●エジプトのムバラク大統領、家族と共にシャルムエルシェイクに到着=アルアラビア
(ロイター2011年 02月 11日 23:44) http://p.tl/Hmuq
 [カイロ 11日 ロイター] アルアラビアテレビは11日、エジプトのムバラク大統領とその家族がカイロ郊外の空軍基地からカイロを離れ、シャルムエルシェイクに到着したことを確認したと報じた。
 エジプト軍高官筋はロイターの取材に対し、ムバラク大統領がカイロを離れたとの報道に関するコメントを拒否した。
 ムバラク大統領は紅海沿岸のリゾート地シャルムエルシェイクをこれまでも頻繁に休暇で訪れている。
 アルアラビアは当初、大統領は家族と共にエジプトを出国したと報じていたが、後にこれを訂正した。一連の報道に関する情報源については明らかにしていない。


●ムバラク大統領が辞任=エジプト革命、18日目で成立-軍最高評議会が全権掌握
(時事通信2011/02/12-02:11) http://p.tl/RS6 -
【カイロ時事】エジプトのスレイマン副大統領は11日、ムバラク大統領(82)が辞任すると発表した。独裁政権が倒れたチュニジアに端を発したエジプトでの民主化革命は、大統領の辞任表明で1月25日のデモ開始から18日目で実現した。30年の独裁政権は終止符が打たれたが、急激な政変はエジプトを含めた地域の不安定化につながる可能性がある。
 軍の最高評議会が全権を掌握するという。大統領と家族はこれより前、首都カイロ郊外の軍事基地から、シナイ半島の保養地シャルムエルシェイク入りした。
 ムバラク大統領はこれに先立つ10日夜、国営テレビを通じて演説し、9月の次期大統領選の民主的な実施に向けた憲法改正など平和的な権力移行に全力を挙げる意向を表明した上で、野党勢力の即時辞任要求を拒否した。しかし、11日に全土で100万人以上が大統領の即時辞任を求める大規模デモを実施、民衆の辞任圧力に屈した形となった。
 軍主導で暫定的な政権を構築し、大統領選などの民主的な実施に向けた憲法改正を行い、平和的な政権移行を目指すシナリオとみられる。軍最高評議会は11日、声明を発表、改憲や公正な選挙実施を保証すると宣言しており、民衆の民主化要求に応える意向を示している。ただ、軍による全権掌握を受け、憲法に基づく平和的権力移行が本当に実現するかは不透明だ。


●大統領辞任 市民が集まり喜ぶ
(NHKニュース 2011年2月12日 11時40分) http://p.tl/Vdml
エジプトを強権的な政治手法で30年近くにわたって統治してきたムバラク大統領が辞任したことを受けて、首都カイロの中心部には大勢の市民が集まり、夜を徹して喜びを分かち合っています。
エジプトでは、11日夜(日本時間の12日午前1時すぎ)、スレイマン副大統領が国営テレビで声明を発表し、ムバラク大統領が辞任して、大統領の権限は軍の最高評議会に移譲されたことを明らかにしました。これを受けて、首都カイロの広場などで反政府デモを続けてきた人たちは、夜を徹して歌ったり踊ったりして喜びに沸き、街のあちこちで花火も打ち上げられました。カイロの市内では、大統領の辞任発表からおよそ11時間がたっても、大勢の市民が広場などに集まって喜びを分かち合っていて、興奮の余韻が続いています。街頭にいた男性は「大統領が辞めてとてもうれしい。一晩中祝うために街に繰り出してきた」と話していました。一方、関係者によりますと、大統領を辞任したムバラク氏は、家族と共に、紅海に面したシナイ半島の保養地、シャルムエルシェイクに移ったということです。当面の国の運営は大統領の権限を引き継いだ軍の最高評議会が担うことになりましたが、民主的な選挙に向けた憲法の改正や、一連の混乱で打撃を受けた経済の立て直しに直ちに取り組む必要があり、新たな体制の発足に向けて課題が山積しています。


●軍、政権掌握は一時的 歓喜の市民、打倒祝う
(共同通信 2011/02/12 13:26)http://p.tl/eFV4
ムバラク大統領辞任
 【カイロ共同】エジプトのムバラク大統領の辞任を受け、軍の最高首脳会議である「最高評議会」は11日、声明を発表し「国民が求める正統な政府に取って代わるつもりはない」と訴え、軍の政権掌握は一時的な措置と表明した。野党勢力との対話に基づく民主化の道筋づくりが今後の焦点だ。
 国内各地では約30年間続いた強権的なムバラク政権の打倒を喜ぶ市民が街頭に出て、深夜までお祭り騒ぎとなった。政権崩壊を祝う声は中東諸国の市民らにも広がった。
 オバマ米大統領も声明を発表、国民の抗議行動を受けたムバラク氏辞任を「歴史的」と評価。エジプト国民は「世界を変えた」と称賛した。
 軍最高評議会は、タンタウィ国防相が主宰。声明は「国民の要望を実現するための改革推進策を策定中で、追って発表する」と表明。秩序回復や平和的な権力移行に向けた具体的措置を近く明らかにする見通し。
 憲法は大統領辞任の場合、60日以内の選挙を定めているが、軍は憲法を停止したかどうかを明らかにしていない。人民議会(国会)も解散するとも伝えられており、大統領選を含めた今後の政治日程は不透明だ。
 首都カイロ中心部タハリール広場での反政府デモを呼び掛けていた民主化勢力の一人はAP通信に、民主的な改革実現に軍と協議したいとの意向を表明。



