軍失望 無言の圧力 エジプト政権崩壊
東京新聞2011年2月13日

三十年近くにわたって独裁体制を維持してきたエジプトのムバラク大統領(82)が十一日、ついに辞任に追い込まれた。十日夜のテレビ演説ではなお権力の座に固執し、民主化改革を主導する意欲を見せていたが、一日とたたないうちに望みは絶たれた。背景には、十日のテレビ演説後、軍が無言の辞任圧力を一気に強めたことがあったようだ。 (カイロ・内田康)

■行動を解禁
 ムバラク大統領のテレビ演説が終わった十日深夜、反大統領派デモ隊が陣取るカイロ中心部・タハリール広場周辺の兵士の態度が、明らかに変わった。
 カイロ郊外にある大統領宮殿へのデモ行進を企てる反大統領派の動きを封じるため、軍は広場周辺にバリケードを築いていたが、一部を撤去。デモ隊に自由な行動を許した。
 大統領宮殿に向かって歩き始めたデモ隊に向かって、兵士の一人はこう注意した。
 「宮殿に行きたいなら行けばいい。軍はあなたたちを撃たない。でも、宮殿に近づきすぎてはいけない。大統領警護隊の連中は、デモ隊を射殺しろと命令されている」
 カイロのシンクタンク、アルアハラム政治戦略研究所のアミン・イスカンダル研究員はこう解説する。
 「大統領への忠誠心が厚い警護隊を除く軍機構は、大統領を完全に見切ったのだ」
 ムバラク大統領は十日夜のテレビ演説で、スレイマン副大統領(75)への権限委譲に触れたが、委譲する権限の詳細などは説明せず、なお大統領職にとどまる意向を示した。この演説に失望し、軍が圧力を強めたとの見方が有力だ。

■参加者変化
 数日前から、反政府デモにも変化が見られた。注目すべきは人数よりも、参加者の階層と要求内容だ。
 北部マハラなど、繊維産業の労働者が多い地域では、大統領退陣だけでなく、賃上げなどを求めるデモが激化。カイロでも九日、国営電話会社の現業部門職員、清掃業者などの低収入層がデモを行い、生活苦を訴えた。十日には、バスの一部の運転手たちがストライキを始めた。
 「ムバラク大統領が生き残れるかどうかのポイントは経済だ。生活が苦しいのはデモを収拾できないムバラクのせいだと、庶民が敵意を向け始めると危ない」と中東外交筋がかねて予測していたが、これが現実化した。
 さらに軍内部でも、銃を上官に預けて、堂々と反政府デモに参加する中堅幹部が出始めた。国家の経済と軍の規律がともに崩壊するのではないかと、軍上層部は危機感を強めていた。

■国存続選ぶ
 ある地元評論家はこう推測する。「おそらく、軍は大統領本人に直接、辞任を迫ったり、脅したりはしなかった。最後は大統領自身に決断させたいと思っていただろう」。最終的に、この軍の「空気」が伝わり、ムバラク大統領が観念したとの見立てだ。
 現在の共和制は、一九五二年にナセル中佐=後の大統領=らの将校団が軍事クーデターで国王を追放し、翌五三年に生まれた。国の生みの親である軍は、最高司令官であるムバラク大統領の顔をぎりぎりで立てつつ、最終的には国家存続を選んだ。
 大統領辞任の発表後、一時的に国政を預かることになった軍最高評議会のモフセン・ファンガリ大将が、国営テレビで評議会の運営方針を発表した。
 「国家に貢献したムバラク大統領、国家の自由のために命を犠牲にした殉教者のすべてに敬意を表する」。そう述べると、読み上げていた紙を置き、カメラに向かって敬礼した。