●中東全域にデモ拡大 リビア、イランで衝突
(共同通信 2011/02/16 22:09) http://p.tl/AoMq
【カイロ共同】リビア北東部ベンガジで15日夜から16日朝にかけ、反政府デモが起き、ペルシャ湾の島国バーレーンでは16日、デモ隊が首都マナマ中心部の「真珠広場」の占拠を継続した。イランの首都テヘランでも体制を支持する学生と反体制派が衝突し、チュニジアやエジプトで指導者を退陣に追い込んだ反政府デモは、中東全域に本格的に拡大した。

 ロイター通信によると、ベンガジでは人権活動家の拘束に抗議する数百人のデモ隊と警官隊や政府支持者が衝突し、病院当局者によると、負傷者が38人に上った。AP通信によると、デモ隊は40年以上続く最高指導者カダフィ大佐の独裁体制打倒も呼び掛けた。

 APによると、リビアではインターネット交流サイト「フェースブック」で17日にデモが呼び掛けられており、緊張が高まっている。

 ベンガジはリビア第2の都市で、反体制運動が何度か起きている。ロイターによると、人権活動家は収監中の受刑者らの釈放を求める活動をしており、デモには受刑者らの家族が参加。非合法のイスラム過激派組織のメンバーとされた110人が16日中に釈放されるとも報じられたが、政権側の譲歩とみられている。

リビアで反政府デモ、数百人が警官隊と衝突
(読売新聞2011年2月16日22時03分) http://p.tl/C0e _
【エルサレム=加藤賢治、マナマ=佐藤昌宏】AFP通信によると、リビア北東部の都市ベンガジで15日夜から16日にかけ、体制に批判的な人権活動家が拘束されたことに反発する住民数百人が警官隊と衝突し、38人が負傷した。
 住民は市中心部の広場にデモ行進し、警察や体制支持派に火炎瓶や石を投げつけたという。16日には、バーレーンとイエメンでも反体制派によるデモがあり、イランでは保守派と改革派が衝突した。
 ベンガジは首都トリポリに次ぐ国内第2の都市。最高指導者カダフィ氏が強権支配を続けるリビアで、体制に異議を唱える街頭デモは極めて異例。在トリポリの外交筋によると、国営テレビはベンガジでの衝突を一切報じておらず、16日にカダフィ氏支持の集会が全国各地で行われたとのニュースを繰り返し報じている。


●リビアに反体制デモ飛び火=独裁41年、第2の都市で14人負傷
(時事通信2011/02/16-20:27) http://p.tl/StaX
【カイロ時事】カダフィ大佐の約41年に及ぶ独裁政権が続くリビア第2の都市ベンガジで15日から16日にかけ、反体制デモがあり、地元紙(電子版)によると、警官10人を含む14人が負傷した。国営テレビは、15日に同大佐を支持するデモも各地で行われたと映像付きで伝えた。
 反体制派はインターネットの交流サイト「フェースブック」などを通じ、17日に大規模な集会開催を呼び掛けている。
 一方、リビアの人権活動家はロイター通信に、同国当局が16日、非合法反政府勢力のリビア・イスラム戦闘集団(LIFG)の受刑者110人を釈放する見通しだと語った。反体制機運の高まりを阻止する狙いがあるもようだ。
 リビアは、独裁政権が崩壊したチュニジアとエジプトに隣接しており、両国の反体制デモが飛び火した形。石油や天然ガス資源の豊富なリビアは、国民に一定の富が分配されているが、反体制活動の弾圧や厳しいネット監視などが行われ、「警察国家」に対する市民の不満は根強い。


●バーレーン、3日連続で民主化要求デモ=イランでまた衝突
(時事通信2011/02/16-21:15)http://p.tl/Q0O6
 【エルサレム時事】ペルシャ湾岸の産油国バーレーンからの報道によると、イスラム教シーア派住民による民主化要求デモは16日も続けられ、開始から3日連続となった。デモ隊は「バーレーンに自由を」と連呼。1971年の独立以来政府を率いるハリファ首相の辞任を要求した。
 ロイター通信は、デモ隊の一部が首都マナマ中心部の「真珠広場」で座り込みを続け、2000人余りがテントで夜を明かしたと伝えた。
 外交筋によると、15日夜に広場で行われたデモの後、周辺で警戒していた警官隊は撤収した。政府はデモ活動を容認しているとみられる。
 バーレーンの反政府デモは、警官隊との衝突で14~15日に2人が死亡している。AFP通信によると、ラシド内相は15日夜、民衆の射殺に関わった警官を拘束し、調査を開始したことを明らかにした。


