平野貞夫vs.藤原肇 3

生理と病理の診断と日本の健康な国づくり  http://p.tl/HdFR

政治評論家、前参議院議員 平野貞夫
vs.
慧智研究センター所長、フリーランス・ジャーナリスト 藤原肇


好評のうちに第3回を数え る平野鴨藤原両氏の特別対談 は、日本の政治の在り方につ いて、厳しい意見と同時に、 温かい心のこもった意見が見 事に同居、両氏の日本に対す る思いが、政治家と、政治を 志す人たちの指針となること を願うばかりか、読む人の心 を揺さぷる対談となっている。 政権交代後の混迷する政治 は、新・旧が激突する壮絶な 権力闘争の様相を呈している が、そういった次元から1日 も早く抜け出し、国民のため の政治の実現が望まれるとこ ろである。



生理と病理の診断と「死に至る病」
藤原 健康と疾病の状態について 正しく理解し、社会の生理と病理 について診断する能力があれば、 社会が慢性病に蝕まれるのを回避 して、今のような亡国現象を呈さ ずに済んだはずです。
 診断能力がないのに応急手当や 痛み止めを飲ませ、病気を悪化さ せ日本の生命力を損なったのが、 自民主導のゾンビ政権による暴政 の実態でした。

平野 所得格差の拡大で貧富の差 が広がり、弱い者が犠牲になって 仕事がなくなってしまい、人々が 前途に希望を失うような状態は、 社会不安の原因として実に由々し い問題です。そのために政治への 無関心やシラケ層が増え、国民の 連帯感が急激に減少したことは、 社会の健康という意味で深刻な事 態ですよ。

藤原 スピノザは「悪とは何か」 を定義して、「連帯意識の消失で ある」と言っています。これは社 会学的にはアノミ!の蔓延だが、 この虚脱感を逆手にとって国粋主 義が台頭し、安倍や麻生による 「靖国カルト」が横行しました。

平野 出発点での自民党の寄って 立つ理念は、自由とデモクラシー に基づく自由社会の建設だった。 この自民党が政権交代せずに半世 紀も君臨し、独裁的な政治をして 社会の健康を損なったために、自 由は放縦に民主は愚民主義に変質 しました。

藤原 そうですね。民主主義や自 由主義の母体は健康な社会で、自 民党の一党支配により社会が硬直 化してしまい、気息奄々で重態な のが今の日本です。

平野 国によって歴史や政治風土 があるので、健康な社会とは何か という定義づけをするのは、言う は簡単でもなかなか難しい問題で す。
 ある国では不健康に見えても止 むを得ないし、別の国ではそれが まともということもある。だから、 健康な社会を作るのは難しい課題 だが、ただ、政 治社会学におい て生理と病理に ついて、それを 峻別することは どうしても必要 であるし、その 診断が政治をす る上での決め手 になるのです。

藤原 だから、 今の日本で最も 重要な政治課題 は、自民体制で デモクラシーと 議会主義が損な われたので、暴 政を放置した怠 慢の反省の必要 性です。
 きちんと過去 の過ちを摘出し て総括し、法治 国家の枠内で徹 底的な批判を加えて、その批判と 責任追及をきちんとすることです。 そう考えて『さらば暴政」を書い たのですが、メディアからは完全 に黙殺されて書評もありません。

平野 先生の『さらば暴政」を読 んだ日本人にとって、診断書が病 状の核心を突いて正しければ正し いほど、恐ろしくなって認めたく ない心理が働く。そして、出来る なら診断が間違って欲しいという ことで、黙殺される結果になった のではありませんか。
 日本では「暴政」は第一級のタ ブー言葉だから、「臭いものには 蓋」ということ以上に、忌むべき ものとして崇りを恐れるのです。 また、読後感として私の意見を付 け加えるなら、生理と病理という 言葉をキーワードに使い、民主党 が引き継いだ瀕死の日本の国が、 いかにボロボロになっていたかが 良く分かった。だから、本当は鳩 山首相が新内閣の大臣たちにこの 本を配って、「こういう間違った 政治にしないようにやろう」と手 渡したら、新首相は流石だと評判 になったと思います。

藤原 むしろ、小沢が小沢チルド レンの新議員たちに、「これが政 治家としての心得を学ぶ上で役立 つ、他山の石だから熟読せよ」と 言って配ったら、国会議員の意識 を向上させる上で、役立ちました よ。

平野 ただ、今の民主党は政権交 代のことばかりを考え、日本の政 治をどう変えるかについて誰も考 えていないし、考える頭脳もない から全て役人任せです。だから、 官僚化して最も役人依存が強いの が民主党で、そこが新政権の問題 として致命的な部分なんです。


政治を見る目に必要な医学の素養

藤原 民主党のマニフェストの内 容や予算の使い方は、病気に対し ての治療法や処方箋の議論に属す ものばかりだ。より重要なのは病 気の正しい診断であり、それが今 の日本で最も欠けているのに、奇 妙だが誰もそれを言わないのです。

