議会を解散し、愛知県知事に盟友の大村秀章氏を-と河村氏が自らも辞職して仕掛けたトリプル投票。その三つともかなえさせてくれた民意は、市民税減税や議員報酬半減など河村氏が「庶民革命」と名付けた改革の推進力になるに違いない。
 今の地方自治は名古屋に限らず大方が停滞気味だ。住民が変えたいと思ってもなかなか変わらない。だから河村改革は全国の注目を集め、市民の支持を集めた。

◆「独裁型」はいけない
 改革は全力で進めてもらいたい。しかし、期待が大きいだけに、あえて市民のための改革となるよう三つの注文をしよう。
 第一は「独裁型になってはいけない」ということだ。
 三つの勝利も、河村氏にとっては実はほんの前哨戦にすぎない。
 「次はいよいよノルマンディー上陸だ」
 第二次世界大戦の勝敗を決した連合軍の大作戦と河村氏が見据えるのは、この住民投票の結果、三月に行われることになった出直し市議選だ。
 河村氏は自らの地域政党「減税日本」から四十人ほどを擁立、議会(定数七五)の過半数を占めようとしている。議会を制すれば改革を一気に進めることができる。
 憲法にある通り、日本の自治は首長と議会の二元代表制である。両者の緊張関係、チェック・アンド・バランスの機能が住民の総意により近いという考えだ。対立の果ての多数決より、知恵と時間を使った歩み寄りの方が地域の和はよりよく保たれる。
 市長と議会のなれ合いはその誤用、悪用にすぎない。市長の言うままの議会に、もし、なってしまえば、民意は偏ってしまう。

◆首長は社長でもある
 二つ目は「名古屋市という会社の社長たれ」という注文だ。
 「政治能力と人気は抜群。だが経営者としての能力と関心は極端に低い」。前の市長選でブレーンだった政治学者、後房雄・名古屋大教授は残念だが、そう言った。
 減税をてこに、役所の無駄を減らせる。一石二鳥-。後教授の周到な作戦だった。
 しかし河村氏は議員報酬と議員定数の半減という新たな争点を持ち出し、議会との対決をより強める。結局議会は「財源が不透明」と減税を一年で打ち切ってしまった。減税に必要な百六十億円は行財政改革でまかなったが、借金にあたる市債の発行残高は前年より三百億円増えて、一兆八千五百億円。つけは次世代に回る。
 名古屋市という会社の収支をよく考えてくれなければ、市の「社長」とは言えまい。
 三つ目は「よく聞いてほしい」ということ。
 昨年末の減税継続を否決され「もう一度、信を問いたい」という河村氏の辞職理由も市民の思いとは、ずれがある。
 本紙が先月下旬に行った世論調査で、新市長が優先的に取り組むべき政策を尋ねたところ、民主党候補の公約の「医療や子育てで使えるサービス券」が40%近くあり「減税」はその半分だった。
 一律10%の河村減税では、所得の多い人ほど恩恵が多く、少ない人にはほとんどない。河村氏の訴えに拍手を送ったのはそんな庶民たちだ。
 高額の報酬をもらう議員では庶民のことなど分かるまい。そんな不満を募らせてきた人々が変化への望みを託した。耳を傾け、言葉だけでなく改革を実行してほしい。
 いうまでもなく地方自治は、私たちの暮らしに最も身近な政治である。もっとも働いてもらわなければならないし、もっとも接触し参加する機会のある政治である。だから各地で地方議会改革の波が起こり、首長と議会の衝突も起きている。今は胎動をもはや過ぎ、実行実現の時になっている。

◆魅力の足りない国政
 名古屋などの運動が注目されるのは当然だ。政治的には四月の統一地方選への重要な試金石である。トリプル投票では大物国会議員が続々と応援に来た。名古屋の審判はそれらを、ほとんど寄せ付けなかった。河村人気は圧倒的だった。しかし、すべてをそのせいにはできまい。政治の魅力が足りないのだ。やると言ったことができていないのだ。とりわけ民主党政権は猛省すべきだろう。
 地方自治の歯車は回り出した。掛け声の分権、主権でなく住民のための本物の自治とは何か。首長は、議会は、そして住民は何をしなければならないのか。名古屋の問いかけは、日本中が考えるべきことである。その意味で統一選の今年は、地方自治元年となるかもしれないのだ。