スーダン:親米非イスラム国家誕生へ 地域不安定化懸念も
(毎日新聞 2011年2月7日 23時23分) http://p.tl/QVGl


 ◇「親イスラエル」
 イスラム原理主義的な北部・中央政府のバシル政権は90年代、国際テロ組織アルカイダによる国内の拠点化を容認したとされ、米国はスーダンをテロ支援国家に指定し経済制裁も科してきた。バシル政権と対立を深める中、米国はキリスト教徒などが主体の南部寄りの姿勢を強化した。

 バシル大統領は昨年12月、南部独立の場合、北部でシャリア(イスラム法)に基づく憲法改正を行う意向を明言した。栗田禎子・千葉大教授(中東・アフリカ現代史)は「米国は数年後、イスラム原理主義を強める北部に対し『テロとの戦い』を名目に締め付けを強め、対立が鮮明になるかもしれない」と指摘する。

 また、南部独立後の国家運営も担う政治組織「スーダン人民解放運動」(SPLM)は、主にアラブ側からイスラエルとの協力関係が指摘されていた。「この地域に親米・親イスラエル国家が誕生し、アラブ諸国を挟み撃ちする構図ができることも考えられ、地域の不安定化をもたらす可能性はある」と分析する。


 ◇軍事国家の懸念
 SPLMは、北部・中央政府と戦ってきた武装組織「スーダン人民解放軍」(SPLA)が母体。「軍事組織的な色彩が強く、権威主義的な体質がある」(SPLMに詳しい情報筋)と言われ、行政手腕を疑問視し、軍事独裁化の危険性を指摘する声も少なくない。

 「エリトリアのようにならないか」。中央政府に近いある関係者は憂慮する。エリトリアは約30年の独立闘争の末、住民投票を経て93年にエチオピアから分離独立したが、ゲリラ組織が改組した政党の主導の下、国政選挙を行わないまま領土紛争などで周辺国とのあつれきを起こし、孤立化を深めている。


 ◇分離独立加速か
 エリトリアを除き、アフリカでは既存の国家からの分離独立はなかった。国内に多民族を抱え、植民地支配の線引きで同民族が国境で分断される事例も少なくないアフリカでは、各国は分離の動きが波及することを恐れている。

 一方、ソマリア北西部で独立宣言し、事実上約20年間民主的統治を続けるソマリランド共和国では、シランヨ大統領が英誌に「スーダン南部が思うようにできるなら、ソマリランド独立(承認)への扉も開かれるべきだ」と述べた。今後各国で分離独立を求める声が顕在化する可能性もある。



●南部スーダン 独立後の安定を支えよ
(東京新聞:社説 2011年2月12日)http://p.tl/Mt8O
 アフリカ・スーダンの南部地域が住民投票により北部からの分離独立を決めた。二十年以上続いた内戦で荒廃した国土を再建するには、歓喜に浸る余裕はない。国際社会の支援が必要だ。
 スーダンは中央政府がある北部ではアラブ系イスラム教徒が中心で、南部はキリスト教やアニミズムを信仰する黒人系民族が主流。
 南北間で一九八三年に内戦が起き、約二百万人が死亡し四百万人以上が難民になり、世界で最も悲惨な民族紛争といわれた。
 二〇〇五年に和平合意が結ばれたが復興は進まず、南部では今年一月に分離独立の可否を問う住民投票が実施され約99%が賛成した。中央政府のバシル大統領も「投票結果を尊重し歓迎する」と約束した。七月には人口約八百万人の、アフリカで五十四番目の独立国が誕生する。
 これまで南部住民は北部から「二級市民」扱いをされてきたが、国内外に逃れた住民が続々と帰還し、国造りに参画している。
 国際情勢にも影響は及ぶ。米国はスーダンが国際テロ組織アルカイダに拠点を提供したとして、「テロ支援国家」に指定しているが、今回、バシル政権が南部独立を容認したことで指定解除の検討に入った。
 難問は山積している。スーダン南部はアフリカの中でも最貧地域で、水道や電気、舗装道路などインフラ整備はほとんど手つかず。行政担当者や技術者も十分育っていない。
 最大の懸案は石油をめぐる対立だ。南北の境にある油田地帯アビエイでは境界線が画定しておらず、住民投票でも帰属は棚上げされた。中央政府が掘削施設やパイプラインを管理しているが、南部の独立と経済発展に協力すると明言している。油田地帯の分割や利益配分について、南部の新政府と早期合意を目指すべきだ。既に油田開発に投資している各国との調整も必要になろう。
 国連は平和維持活動(PKO)を継続し、紛争再発の防止と安定化にあたる。南部の独立を支持した米国、バシル政権と資源外交で結びつきが深い中国、さらにはアフリカの周辺諸国は利害を超えて南北の共存共栄を支えていく責任が問われる。
 日本政府は住民投票の国際監視団に要員を派遣した。紛争再燃の懸念が少なくなったときには、より積極的な復興支援を検討すべきだろう。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%B3


2011年1月9日、南部の自治政府による独立の是非を問う住民投票が行われ、南スーダン独立票が過半数に達した。この投票のために国連はスーダン派遣団をおくり、住民投票監視団には一員として元米大統領ジミー・カーター(Jimmy Carter)がスーダン入りしている。
今後は独立の手続きに入るが、南スーダンには石油など豊富な地下資源が眠っており、その境界の資源の帰属を巡って現スーダン政権との間に新たな混乱が生じる可能性もある。


スンナ派を中心とするイスラム教が70%。南部非アラブ人を中心にアニミズムなどの伝統宗教 (18%) とキリスト教 (5%)。北部に20万人程コプト教徒がいる。


1821年にスーダンの北部はエジプトが、南部は1877年にイギリスが占領した。1898年にイギリスとエジプトによる共同統治が始まった。