平野 それは実に鋭い指摘です。 生理から病理に至っている日本の 病状について、正確に認識するこ とから始めるべきで、私は藤原さ んのそのご意見に大賛成です。 『さらば暴政」の読後感で申し上 げた通り、生理と病理で社会判断 するというのは、仕分けの仕方と して最高のやり方です。それは親 父が開業医だった影響のお陰で、 健康維持が何より大切だと私は考 えており、社会でも個人でも健康 を損なえば病気だし、その予防と 健康管理が何にも増して重要です。

藤原 その通りです。昔から「命 あっての物だね」と言うし、生れ た時も死ぬときも裸なのであり、 世俗の欲望に翻弄されれば阿修羅 地獄で、閻魔大王に舌を抜かれて 終わるだけのことです。

平野 だから、先生が社会の健康 について取り上げて、自民体制に よる暴政が日本を破滅に追いやっ たのだから、健康な社会に戻そう という意見に接し、わが意を得た りという気持ちを強く持ちました。 また、世の中にはこんな発想を する人がいて、世界中で資源開発 の体験をした後で、アメリカで石 油会社を経営したという体験がこ ういう視座をもたらせたというの ならば、発想を持つに至った経過 を知りたいものです。

藤原 私は文学少年で中学時代か らフランス語をやり、ファシズム やナチズムの研究をしたかったが、 日本では歴史学科は文学部に属し て、数学が苦手の学生が圧倒的だっ たから、幾何学が好きな私には抵 抗があった。そこで、医学部に行っ て医者になることも考えたが、死 体の解剖をしないと免状が取れな いし、私は肉や血を扱うのがとて も嫌だったので、地球の医者とし て地質学をやったのです。

平野 地球の医者という発想は面 白いですね。実は私の父親は京都 の府立医専を出まして、爺さんの 遺言で開業医になったわけだが、 大正時代の初めに大山郁夫などと 一緒に、京都で医師としてセッツ ルメント運動をやった。その頃は 未だアナキズムの方が強かったこ ともあり、生まれ故郷が幸徳秋水 の出身地と同じなので、故郷に帰っ て医者として開業した次第です。

藤原 じゃあ、平野さんは生粋の 土佐自由党の後継者ですね。

平野 そういうことです。私は高 校生の頃に先生の影響を受けて、 政治活動に関心を持ち社会科学の 本を読み漁りました。親兄弟は皆 で私に医者になれと言ったが、医 学関係の学校に二年ほど行ったけ れど、医者になるという気持ちに なれなかった。それで大学では社 会問題について勉強し、せいぜい 武力革命を起こして30歳で死に、 社会さえ良くなれば満足だと考え ていた。私は毛沢東の『実践論」 と『矛盾論」を愛読し、多くの仲 間が私を共産党に入れようとした が、あの教条主義と官僚主義は嫌 でした。

藤原 毛沢東主義者だと聞いて成 る程と思ったが、私はマルクスで はなくてエンゲルスが好きであり、 高校時代に『自然弁証法』を愛読 したお陰で、自然科学者としての 道を選ぶことになりました。

平野 土佐は自由民権運動の本拠 地であるし、吉田茂の影響が至る 所に広がっており、親父が開業医 として吉田茂や林譲治と親しく、 その関係で地道な政治活動に転じ ました。学生活動に一時のめり込 んでいたが、私は吉田と林の両先 生に説教と指導を受けて、衆議院 の事務局に勤めるようになりまし た。また、園田直衆議院副議長だ けではなくて、前尾繁三郎衆議院 議長の秘書官もやり、特に戦後政 治の三賢人だった前尾さんの議会 運営は、生理学の原則に合う素晴 らしいものでした。

藤原 前尾さんは昔の大蔵官僚の 風格と見識を持ち、戦後の復旧期 の日本の財政について貢献し、彼 に育てられた大蔵官僚の話では、 外国人に尊敬され賢者の名にふさ わしい人のようです。私の知人に 大蔵の官房長から国税庁長官を経 て、博報堂の社長になった近藤道 生さんがいて、彼は何時も巻紙に 墨筆の手紙をくれます。彼は前尾 さんの通訳として戦後の欧米を訪 れ、前尾さんの人柄を絶賛してい ましたよ。


東大閥から脱却できない大蔵官僚の蹉践

平野 前尾さんの通訳を最もやっ たのは宮沢喜一で、彼は大蔵省きっ ての英語使いで、名人級であり、 色んな興味深い話があるのですが、 生理と病理について関係したエピ ソードとして、秘話をここでひと つ紹介してみましょう。
 中曽根内閣の時に宮沢さんが総 務会長で、ちょうどその時に衆議 院の選挙区の定数がアンバランス であるということになり、最高裁 で違憲だという判決が出ました。 そこで議員定数の是正が必要になっ たが、これには自民党は大もめに なって騒然となり、政府案が総務 会で承認されなかったのです。

藤原 定員の変更は議員には死活 問題だから、国政よりも自分の既 得権に目ざとい議員にとって、大 いに紛糾の種になったことだろう と思います。

平野 そこで宮沢総務会長が衆議 院の事務局の私に、どう対応した らいいか非公式に問い合わせてき たので、選挙制度については全会 一致はあり得ないから、これは党 議を外してフリートーキングがい いと答申した。
 これによって自民党は結党以来 初めて、自由投票にするやり方に 踏み切ったのです。

