もしもムスリム同胞団がエジプトを掌握したら…反政府デモの真相とムバラク後の中東和平




~スタンフォード大学 ジョエル・ベイニン教授に聞く

(DIAMOND online 2011年2月9日) http://p.tl/jerR




緊迫するエジプト情勢は、世界経済の新たな不安材料だ。混乱が中東各国に拡大すれば、エジプト進出企業のみならず、日本経済全体も甚大な影響を免れない。事態はどこに向かうのか。カギを握る米国はどう出るのか。エジプトの政治運動に詳しいスタンフォード大学のジョエル・ベイニン教授に聞いた。

(聞き手/ジャーナリスト、瀧口範子)




――エジプトの反政府デモは、予想以上に大きな波及力を示した。原動力になったのは、本当に若者だったのか?


 カイロのタハリール広場での大衆デモがあれだけ大きく広がったのは、偶然の産物だ。エジプトの経済環境はひどく、最低賃金の引き上げを訴える労働者の運動が10年以上続いている。こうした労働組織や政治アクティビストらのグループは、それぞれは小規模なものだが、今回は顔見知り同士が呼びかけ合うといったような方法でネットワークが結びつき、効果的なデモになった。


フェイスブックやツイッターの影響力も喧伝されているようだが、それらがデモを組織したわけではない。私が聞いたかぎりでは、口コミや車のガラスに貼られたチラシなどを見てデモを知り、参加した人々がほとんどだ。実に古い方法だ。




――1月25日から始まったデモは、28日になって急に大規模化したが、その性格も変わったのか。


当初参加していたのは1万人ほどで、1700万人のカイロの人口と比べると大したものではなかった。とはいえ、従来のデモの規模を超えていたのは事実だ。これまで反政府運動が起こると、いつも秘密警察が出動して運動家を拘束したり、女性運動家らに暴行をふるったりしてきたため、人々は恐怖心からデモに参加するのをためらってきた。


 だが、今回はやはり政権転覆をもたらしたチュニジアでの反政府デモの成功が呼び水となった。自分たちにも独裁者を追放できるという希望が、人々を広場に向かわせたのだろう。そしてその広がりを見て、穏健派イスラム原理主義組織のムスリム同胞団やノーベル平和賞受賞者で国際原子力機関(IAEA)前事務局長のエルバラダイ氏らも正式にデモ支持を表明した。




――人々の要求は、政治的なものと経済的なものと、どちらが強いのか。


 エジプトのような国では、そのふたつは分けられない。なぜなら、独裁政権下では、いかなる運動の組織化も政治的なものになる。また、エジプトの人々の生活は、(ムバラク大統領の指示で)先ごろ辞任したナジフ首相が2004年以来施行したネオ・リベラル経済戦略によって、よりいっそう貧しくなった。労働者によるストライキはその時以来、急速に増えた。


 1月25日のデモ開始時点では経済的な要求が高かったかもしれないが、それだけではない。繰り返すが、やはりチュニジアでのデモ成功の影響が大きい。長年にわたって、エジプト国民の多くはムバラク大統領を嫌ってきたが、恐怖心から行動を起こせずにいた。だが、そのタガが外れた。国民を恐怖心で覆うことができなければ、独裁政権の土台は揺らぐ。それが今、起こっている。




――アメリカは、中東和平を保つためにムバラク大統領を援助してきた。そのアメリカに対して、人々はどのくらい反感を持っているのか。


 今までのところ、デモは反米感情に突き動かされたものではない。スタンフォード大学の私の学生がエジプトに留学中で、1月28日の大規模デモにも居合わせが、そこで人々に聞いたところでは、「アメリカ国民はムバラク大統領を追放するようアメリカ政府を説得して欲しい」と訴えていたという。非常に冷静な見方だ。


 そもそも、ムバラク政権こそ、これまで国民が諸外国を敵視するように促してきた張本人だ。諸外国は陰謀を企み、エジプトを転覆させようとしているというのが、ムバラク政権のプロパガンダだ。今回のデモで、海外のジャーナリストたちが拘束されているのもそのせいだ。




――アメリカは現在、オマール・スレイマン副大統領を支持して、ムバラク大統領を権力の座からはずそうとしている。今後の動きをどう予想する?


 まったくの視界不良だ。ただひとつ言えるのは、スレイマン氏が国を率いることになっても、エジプトはこれまでとまったく変化しないということだ。


 彼は軍人出身で、対イスラエル交渉を任されてきた人物だ。ムバラク大統領自身はイスラエルを訪れたこともない。だからこそ、アメリカもイスラエルもスレイマン氏を推しているのだ。多数のエジプト国民は、そのことをわかっていないかもしれない。


 また、ムバラク政権はこれまで野党を細分化させることに成功してきたため、エジプトでは政治的なまとまりが期待できない。




――報道によれば、オバマ政権はムスリム同胞団に強い警戒心を抱いている。しかしエジプトでは宗教政党は禁じられており、そもそもムスリム同胞団は政治の主導権を握ることに関心がないとされているが、本当にそうなのか。


 決して無関心ではない。ムスリム同胞団は(2010年のムバラク政権主導の不正選挙で議席を失ったものの)不正操作が相対的に少なかった2005年の選挙では約20%の議席を獲得している(宗教政党は禁じられているため、ムスリム同胞団の団員は無所属として立候補)。彼らを急進派と見るのはナンセンスで、それは「すべてのイスラム教徒はテロリストだ」と言うのと同じだ。彼らは、穏健であることを自ら宣言している。




――もしもムスリム同胞団が政治の主導権を握った場合、どんな政治的立場を取ると思われるか。


 ムスリム同胞団はこれまで、モスクや診療所を建設したり、学生のための学習センターや保育園などを作ったりしてきた。1950~60年代にナセル大統領がアラブ社会主義を打ち立て、それによって社会サービスが広まったが、それが今のエジプトからすっかり消えてしまった。ムスリム同胞団は政府がやらないそうしたことを肩代わりしてきたのだ。


 政治的に言えば、彼らはトルコの正義開発党に近く、社会的には保守的でイスラム的なアクティビストではあるが、ジハーディスト的でもサラフィズム(超保守的イスラム信仰)的でもない。




――これからのエジプトはどんな国になるのか。


 たとえ民主主義国家となっても、イスラム国家であるエジプトはムバラク政権下ほど親米的でも親イスラエル的でもなくなるのは確実だ。


 ムスリム同胞団も、中東和平交渉を反故にはしないが、アメリカのお得意様になるのは嫌だと表明している。中東和平交渉で仲介役を果たしてきたエジプトのそうした変化が、アメリカ政府にとって不都合であることは間違いない。


 しかし、アメリカ政府のためにあえて言えば、今は何もしないのが最良の道だ。ムバラク大統領に退任を迫るくらいはいいが、それ以上は何をしてもきっと間違いを起こすはずだ。






ジョエル・ベイニン

(Joel Beinin)

スタンフォード大学歴史学部教授。プリンストン大学卒業後、ハーバード大学で修士号、ミシガン大学で博士号を取得。1983年より現職。エジプト、イスラエル、パレスティナ史が専門で、エジプトやイスラエルでの調査・研究も多く、ことにエジプトの労働運動、政治運動に詳しい。

Photo by Hossam el-Hamalawy (http://www.flickr.com/photos/87153545@N00/2095143924