一元論と祖母のこと
従来の心理学、ヒーリングなどを学び
そしてやっとTAW理論に辿り着いた。
3月から約1ヶ月半をかけてフラクタル心理カウンセラー養成講座を受講していてその間に色んなことが起きた。
大きな出来事としては、
3月の末に父方の祖母が亡くなった。
うちの祖母は、戦時中に父を身籠り、出産を前に戦争で夫を亡くしたが1人で出産をして満州から引き上げてきた。それから1人息子である父だけでなく、年の離れた自分の兄妹たちも養っていたような強い女性だった。
また熱心なクリスチャンでもあった。
しかし、うちの父は無信仰者。母方の家系は一般家庭に当たり前にあるようなお仏壇がある家庭で育ったので、仏教徒?と言えるかしら?といった具合なので
普通のは食事の時に、当たり前に合掌して『いただきます!』というのも
祖母の前では禁止され
お祈りをしてから手を組んで『アーメン』と言わなければならなかった。
仏教の文化が当たり前にある日本では普通の慣わしみたいな事も
事ある毎に祖母の前ではタブーで、
幼い頃から祖母の前ではキリスト教徒のような振る舞いを演じているような感じで
何だか両親と祖母の間で板挟みになっているような気がしていたし
それに加えて勝気な祖母と母との間に嫁、姑問題もあったので
うちの中に小さな宗教戦争が起きているような感覚があった。
しかし、両親は共働きだったため私が物心つく頃から幼稚園までは、私と妹は近所に住む祖母がいつも自転車でうちに来てはめんどうをみてもらっていた。
それから6歳くらいの時に祖母の家からは少し遠いところに引っ越したのでいつも祖母といるという生活は終わった。
この頃のいつも祖母といたという記憶は私にはあるのだが、2つ下の妹にはほとんど記憶がなかったようだ。
引っ越してからも祖母と母との間にある溝は深まっていたように感じていたので
ほとんど祖母には会えなくなった。
母の前では祖母に会ったとしても話さない方が良いだろうという感じで
やはり、板挟みになっているような感覚は拭えなかった。
私は、ずつととても複雑だった。
確かに熱心にキリストを信じ、
周りの人とは違う言動をする祖母は変わった人だとは思っていたが、
私たちには優しい祖母が嫁をいじめる姑なのか?わからなかった。
それから時がたち、私たち姉妹は実家を出た後、祖母が高齢になり独居生活が不可能になってきたため、両親と祖母との同居生活が始まった。
私も妹も結婚し、妹は結婚してすぐに妊娠し、祖母にとってはひ孫、私にとっては姪っ子が産まれた。
しかし、やはり祖母と母との間には相変わらず確執があり、幼い頃の祖母との記憶が薄い妹は完全に母の味方となっていたようだった。
ここ数年は入院生活を続けており、去年の年末から体調を崩してもう長くないと連絡が入っていた。
そんな祖母が96歳で亡くなった。
大往生であるし、もう覚悟もできていたのもあるし、
一元論では生も死も存在しないというし、不思議とこれまでと全く違った感覚で冷静に死を受け止められた。
私の中の何かが死に
私の中の何かが蘇ったのだ
と思ってそれが何なのだろう?などと思っていた。
通夜には間に合わず、翌日の葬儀に間に合うように実家に戻った。
棺の中の祖母の顔をみて、誰が中に入っているのかわからない感覚があった。
眠っているような穏やかで薄化粧している祖母の顔を
もうちょっとだけ美しくしてあげたいと思って
自分が持っている化粧でもう一度化粧しなおしたら
本当に96歳には見えないくらいに綺麗になった。
葬儀は教会で行われ、賛美歌と祈りを捧げ、これまでキリスト教式の葬儀に参加したことがなかった私は、仏教のお葬式より陰気臭くなくていいな。などと思っていた。
外は満開の桜に雲ひとつない青空。
喪主である父は、
この日を自分で母は選んだのだと思う。とあいさつした。
確かに、2月は祖母の誕生日で
3月13日は姪っ子の誕生日で、4月14日は私の誕生日。