藤原 それは世界の民主国では当 たり前です。国会議員が自分で判 断しないで党議に従い、ボスが勝 手に決めた党議に従うのでは、ソ 連の共産党の中央委員会のやり方 と同じであり、議員ではなくてロ ボットに他ならないです。

平野 誰が考えても当然のことな のに、自民党ではそれも分かって いないのです。
 いずれにしても、宮沢さんから 「良いアドバイスを頂いたので、 折り入って会いたい」という連絡 がありまして、二人で会ったら宮 沢さんが「どうもお世話になり有 難う」と言いました。続いて宮沢 さんから「政治に関わっていく上 で、最も大事なことは何ですか」 という質問があり、そこで私は 「政治の現象は人間の体と同じで あり、病気に見えても生理現象の 時もあるし、病気でも生理的に異 常でない時もある。この時に診断 を間違えてしまい、生理の時に変 な薬を飲ませたら、とんでもない ことになる」と答えました。

藤原 血が出たからといって女性 の生理の時に騒げば、これはとん でもない誤診になってしまうのに、 政治の世界ではこの種の誤診が頻 繁です。

平野 だから、「政治家はそんな に勉強しなくてもいいが、何が生 理で何が病理かが正しく分かり、 それを取り違えないことです」と 私が答えたら、宮沢さんが「つい てはあなたの学歴を聞きたい」と 言うのです。そこで「私はあなた に告げるような学歴はない。ただ 私が他の人と違っていることは、 医学関係の学校に二年ほど行きま して、それから社会科学に興味を 持ち社会学部に行き、その関係で 衆議院の事務局で働いています」 と答えました。そうしたら、宮沢 さんは「東京大学の医学部中退で すね」と言ったのであり、彼はそ れを信じたまま亡くなっているの です。

藤原 東京大学の法学部だけが日 本の代表で、それで日本を動かせ るという明治以来の発想が、今の 日本をこれだけダメにしてしまっ たのです。


西周とジョン万次郎との出会い

平野 ところで藤原さんは日本の 大学ではなくて、フランスに渡っ てて学位を取っておられるが、ど うしてグルノーブル大学に留学し たのですか。

藤原 私の専門の構造地質学の分 野では、世界一の先生がレニング ラード大学にいたのですが、ソ連 政府の給費留学生試験に落ちてし まい、その次にいい先生がいるグ ルノーブル大学に行きました。
 それにしても、お爺さんの影響 で自由民権に目覚めたので、今の 政治家の平野さんが育ったわけで すが、私は母方の祖父は津和野の 生まれであり、その父親が森林太 郎と藩校の養老館に学んでいます。

平野 津和野のご出身ですか。津 和野藩は土佐藩と同じように幕末 に、多くの人材を生み出したこと で知られていますね。

藤原 その代表が西周でして、彼 はライデン大学に留学して国際法 を学び、軍人勅諭を作っています。 平野その西周に英語を教えたの がジョン万次郎で、この二人は文 明開化の日本に大きな影響を残し ています。ということは、土佐の 生まれの私と津和野出身の藤原さ んが、こうやって出会いを持った のも因縁であり、歴史は奇妙な形 で繰り返すという証拠として、こ の出会いは実に貴重だということ ですね。

藤原 そうでしたか。西先生は私 と同じでフランス語をやったから、 彼は英語が出来なかったので苦労 したことでしょう。また、祖父の 家には西先生の机という書見台が あり、母が亡くなった時に郷土館 に寄贈したが、机の裏面に「読書 百遍、義自ずから通ず」と書いて あり、西さん特有の丸文字で墨書 しているんです。

平野 西周は幕臣で議会政治の精 神を最も理解し、哲学や芸術とい う言葉を作った凄い知識人であり、 ライデン大学で国際公法や哲学を 修めている。

藤原 だから、私もライデン大学 に憧れたことがありまして、中学 生の頃から『百一新論」を愛読し たことで、全てが繋がって関連を 持つことを学び、生理と病理が一 続きであると理解できたのです。 平野西周は明治における日本最 高の知識人だが、軍人勅諭とか教 育勅語などについては、もう一度 きっちり検討し学び直す必要があ る。結局は軍人勅諭を守らずに戦 争にのめり込み、統帥権の独立な どと言い出したために、軍人とし ての職務の間違いが始まってしま い、大日本帝国を滅亡させてしまっ たのです。

藤原 私が戦前に生まれていたら 三宅坂の参謀本部か、海軍の軍令 部での仕事が最も似合っていて、 兵用地誌の専門家になったと思い ます。だが、構造地質学ではフラ ンスで一番の先生がいたので、グ ルノーブル大学に留学した結果、 地球の医者としての人生を歩むこ とになった。地球も社会も人間も 生き物であるし、医者が専門にす る健康を取り扱う学問こそが、結 局は全ての学問の基盤を作ってい るのです。