●エジプト:政権崩壊 市民、「私たちには意志があった」
(毎日新聞 2011年2月12日12時43分) http://p.tl/a0h0
 【カイロ鵜塚健】市民数十万人が連日参加した反政府デモに“追放される”形でムバラク大統領が11日に辞任を表明したエジプト。歓喜に包まれたカイロ市内は、国旗を振り、歌い踊る市民で、夜通し盛り上がった。花火やクラクションの音が夜空にこだまし、さながらパーティー会場のような光景が夜明けまで続いた。

 深夜になっても、国旗を窓から出して走る車やクラクションを繰り返し鳴らす車が幹線道路を行き交う。まるでサッカー・ワールドカップで優勝したかのような騒ぎだ。

 デモ開始以降、略奪も発生したため、カイロ市中心部では路地のあちこちで自警団が警戒を続けてきたが、この日だけは緊張感は消え、いすや地面に座り込み笑顔で独裁体制打倒の喜びをわかちあう姿が見られた。

 「空を飛んでいるような自由な気分よ」。カイロ市内の旅行会社に勤める女性、ヘバ・ガラルさん(29)は叫ぶように話した。ガラルさんは大学を卒業し、英語とスペイン語を習得したが就職は困難を極めた。「これまでのエジプトは、ムバラク大統領や有力者につながるコネが重要で、私も就職で悔しい思いをした。今後は多くの人に公平な社会を望みたい」と新生エジプトに希望を託す。

 独裁体制打倒を支えたのは市民のねばり強さだ。「私たちに武器はなかった。しかし意志があった」と多くの市民が「勝利」の理由を語る。人権団体の調査では、先月25日からのデモで、少なくとも300人が死亡、1500人が負傷している。治安当局に拘束されたデモ参加者は何万人にも上ると推定される。多くの犠牲がはらわれた。今月3日、デモに参加中に理由もなく半日間拘束された薬剤師のガベル・アブドさん(42)は、「今後は本当に民主的な国を望みたい」と未来への強い思いを語る。

 会社経営のアフマド・イブラヒムさん(60)は「これまでは何をするにも役所からわいろを要求され、断れなかった。たとえ時間がかかってもいい。エジプトの社会は絶対に良くなると信じたい」と話した。


●エジプト:政権崩壊、ネットで連帯 新たな民衆革命の姿
(毎日新聞 2011年2月12日12時46分) http://p.tl/2Cun
 【カイロ鵜塚健】「私たちは生まれ変わった」「エジプトは自由だ」。ムバラク大統領の辞任が発表された11日午後6時過ぎ、デモの中心であるカイロのタハリール広場では辞任情報が携帯メールでまたたく間に広がり、広場は地鳴りのような歓喜の声に包まれた。思想信条、階層も関係なく見知らぬ同士が抱き合い、喜びのあまり泣き崩れる人もいる。ネットや携帯でつながった「ゆるやかな連帯」が独裁体制を打ち倒す、新しい民衆革命の姿がそこにはあった。
 イスラム教の休日である11日は同広場でも金曜礼拝があり、朝から多くの市民がつめかけた。夕日が傾いてもその数は減らない。あたりが暗くなったころ大統領の進退に関する声明が出るとのうわさが流れ、デモ参加者は携帯電話で受信したテレビニュースの映像やメールをのぞき込む。
 「辞任したぞ」。スレイマン副大統領の声明発表の映像を映す携帯を幾重もの人の輪が取り囲む。「ファラオ(エジプト王、独裁者)は倒された」。「生まれて初めて自由を感じた」。人々は喜びを爆発させた。あちこちで太鼓や笛が鳴り出した。大小無数の3色の国旗がはためく。
 ネットや携帯メールで辞任を自宅で知った市民も広場に駆けつける。ナイル川にかかる橋は人であふれかえった。広場入り口では若者らが「エジプト、エジプト」と声をかけ市民を迎え入れる。顔に国旗のペイントをした子供も多い。「今日を一生忘れないために家族で来た」と電器店経営、アハドさん(47)は声を弾ませる。
 西洋的な最新ファッションの女性から、ニカブ(目だけ露出したかぶりもの)を着用したイスラム教を重んじる保守的な女性まで、広場に集まった人は実に多種多様だ。あちこちで若者が何か叫び出すと、中高年たちが耳を傾け笑顔で声援を送る。それをカップルや家族連れが見守る。
 けが人を無償で治療した医師や看護師のボランティア、泊まり込みのデモ参加者のために食べ物を差し入れ、掃除を買って出た市民。参加者は互助会まで作り18日間の戦いを耐え抜いた。大規模な流血もなく市民の多様な連帯で成し遂げられたさわやかな政変劇を、白色をイメージし「ホワイト革命」と欧米では呼び始めている。
 「エジプト人よ、胸を張ろう」「エジプトを再建しよう」。あちこちで掲げられたスローガンが明日への希望を表している。デモに毎日のように参加したカイロの金融関連会社勤務、ムハマド・モクシさん(35)は「何度も波があり、ジェットコースターのような18日間だった。でも未来を信じてよかった」と話す。その笑顔に疲れは見えない。