●民主化デモ、3日目に突入=中心部に泊まり込みも-バーレーン
(時事通信2011/02/16-19:06)http://p.tl/_GHg
 【エルサレム時事】ペルシャ湾岸の産油国バーレーンからの報道によると、デモ隊と警官隊の衝突で2人が死亡した事件後も同国では16日、イスラム教シーア派住民による民主化要求デモが続き、開始から3日目に突入した。ロイター通信は、デモ隊の一部が首都マナマ中心部の「真珠広場」で座り込みを続け、2000人余りがテントで夜を明かしたと伝えた。
 デモ隊は「バーレーンに自由を」と連呼。1971年の独立以来政府を率いるハリファ首相の辞任を要求した。
 外交筋によると、15日夜に広場であったデモの後、周辺で警戒していた警官隊は撤収した。政府はデモ活動を容認しているとみられる。


●バーレーンの野党が議会ボイコット-デモは激化
(WSJ2011年 2月 16日 9:05)http://p.tl/kiJ -  
 【マナマ(バーレーン)】バーレーンでは15日、前日のデモで死亡した男性の弔いが大規模な抗議活動に発展し治安部隊と衝突し、新たな死者が出た一方、野党が議会をボイコットした。こうした衝突は、チュニジアに始まりエジプトのムバラク大統領辞任につながったアラブ諸国の騒乱の激化を表している。

 AP通信によると、ハマド・ビン・イーサ・アール・ハリーファ国王はテレビ演説で、死者に対する哀悼の意を示し、死亡した状況を調査すると言明したほか、メディアやインターネットに対する国の管理を緩和するといった改革を進めることを約束した。

 暴動が続くなか、野党のシーア派のウィファーク会派の議員らは議会をボイコットした。同会派は、バーレーン議会40議席中18議席を占めている。騒乱解消に向けた交渉の相手がいなくなるため、この動きはスンニ派の王族にとって新たなハードルだ。

 15日朝には、前日のデモのけが人が運ばれたサルマニヤ病院に数千人のデモ参加者が集まった。ペレット弾による傷で亡くなった(病院発表)シーア派の若者を追悼するためだ。目撃者によると、治安部隊は群衆を追い払うためのペレット弾を至近距離から男性に発砲した。

 デモ参加者が埋葬のために男性を病院から運び出そうとすると、治安部隊が介入し、群衆を追い払おうとした。警察は催涙弾とペレット弾を発砲した。病院の救急病棟に催涙ガスが充満したという。

 内務省によると、2人目が死亡したのはこの混乱のさなかだった。当局は前日、治安部隊は適切な武器しか使っていないと強調していた。

 午後には、マナマの金融街の中心にある「真珠広場」をデモ隊が埋め尽くし、国旗を持った若者がはしごを使って石碑によじ登るといった場面が見られた。

 アル・ダイ村のナシーマと名乗る女性は、シーア派と治安部隊の衝突によって、デモ隊の決意が強固になったと語り、「われわれは投獄を恐れていない。死も恐れない。自分の血と息子を進んで差し出す」と訴えた。


●バーレーンの各世帯に22万円、国王が命じる
(AFP通信 2011年02月13日 11:29)http://p.tl/2365
【2月13日 AFP】バーレーンのハマド・ビン・イサ・ハリファ(Hamad bin Issa al-Khalifa)国王は、2001年の国民行動憲章の承認から10周年になることを記念して、国内の各世帯に1000バーレーン・ディナール(約22万円)を支給するよう命じた。バーレーン通信(BNA)が11日に報じた。

 バーレーンでは2001年2月の国民投票で民主化の枠組みを規定した「国民行動憲章」が承認され、2002年2月に改正憲法が公布されて立憲君主国となった。

 チュニジアとエジプトで貧困と失業に起因する反政府デモが起きた中、バーレーン政府は食料品価格の抑制と貧困家庭の支援策も発表している。バーレンではインターネット上で、14日から政治・社会・経済的な改革を求めるデモを行おうと呼び掛けられていた。(c)AFP


●エジプト、ネット世代の「革命」 連帯も世界規模
(朝日新聞2011年2月16日8時13分) http://p.tl/Bcpj

 エジプトの「革命」を突き動かしたのは、若き「ギール・インターネット(インターネット世代)」だった――。祖国で立ち上がった若者たちに、日本など世界各国で暮らす同世代も連帯し、支えた。

 今回のムバラク前大統領退陣で一躍脚光を浴びたのが、国外から「フェイスブック」でデモを呼びかけ、帰国時に治安当局に拘束されたワエル・ゴネイム氏(30)。インターネット検索大手グーグルのドバイ駐在幹部だ。