平野 幼稚な質問になるかも知れ ませんが、ご専門の構造地質学と いうのはどんなことをやり、医者 との対比ではどういうことになる のですか。


人間の医者と地球の医者

藤原 構造学は現象の背後に潜む 関係性を探る学問で、それによっ て色んな現象が規定されて出現す るから、意識に対しての集合無意 識とでもいうか、更に奥深い深層 無意識を扱っているのです。だか ら、構造地質学は地球のストレス の研究として、山脈の出来方や地 震や火山も関係するし、ある意味 で精神病理学の地球版に相当して います。

平野 だから、『さらば暴政」の 精神分析は絶妙であり、特に安倍 晋三に関しての記述は全くその通 りです。世界から見るとこれだけ 見通せるかと思い、全く凄いと感 じて恐れ入った次第ですが、背景 に精神病理学の応用があったので すな。

藤原 私が世界から眺めてこう観 察したというのは、同じような眼 力を持つ人には誰でも読み取れる わけです。こんな愚劣な人物を首 相にしたことで、日本が国の尊厳 と名誉を損なったという意味で、 安部首相の誕生は実に情けない粗 悪人事の見本になりました。

平野 藤原さんが本の中で良く論 じているが、日本人は政治家を含 めて「タコ壷」の住人です。だか ら、自分がいるツボの中だけで世 界を考えて、精神的な鎖国状態に いることのために、「井の中の蛙」 だという事実にも気づかない。

藤原 そうですね。それと共に、 地質学は46億年の地球の歴史を扱 い、タイムスパンが非常に大きい 学問であるので、私には百万年な どは一瞬の出来事だし、大局観で 歴史の事象を相似象として捉えて、 パターン認識を武器に自然を理解 します。
 しかも、人間の皮膚にかさぶた が出来た場合に、それを粉砕処理 すればセメントエ業だし、皮膚の 下に肉腫や塊が出来たので、それ を採掘すれば鉄や銅の鉱山になり、 膿やガス気泡を生産すれば石油事 業です。
 こうしてアフリカや欧州では鉱 山開発をやり、北米を始め全世界 で石油開発の仕事を体験し、地球 の医者としての人生を満喫してか ら、40半ばからビジネスの世界を 引退して、人生のまとめのために ジャーナリストになりました。

平野 人間の皮膚の下の病状に等 しい疾患で、地球における異常現 象をビジネスにする。しかも、そ れが文明の発達だという壮大な歴 史観は、地球の医者を自認する藤 原さんならではのものだし、こん な文明理論は今まで聞いたことが ない。
 それだけに政治の世界における 出来事が、政局という細事に捉わ れているために、末梢的な問題に 終始している現状を見て、幼稚だ と感じる気持ちが良く分かります。

藤原 しかも、われわれが直面し ている情報革命について、日本人 はもっと真剣に考えないと手遅れ になる。アニメや携帯のゲームな どにうつつを抜かせば、一億人が 情報化時代の文盲になってしまい、 世界の後進国に成り果ててしまい 兼ねません。
 また、平野さんが全人生を託し た政治について言えば、政党政治 は19世紀と20世紀の遺物で、組織 論的にも時代遅れの典型であり、 21世紀には全く役に立たないのは 明らかです。組織論についてはこ れまで書いた著書の中で、いろい ろと考察しているのでそれに譲り ましょう。

平野 文盲と後進国については異 議があるが、政界の後進性につい ては「わが意を得たり」ですよ。 だから、私は平成無血革命を成功 させることで、新しい政治システ ムを作る必要があると考えて、盛 んにそれを訴え続けてきたのだが、 誰もそれに対して共鳴してくれな いために、いささか幻滅の悲哀を 感じています。
 それだけに民主党が本気になっ て革命遂行に取り組んで、このチャ ンスを生かして革命を成功させ、 日本が健康な国になるよう期待し たいと思います。 (つづく)



平野貞夫vs.藤原肇 4

草の根民主主義とジョン万次郎の教訓 4 http://p.tl/nnQj

政治評論家、前参議院議員 平野貞夫
vs.
慧智研究センター所長、フリーランス・ジャーナリスト 藤原肇



日本人でユニテリアン
第一号のジョン万次郎
平野 藤原さんの「さらば暴政」 にはネオコンのことが書いてあり、 彼らの「弱肉強食」という政治的 な立場について、ジャングルの捉 としての社会進化論の形で捉え、 差別に基づく帝国主義の思想基盤 を論じてます。これはキリスト教 国家としてのアメリカにおいて、 差別と平等の二つの対立した考え 方に関し、社会における現象の根っ こについて触れているので、私に はとても興味深いと感じた次第で す。ネオコンが貧欲な政治を実現 したのに対し、その対極にある米 国のキリスト教の運動として、ユ ニテリアンという特異なグループ が存在するが、重要なのは人種差 別をしない特色を持っている点で す。