●我々の新たな時代が始まる ムバラク氏辞任、歓喜の歌
(朝日新聞2011年2月12日11時51分) http://p.tl/pICa
 「自由、解放、勝利」
 11日午後6時過ぎ、ムバラク大統領退陣の一報が伝わると、カイロ中心部のタハリール広場を埋め尽くした群衆はどよめき、続いて歓喜の声がわき上がった。
 即時辞任を求める連日の民衆デモにもかかわらず、ムバラク氏は前夜の演説で政権への居座りを宣言。この日、広場に集まった群衆の怒りは頂点に達し、「ムバラクよ、立ち去れ」との叫び声がこだましていた。
 そこに飛び込んできた突然の「吉報」は、広場の各所に設けられた演説台のスピーカーや携帯電話のメールなどを通じ、瞬く間に広場全体に伝わった。肩を組んで踊り出す若者、抱き合いながら涙を流す母子。打ち振られる無数の国旗。その中で、白髪の男性が身動き一つせず、天を仰いでいた。
 興奮状態から落ち着きを取り戻し始めた午後8時過ぎ、一人の男性が演説台で即興の曲を披露した。
 ムバラク治世の30年
 抑圧された日々
 苦しかったろう
 だが、独裁者はもういない
 自由を取り戻した今日
 我々の新たな時代が始まる
 哀愁を帯びた旋律に、市民らはそれぞれの思いをかみしめながら聴き入った。
    ◇
 ムバラク大統領の即時辞任を求めるエジプト民衆のデモは11日、拠点のタハリール(解放)広場から、権力の象徴である大統領府前へと広がった。その直後に大統領は退陣。30年にわたる強権支配からの解放を、市民は自らの力でつかんだ。
 タハリール広場から約15キロ離れた大統領府。11日午後1時前、イスラム教の金曜礼拝を終えた人々が続々と、大統領府の裏手の路上に集まり始めた。午後3時ごろには、大統領府に面した片側2車線の道路が約500メートルにわたり埋め尽くされた。
 デモが始まって18日目。大統領府はカイロ中心部から遠く、警備も厳しいことなどから、これまではデモの現場にはほとんどならなかった。だが、ムバラク大統領が10日のテレビ演説で即時辞任を拒否したことで、民衆の怒りは頂点に達した。
 大統領府周辺には有刺鉄線の柵が張り巡らされ、向こう側から何台もの戦車が砲身をこちらに向けている。緊迫した雰囲気の中で、警備する兵士らとデモ隊とのにらみ合いが続いた。
 だが午後5時過ぎ、雰囲気が変わり始めた。戦車がそろって砲身を横に向け、さらに兵士が戦車に国旗を取り付けたり、デモで犠牲になった若者の遺影を戦車の上に飾ったりした。群衆と連帯するかのような動きにデモ隊から拍手が起こり、「革命だ。今日は最後の日だ」との声がわき上がった。
 ムバラク退陣のニュースがラジオなどを通じてデモ隊に伝わったのは、それから約1時間後。言葉にならない歓喜の叫び声が続き、人々は跳び上がり、抱き合った。
 ムバラク氏はこの日、カイロを脱出し、シナイ半島のリゾート地シャルムエルシェイクに入ったという。
 大学生のワリド・サラーマさん(22)は「エジプトを誇りに思う。これで初めてまともな選挙を経験できる。正直ほっとしたね」と、興奮気味に話した。
 大統領府前のデモ隊はその後、続々とタハリール広場に向かった。仲間と合流し、夜を徹して祝福するためだ。
 大群衆が集うタハリール広場も、興奮の渦に包まれていた。花火が打ち上げられ、市民らが「胸をはろうぜ」と声をかけ合う。中立を守ってきた軍の兵士らに握手を求め、兵士らも子どもを抱えあげて戦車の上で記念撮影に応じた。
 教育省で働くイブラヒムさん(47)は「小学校で中退する子をゼロにしたい」。地元紙のカメラマン(48)は「これからは秘密警察におびえず、政府の問題を指摘する写真を紙面に載せることができる」。広場の市民らは口々に未来への希望を語った。
 ムバラク氏の退陣が実現したとはいえ、今後の政局や社会情勢がどう推移するのかはまだ不透明だ。
 「でも、今日だけは素直に喜ばせてくれ。この瞬間をどれほど待ちわびたことか」。中学校教師の男性(35)は感極まった様子で話した。(カイロ=井上道夫、古谷祐伸)