 来日16年目の私大講師アルモーメン・アブドーラさん(36)は、国外に暮らし、社会的にも経済的にも困っていないであろう彼が、祖国を変えようとリスクを冒して立ち上がった姿に感銘を受けたという。

 「社会的問題に対する関わり方を見直さなければいけない。手本を見せられた」

 「変化を好まず、何事にも受け身」。ムバラク治世しか知らない祖国の一般的な若者像を、アルモーメンさんはこうとらえてきた。

 だが今回、若者たちはITを駆使して積極的に動き、力を合わせた。そんな姿に新たな国民性を見いだしたという。日本に住む自らも、在日エジプト人によるデモの呼びかけに加わった。

 東京都内の大学院に通うリーム・アフマドさん(27)はゴネイム氏だけが「革命」を動かしたのではないと思う。

 ネット社会の波は、アラブにも届いていた。お金が無くても若者は携帯電話を持ち、ネットカフェに足を運ぶ。もともとエジプト人は議論好き、おしゃべり好き。当局が言論を統制しても、その国民性は縛られることなく、ネットなどで発揮されていた。

 同じ「アラビア語」でつながるチュニジアで1月中旬に革命が起きると、そのノウハウはすぐに伝わった。

 デモの民衆が集った広場の名はタハリール――アラビア語で「解放」を意味する場所だった。(高橋友佳理)


●ごね続けたムバラク氏 辞任演説のはずが…原稿書き換え
(朝日新聞2011年2月16日1時30分)http://p.tl/rijj

 【カイロ=古谷祐伸】エジプトの民衆デモで退陣したムバラク前大統領(82)は、最後まで辞任を拒みつづけ、結果として軍部に引導を渡された――。そんな内幕を、側近や米政府関係者らの証言に基づき、AP通信や米紙ワシントン・ポストが報じた。

 ムバラク氏は10日のテレビ演説で、副大統領に一部の権限を譲る一方で、「外国の圧力には屈しない」「危機を解決する明確な方針がある」として辞任は拒んだ。ところが翌11日昼ごろ、カイロからシナイ半島のリゾート地シャルムエルシェイクへ脱出。数時間後、スレイマン副大統領によって退陣が発表された。

 AP通信によると、ムバラク氏は10日夜の演説で辞任を表明するはずだったが、演説原稿は土壇場で何度も書き換えられ、結局は強気の姿勢を示すものに変わった。家族が危機を乗り越えられると主張し、ムバラク氏が信じたためだという。

 だが、これで国民の怒りが爆発し、中立を保っていた軍部も動いた。ワシントン・ポストによると、演説の数時間後に軍幹部がムバラク氏に会い、「自発的に辞めるか、追放されるか」を選ぶよう迫った。ムバラク氏は荷物をまとめ、家族と軍のヘリに乗ったという。

 11日午前11時半ごろ、大統領府から2機の軍用ヘリが飛び立つのを、朝日新聞記者が目撃しており、ムバラク氏が乗っていた可能性が高い。

 副大統領による大統領退陣の発表は、1分間もない短いものだった。閣僚会議の会場にあったムバラク氏の巨大な肖像画も、13日に取り外された。


●ムバラク前大統領は健在、別荘で電話に応対も=関係筋
(ロイター 2011年 02月 16日 08:28)http://p.tl/bDmE

 [カイロ 15日 ロイター] 反政府デモによって辞任に追い込まれたエジプトのムバラク前大統領(82)の健康状態について、関係筋は15日、保養地シャルムエルシェイクで、電話に応じるなどして健在だと述べた。ムバラク氏の健康状態をめぐっては、11日の辞任以来さまざまな憶測が飛び交っていた。

 この関係筋は、「彼(ムバラク氏)は元気だ。シャルムエルシェイクの別荘で家族と過ごしており、電話に応対もしている。今日(15日)午後3時に彼と話をした」と語った。

 サウジアラビア資本のアシャルク・アル・アウサト紙は、ムバラク氏が病気療養中とした上で、国外での治療を拒んだと報じた。

 また同紙は電子版で、軍の元高官の話として「確かなことは、ムバラク氏の健康状態が劇的に悪化しているということだ。医師が要求する治療を拒否しているという情報もある」と伝えた。

 同紙は別の関係筋の話として、ドイツでの治療を勧められたムバラク氏が拒否し、周囲の関係者に対し、エジプトで死を迎えたいと話したとも報じた。 

 軍関係者はロイターに対し、ムバラク氏は「呼吸はしている」とだけ話し、詳しい健康状態については明らかにしなかった。

 ムバラク氏は昨年ドイツで胆嚢(たんのう)の手術を受けており、それ以来、健康状態に関する憶測が広がっていた。