藤原 キリスト教は自分たちが神 から選ばれた存在だという、一種 の選民思想に基づいた宗教グルー プといえるが、出発点には奴隷だっ たユダヤ人たちによる、劣等感が 逆立ちした形での選民思想が見え る。だから、顕教として一神教の カトリックやプロテスタントに対 して、異端の宗教として排斥され た多神教的なものが、グノーシス 派として地下に潜った形で存在し、 それが原理主義的なピューリタン 思想に生きており、その代表がユ ニテリアンだと私は考える。だか ら、ユニテリアンが多神教的であ ると共に密教的でもあるから、古 神道や道教に共通するものを内包 するので、日本人にとって親和性 を持つのだと思う。

平野 その密教的という指摘はと ても興味深い。そこに今後の日本 の政治が求める方向を考える上で、 草の根民主主義の持つ意義を理解 して、この思想を政治の上に反映 したら良いと私は思うのです。と いうのは、ユニテリアン信仰の根っ こにある思想としては、日本の仏 教や古神道を含めた東洋的な考え 方、あるいは、中国やインドの考 え方に似た生き物すべてが支えあ い、共生するという思想がとても 強く生きている。しかも、万人救 済で人種差別をせずに平等に生き、 異文化や異宗教とも融合して共生 することで、自然環境に調和して 生きることの尊重がある。だから、 19世紀の半ばの米国の草の根民主 主義を支えた、エマーソンやホイッ トニーを始めとした思想家や、ジェ ファーソンやリンカーンなどの大 統領も、ユニテリアン思想に共感 して支持をしていたのです。また、 共生の思想が根っこの部分にある が故に、漂流民として米国に行っ たジョン・マンこと中浜万次郎は、 日本人として最初のユニテリアン になったのです。

藤原 ユニテリアン思想について 平野さんの記事を読み、こんなこ とを論じる能力を持つ政治家が日 本にいたと知り、私はびっくり仰 天してしまいました。だから、ゴー ストライターが書いたのではない かと疑い、『財界にっぽん』の川 口社長に会った時に聞いたら、 「原稿用紙にエンピツで書いてく るから、本人が書いたのに間違い ありません」という返事でした。

平野 エンピツで書いて消しゴム で訂正するのが、私が慣れ親しん できた流儀である以上は、嘘や誤 魔化しは出来ないから見破られる…。 (笑い)

藤原 そうでしたか。ところで、 平野さんが「ジョン万次郎の会」 を組織して、ユニテリアンの思想 を普及しようとした背後に、草の 根民主主義への共鳴があると思う のですが、その辺についての背景 を説明してもらえますか。


議会で嘘をつかないという
議会政治の根本原理

平野 そうですな…。実は日本で 最も歴史を誇る社交クラブの交詞 社から、「ジョン万次郎に学ぶ」 と題して話して欲しいと頼まれ、 2009年の初夏に講演したこと があります。交 詢社は1880 (明治13)年に 出来たわけだが、 その頃の交詢社 は日本の社会や 文化に対して、 非常に大きな影 響力を与えていた。日本の近代化 や改革の中心的な集まりであり、 福沢諭吉を囲む財界人が結集して いたからです。

藤原 今だって日本の人事興信録 の分野においては、交詢社が発行 するものが最も権威を持っている し、特に慶応の卒業生を中心にし た財界情報では、その詳しい人脈 を知る上で最良のデータベースで す。
明治時代の日本人は幅広い視野 を持っていて、世界に向かって開 いた大きな展望を身に着け、文明 の流れを理解していた人がとても 多かった。ところが、世界と緊密 な関係で結びついているのに、現 在の財界人の多くは視野狭窄症で 金儲け専門だし、自分が直接関係 する分野にしか関心を払わずに、 文明全体への興味は至って僅かと いえます。

平野 明治の日本人には文明開化 が何より重要だったから、文明の 本質と実態に対して真剣に考えよ うとしたのです。

藤原 ところが今の日本では大違 いであり、知識として世界につい て知っていても、意識として日本 が世界の一員という自覚は希薄だ。 しかも、文明の本質について思い をはせる能力を始めとして、問題 の本質を掘り下げる人が激減して います。

平野 それは政治の世界について の理解と同じで、明治に較べて現 在の政治家の意識がいかに低いか を知れば、愕然とせざるを得ない ことですよ。明治の日本の政治家 や知識人たちの多くが、議会政治 の根っこにキリスト教文化があり、 欧米の議会が社会的な教会だと知っ ていた。
また、教会は心の教会と社会の 教会に別れていて、議会は社会の 教会として機能していたから、議 会では絶対に嘘を言ってはいけな いと知っていました。

藤原 現在の国会議員は議会で嘘 をつきまくり、上手に嘘をつくこ とが官僚や政治家の能力だと信じ られ、上は首相から下は陣笠議員 まで嘘を平気で言う。小泉や麻生 のような厚顔無恥な嘘つきに較べ て、鳩山は正直すぎて嘘が余りに 下手だから、ちょっとした誤魔化 しが大きな嘘に見えてしまう。

