「同じ党で別会派」の先駆者は菅首相だった

(日刊ゲンダイ2011/2/18)

「理解に苦しむ」と言ったアナタが一番の理解者

「まったく理解できない行動だ」――。民主党衆院議員の有志16人が会派離脱願を提出したことに、菅首相はこう語ったが、これこそ“方便”だ。菅本人が一番の理解者のはず。国会で党籍が同じ議員が異なる会派に所属していた先例があり、菅その人が当事者だからだ。
「1986年の総選挙後のことです。当時、菅首相が所属していた社会民主連合は4議席を獲得しましたが、反自民・非共産共闘の立場から、2人ずつ社会党会派と民社党会派に分かれて所属。その結果、民社党会派が共産党会派を上回り、院内ポストを共産党会派に渡すことを阻止したのです。当時、菅首相は江田五月法相と一緒に社会党会派に所属し、この変則形式は90年の総選挙まで4年間も続きました」(ベテラン議員秘書)
岡田幹事長は「離脱の届け出が成り立たないのは議員なら分かっている。パフォーマンスといわれても仕方がない」と16人を批判したが、国会法に制限はない。そもそも、党のトップが25年前に起こした行動を、どう捉えるのか。自らの過去を顧みず、「まったく理解できない」と語った菅の発言こそ、苦し紛れのパフォーマンスでしかない。