“記者会見ごっこ”はもうお終いにしよう。
税金で運用する政府会見インフラは全てのジャーナリストへ公平に開放を!


週刊・上杉隆
(DIAMOND online 2011年2月10日) http://p.tl/9-le


ようやく日本でも世界標準の「記者会見」がスタートしようとしている。


 それは、「自由報道協会」、筆者が代表(暫定)を務める非営利組織、その任意団体(現在)の運営する「記者会見」のことである。

 こう書くと、読者の多くが「なんと独善的な」、「自画自賛に過ぎる」と思うに違いない。

 あるいはまた、「では、テレビや新聞で知るあの記者会見は、記者会見ではないのか」という疑問をもたれるかもしれない。

 それも当然だ。日本に生まれ、日本に育った者ならば、あの不思議な「記者会見」を本物の「記者会見」だと信じ込まされているからだ。


■これまでの政府記者会見は“記者会見ごっこ”だった


 だが、実際のところ、これまで日本政府が開いてきたすべての記者会見は、記者会見のようであって記者会見ではない。それは記者会見ごっこにすぎない。

 日本では、記者クラブという世界に類をみない旧態依然とした組織(任意団体)は、政府の情報を一方的に独占し、新聞・テレビなどの一部のメディアだけが己の特権を守るため、排他的な運用をし続けてきた。

 日本で「記者会見」と呼んでいるそれは、実は、世界からみれば「記者会見」に当たらない。

 そう、みなさんがこの半世紀もの間、記者会見だと信じてきたのは、世界のジャーナリズムのルールでいえば、単なる「懇談」にすぎないのである。

世界中で行なわれている標準的な政府の記者会見とは、報道に携わる者であるならば、誰もが同等のアクセス権を持って参加し、公平なルールに則って質疑応答を行うことのできる、自由な言論の“場”のことである。

 ところが、日本では、フリーランス、雑誌、業界紙、海外メディア、ネットなどのメディアが、同業者でもあるテレビ・新聞などの大手メディアと背後にいる官僚たちによって長年、排除され続けてきた。

 その排除は徹底している。懇談会(記者会見)への参加どころか、私たちの税金で建てられ、税金で運用されているはずの公的な官庁の建物にすら入れないのである。

 そうした官報複合体の妨害によって、国民は本当のことを知らされずに、偽の記者会見でもって洗脳されてきた――、それが、現代日本の現実である。


■基本的には誰であれ参加できるのが記者会見の「世界標準」


 ここに、自由報道協会の作成した比較表がある。


「日々坦々」の資料ブログ
 この表は、日本の「懇談」(記者会見)が、世界標準の記者会見といかに乖離しているか、明確に説明している。

たとえば、記者会見への参加資格だ。

 プロフェッショナル、ワーキングプレスであれば、基本的には誰であれ参加できるのが世界標準(FCCJ)の記者会見である。

 つまり、平等な取材機会を保障され、そこから鋭い質問ができるかどうか、あるいは良質な記事を書けるかどうか等の競争がスタートするのが、世界中で行われている標準的なスタイルである。

 それに引き換え、日本では、テレビ・新聞のメディアが、フリーやネットなどの同業者をスタートラインに立たせないどころか、競技場にすら入場させないというのが現状なのである。

 それで言論の自由を声高に叫んでいるのだからちゃんちゃらおかしい。

 海外の記者会見でも情報源へのアクセスについての差は当然にある。だが、それは競争の上での差であり、日本のようにアクセス権を認めないというルール上の差ではない。

 たとえば、インナーサークルを形成しているホワイトハウスの記者会見、自国記者からの質問を優先する各国の政府会見がそうであるように、恣意的でありながらも、記者会見に参加することはできるのだ。


■税金で運用されている会見場など“国民の財産”は公平に開かれるべき

 比較表にもあるように、全額国民の税金で運用されている「記者会見場」、「記者室」、「警備費」は、公平に国民に開かれるべきである。

 残念なことに発足したばかりの「自由報道協会」(準備会)も、本来、自由に使えるはずのそうした施設を一切使用できない。

よって、記者会見ごとに会場を探し、決して安くない会場使用料を払い、多くのスタッフやボランティアを動員し、警察当局との打ち合わせなどを行い、当日の設営などもすべて自分たちで行なうことを余儀なくされている。

 その労力、出費、時間は相当のものだ。だから、せいぜい週に1度か2度位しか会見を開催することができない。


 だが、その間にも、世界の言論空間の基盤は激変し始めている。それはチュニジアやエジプトでみられる「情報通信革命」をみれば一目瞭然だ。

 情けないことに、日本の言論界は、記者クラブシステムのおかげで「二世代」手前で止まっている。


 自由な言論の場を構築し、早く時代に追いつくためにも、標準的な記者会見の設置が急務なのである。