平野 議会で公人が嘘をつくとい う行為自体が、神に対して嘘をつ いたと厳しく追及されるので、欧 米では議会で嘘を言わない倫理が あり、それに明治の日本人が大い に敬意を払いました。伊藤博文の 側近だった金子堅太郎は、ハーバー ド大学に留学してユニテリアンを 知っており、学生仲間として知っ ていたフェノロサを東大に招いて、 エマーソンの思想を東大生に教え たし、福沢諭吉も慶応にユニテリ アンの神学部を作ろうとした。ま た、福沢諭吉の長男の一太郎はボ ストンにいて、知り合ったナップ 宣教師を日本に送り、宣教活動を するのを援助しただけでなく、こ のナップ宣教師は1888(明治 21)年に交詢社で、ユニテリアン の思想について講演しているので す。
当時の日本人は世界と共に生き ることに対して、それほど真面目 に取り組もうとしていたことが分 かります。

藤原 函館から密航して渡米した 新島襄とか、薩摩の密航学生とし て渡英した森有礼などは、ロンド ンでユニテリアンになって渡米し ている。しかも、森はストロンド ベリーの思想を強く受けていて、 明治の日本にキリスト教を持ち込 んだし、札幌農学校のクラーク博 士の役割も重要でしたね。


草の根民主主義と
ユニテリアンの博愛思想

平野 要するに、明治の初期の日 本は文明開化のために、キリスト 教を通じて議会政治を取り込もう とした。そして、ユニテリアンの 人類愛の思想に共鳴したせいで、 教育勅語にも「博愛衆に及ぼし」 とあるように、教育勅語にはユニ テリアンの思想が反映しています。

藤原 でも、その割にはキリスト 教は日本で伸び悩み、宗教的な普 及活動と発展という意味では成功 せず、ミッションスクールを除い て大した影響が残らなかった。こ れは幼稚な質問になりそうだが、 その理由はどこにあったのでしょ うか。

平野 日露戦争以降に日本では国 家主義が強まり、それが政治の表 面で支配力を持ったためです。し かし、隣人愛や困った人を救うと いう意味では、労働者や貧困層を 救済するという形を取って、労働 運動の中に足場を確立する方向で、 早稲田の安部磯雄教授の指導の下 に、鈴木文治が友愛会を大正元年 に作っています。

藤原 平成無血革命の成果として 民主党政権が出来て、鳩山首相は やけに「友愛」という言葉を連発 していますよね。だが、「友愛」 は18世紀から20世紀の初めに有効 でも、情報革命によってより開か れた関係の中で、世界化が進んだ 21世紀には時代遅れであり、むし ろ、日本語としては「博愛」とい う言葉を選ぶべきです。その理由 として私が考えるのは、博愛はオー プンだが友愛はタコツボ的であり、 閉鎖したグループだけにしか有効 性を持たず、結社、宗派、政党と いう狭い利益集団だけに、価値の 共有が限られていると思うからで す。

平野 その意見に私も賛成です。 国禁の鎖国を恐れずに日本に帰っ たジョン万次郎は、より、広い開 かれた考え方をしていたが故に、 英語を学びに来た若者たちにユニ テリアンの思想が、宗派ではなく 人心の運動だと教えました。そし て、世界がいかに広く開放された ものであり、日本が世界の一員と して国際社会に参加し、共に利益 を分かち合って生きることが、い かに大切であるかを丁寧に教えた ので、彼に学んだ若者たちが明治 から大正にかけて、日本の各界で 活躍することになったのです。

藤原 草の根民主主義が生きてい た時代の米国で、ジョン万次郎が 基礎教育を受けて人格形成した事 実と、明治の日本が彼を受け入れ たことは、非常に幸運に恵まれて いたことだと思います。だから、 明治の日本は文明の手本としての 米国に憧れを抱き、自由民権や議 会政治に強い関心を示した。そし て、プロシア流の強権支配をしよ うとした政府に対して、民間人が 民権と結ぶデモクラシーを求めて 闘い、大正デモクラシーを実現す ることになった。
それに、漂流民のジョン万次郎 や坂本龍馬が土佐の生まれであり、 自由民権運動は土佐を中心に発展 しているが、平野さんが土佐の人 間として衣鉢を継ぎ、議会主義と デモクラシーを訴え続けるので、 そこに不思議な波動の働きを感じ ます。

平野 そう言って頂けるのは嬉し いことです。足摺岬に近い土佐の 中浜で生まれた万次郎が、貧しい 漁民として漂流し九死に一生を得 て、アメリカの捕鯨船に救われて ボストンの近くで学校に行き、草 の根民主主義を全身で味わったの です。そして、捕鯨船の航海士と して地球を6周して、発展期のア メリカ文化をマスターして帰国し た時が、ペリーの来航と重なった のは実に幸運でした。


戦略的な判断力と
リーダーシップ

藤原 しかも、ゴールドラッシュ のカリフォルニアに出かけて、フォー ティナイナーという砂金探しの仕 事まで体験し、帰国の旅費を貯め て日本に戻る計画を実行した。国 禁を破った男が故郷に戻る努力を した人生は、それ自体が素晴らし いロマンに満ちたドラマだが、鎖 国から開国に転換する時代だった から、彼は実にラッキーな運命に めぐり合わせたわけです。

平野 琉球に上陸して開明派の薩 摩藩と接点を持ち、島津斉彬に見 出されたのが第一の幸運であり、 土佐藩主の山内容堂との出会いが 第二の幸運でした。

藤原 だが、それにも増して、徳 川幕府の中老に阿部伊勢守正弘が 健在で、ジョン万次郎の能力を評 価したのが最大の幸運でした。 『さらば暴政』の中に勝海舟の言 葉として、「アメリカでは、政府 でも民間でも、およそ上に立つも のは、皆その地位に応じて怜悧で ございます。この点ばかりは、全 くわが国と反対のように思います」 を引用して置いたが、それは黒船 が現れた後の出来事であり、その 前段階の幕府には阿部正弘を始め 優れた人材がいた。だが、不幸な ことに有能な人材が次々と急死し て、肝心な時に幕府の人材が払底 してしまった。

平野 私もそのエピソードを交詢 社の講演で紹介したが、この発想 はジョン万次郎が勝に吹き込んだ と幕府に誤解され、ジョン万次郎 は軍艦訓練所を首になり、それか らは教師や通訳をしたとはいえ、 より自由な民間人として彼は生き たのです。

藤原 ジョン万次郎はアメリカ人 が作った本を始め、いろんな工業 製品を日本に持ち帰っているのだ が、特に興味深いのはミシンを買っ た点です。当時のミシンは画期的 な産業発明品の代表であり、アメ リカではソウイング・マシンと呼 ぶのだが、各国の文明度によりマ シンの意味が違っている。日本で はミシンがマシーンの代表になっ たのに対して、イタリアではマキー ナは自動車を指しており、フラン スではマシャンは俗語で小道具と いう意味です。また、アメリカで はミシンはマシーンの一部を意味 するし、自動車はカーやオートモー ビルという前に、ドライビング・ マシーンというのが機械の意味論 です。

平野 それは非常に面白い話です な。国によりマシーンという言葉 の意味する内容が、全く違ってい ると知るのは有意義です。それが 理解できていたから、福沢諭吉も ジョン万次郎も字引に関心を持ち、 ウェブスターの英語辞典を一緒に 買ってきたのだし、二人とも文明 開化に対して貢献しています。

藤原 言論活動がデモクラシーの 基礎だと考えたので、新聞を発行 することに明治の先覚者たちは情 熱を傾けたが、現在の日本にはそ れだけの人物がいない。新聞が中 生代の末期の恐竜と同じ状態で、 絶滅しかけている現在の言論界は、 生命力を喪失してまともに機能し ないが故に、政治の異常を診断す る能力を失いました。

平野 そこに今の不甲斐ない亡国 現象の原因と、人材枯渇という致 命的な欠陥が浮き彫りになってい るが、それを嘆いても社会は良く なりません。
これまでの自民体制による暴政 は実に酷かったが、それに代わる べき民主党に人材がおらず、代議 士の多くが未熟で経験不足に加え て、自分が実力不足だという自覚 すらもない。鳩山首相の周辺を官 僚出身の代議士が取り巻き、役所 で係長が課長補佐をやったくらい で、官僚生活に見切りをつけて議 員になった者も多い。
あるいは、松下政経塾あたりで 政治教育を受けて、即席で政治運 営の知識を覚え込んだだけで、小 手先の政治活動をした程度で議員 バッチをつけても、若手の役人や 塾生程度の知識と経験では、国政 の舵を取るだけの力量や判断力は ない。だから、彼らが頼りにする のは肩書きとしての地位だけだか ら、出世して肩書を得ることに熱 中するのです。

藤原 大臣になったことで偉くなっ たと誤解し、不適切なことまで得 意になって喋りまくって、実力の なさを露呈して嘲笑されている。 今の日本の閣僚は本当に実力が無 い人が多いですね。


実力の伴わない大臣や
首相補佐官の跋扈

平野 その典型が単なるマニフェ ストにこだわってしまい、マニフェ ストを憲法以上に重要だと誤解し て、マニフェストに書いてあるか ら断固やると発言し、政治家とし ての資質を疑われた大臣が目立つ。 マニフェストに中止と書いてある から、八ツ場ダムは中止だと大臣 が発言したのでは、政治のダイナ ミズムのイロハも知らないわけで、 政治が話し合いの場であることも 分からずに、マニフェストに振り 回されているだけでは困ります。 政治を担当する責任者に必要なこ とは、行政を処理するという役人 的な能力ではなく、戦略的に物事 を識別して取り扱う能力であり、 これは判断力に基づく指導性に関 わっています。

藤原 政治の指導体制がお粗末だ という点では、自民党政治の末期 は誰の目にも亡国だと分かったが、 そのことは『さらば暴政』で指摘 しました。最悪なのは安倍内閣に おける主要人事だったが、大臣か ら首相補佐官に至る全員が支離滅 裂で、世界から物笑いになっただ けではなく、日本の信用は丸潰れ で恥ずかしい限りでした。

平野 大臣が自殺したり絆創膏を 張ったりして、正に国会が漫才劇 場になった感じだった。また、小 池百合子や世耕弘成などについて、 首相補佐官になった人事への藤原 さんのコメントは、お粗末さの指 摘としてズバリ的中だった。それ に中国の古典から引用した文章の 持つ威力は、問題の核心をついて いて実にお見事でした。

藤原 『戦国策』にある人材抜擢 の序列によれば、「礼を尽くせば 自分の百倍も優れた人材が、敬意 を表せば十倍優れた人材が集まっ て来る。対等に振舞えば同じ程度 の人間が、怒鳴りつければ下僕が 集まるだけだ」というのだが、こ れを下僕をかき集めた自民党政権 だけではなくて、鳩山内閣の人事 にも有効な名言ですよ。

平野 怒鳴りつけなくても尻尾を 振って集まる、無能な上に意地の 汚い連中が実にたくさんおります な。

藤原 鳩山は首相補佐官に代議士 を任命しているが、部下の代議士 なら必要に応じて考えを問えばよ く、部下にいない大局観を持つ優 れた人物は、「三顧の礼」を以っ て招く必要があるのです。ところ が、専門知識も経験も無いない議 員を抜擢して、そんな人物に補佐 の仕事を託したのだから、狂気の 沙汰と言うしかないと思いました。 しかも、有能な人材は厳選して選 ぶのが鉄則であり、補佐官の数を 増やせば「枯れ木も山の賑わい」 で、「船頭多くして船が山に登る」 だけですよ。(笑い)

平野 私は外部から優秀な人を厳 選して招き、政治家が持ち合わせ ない能力を活用するために、また とないチャンスを逸したと思いま した。ジョン万次郎の例からして 優れた日本人は国外にもいて、誰 が真に優れた人材かを普段から知っ ていれば、必要な時には選ぶこと が出来るはずです。

藤原 ところが、日本人は事大主 義とタコ壷発想のために、高所か ら広い展望に立って人材を選ばな いで、有名人か身の周りにいる人 間の中から、使いやすい人間を拾 い上げるという傾向がある。本当 に有能な人は気軽に引き受けない し、必ず条件を出して責任と権限 を要求する。カネや肩書きには釣 られないから、「三顧の礼」を以っ てする処遇が不可欠で、真の人材 を迎えるのは難しい仕事です。


憲法感覚の重要性と
その見落とし

平野 代議士が人気で選ばれてい るために、日本ではタレント候補 がもて唯されているが、「出たい 人より出したい人」というように、 本当に優れた人は喜んで尻尾を振 らないものです。私は国会議員を 辞め現役から身を引いたが、民主 党員である立場から発言するなら ば、国政を託せるだけの議員は余 りいない。それでも、平成無血革 命を成功に導くためには、再びか つての暴政を蘇らせることなく、 議会制民主政治を実現することが 肝要です。だが鳩山政権が抱える 問題点として心配なのは、憲法感 覚が欠如していることであり、国 家の運営は単なる行政行為ではな くて、憲法との関わりを考える必 要があるのです。その点で憲法を 軽視する態度は厳禁だし、議員立 法の禁止は議会制度のために許さ れるべきでなく、国会は国権の最 高機関だから立法権の拘束はいけ ません。

藤原 賛成です。それと共に、議 論の場としての国会の質を高める ことで、世界で一流として活躍し ている人材たちが、議論に参加す るだけの魅力を持つように、体質 改善と大掃除が必要だと痛感しま す。現在の国会に世界的な人材が 参加しても、こんな低劣なレベル の中で仕事をすれば、世界の一流 が一ケ月もしないうちに、世界の 四流に成り果てる危険がある。今 の日本はそれほど酷いのに気づい ていない。

平野 これは厳しい評価ですな。

藤原 日本では大学生でも本を読 まなくなってしまい、劇画やマン ガ程度のものしか読めなくなって しまった。また、大衆レベルでは 世界でも最低のお笑い番組が、テ レビでのべつ幕なしに放映されて おり、そこで人気を集めた電波芸 人たちが選ばれて、知事や国会議 員になっているために、政治のレ ベルが最低である原因を作ってい る。だが、日本人はこの事実に気 づいておらず、世界で物笑いになっ ていることも自覚せずに、自国が 没落しているとは夢にも思わない。 しかも、かつては世界一だった児 童の学力レベルが、毎年のように 低下して行くのを放置したので、 今では先進国の中で二十番ちかく になり、それが国力の低下を加速 させているし、産業界は中国や韓 国に追い抜かれかけていて、それ が日本の混迷の原因になっていま す。

平野 困ったことだがそれが現実 だとしたら、早急にその問題に取 り組む必要があり、高校の授業料 の無料化という細事ではなく、日 本全体のレベル向上というより重 要な問題に、真剣に取り組むこと が政治の課題です。
ジョン万次郎がアメリカで学ん できた大切なことは、幅広い視野 と教養の重要性にあった。また、 それは草の根民主主義の基盤にな るものであるし、そこに時代を導 くリーダーシップがある以上は、 日本の将来を決定付ける決め手に なるのです。 (完)