自分の誕生日を越えて、孫、ひ孫の誕生日の間をとって、晴れていて、しかも桜が満開の3月30日。この日は卒業の日でありすぐに新しい季節の始まる日でもある。
うまいことやるな。
出棺の時はピンクの花で棺の中をいっぱいにして
本当に綺麗だった。
そして荼毘に付した祖母の骨を集めて教会のとなりの納骨堂で祈りと賛美歌を捧げて家に帰った。
その日は実家で夕飯を済ませいつものようにビールを飲んで家族で過ごした。
姪っ子がずっと『ばぁば、あれやって!じぃじ、これやって!』と彼女にとっては祖父母になる私の父母に一頻り遊んでもらって、
お絵かきを始めたかと思うと、
文字にならない文字で
『じぃじとばぁばぁにお手紙です!』とカタカナで『カカカカカ』と書いたような何枚かのお手紙を渡した。
『なんて書いてあるの?』と姪っ子に聞くと
『じぃじとばぁばぁが大好きです!ばぁばのごはんは美味しいです!』って読み上げた。
母が『あんたたちも全く同じことしてた!読めない手紙をいっぱい書いてた』と言ってみんなで笑った。
忘れないように翻訳した説明書きを書いてその日は早めに寝た。
そして次の日、朝起きてすぐ
祖母の部屋を片付けなくては!と思い立ち、
父と母に今日、片付けるから手伝ってと言ったら『まだお葬式終わったばっかりなのに、もう少し後でいいよ。』と言われたが、
いや、私が片付けをしなくては。今日しかない。って思って1人で祖母の部屋の片付けを始めた。
そして片付けを始めてすぐに、棚の中からプラスチックの箱が出てきた。
中身を開けてみると、
私と妹が幼い時に書いた絵がたくさん出てきた。
それをすぐに朝食を食べている父、母、妹と姪っ子のところにもっていって
『見てみて!懐かしいのが出てきた』といって広げてみた。
するとその中に、
昨日、姪っ子が書いたものと全く同じ文字にならない読めない文字で書かれた手紙が入っていた!
私と妹が祖母宛に書いた読めない手紙。
そこには、
『おばあちゃんお元気ですか?明日教会から帰ってきたら早く来てください。と書いてあるそうだ』
と祖母の字で説明書きが添えられてあった。
そして、小さなメモ書きに
『白内障の手術をしてから聖書が老眼鏡なしで読める。
元日から読み始めてもうエレミヤ四章に進んでいる。
八十九才にやがてたどりつく。
彩絵と史香のお手紙、
笑いながら眺めた。
もう幾回みる事だろう。
数回はみたけれど、
間を置いて又みる事にしよう。
2008年2月8日』
いつも祖母は言っていた。
『いつもみんなのためにイエス様に祈っているの。
みんなが健康で幸せでありますようにって。』
それを私は全く理解していなかった。
イエス様なんかいないし、また変なこと言ってるって
心のどこかでそう思っていた。
全然ちがった。
姪っ子が
じぃじが大好きなように。
ばぁばが大好きなように。
姪っ子がみんなにとって愛しくてしょうがない存在であるように。
私も妹も家族は祖母にとって大事な大事な宝物で
ずっと何十年も毎日毎日祈り続けた祖母の気持ちも知らず。
こんなに愛してもらっていたのに
本当におばあちゃんごめんなさい。
祖母も母も私も妹も姪っ子もそして父も。
みんなの気持ちがわかった瞬間だった。
全部、時間差の自分。
この世には自分しかいない。
愛しかなかった。
私の中の争いが終わった感じがした。
一元の感覚がまたひとつ深まる感じ。
また、東京に戻りフラクタル心理研究会に参加
この事を話したら、
黒須先生が
『私の誕生日は終戦記念日でもある8月15日よ!』と!
そしたらなんと、となりに座っていK氏が
『えー!!!私も同じ8月15日です!終戦記念日!』と!
『、、、まてよ。
うちの旦那も8月15日!!!』
こんな偶然ってあるでしょうか?
偶然じゃないんですね。
私は終戦記念日と結婚していたのか。
あー本当に私の中の戦争は終わったんだな。
争いは終わった!これからは安心して積み上げ築き上げよう。
本当にTAWに出会えてよかった。
きっと祖母も聖書の中に真理を探していたと思う。
祖母がボロボロになるまで読み返した聖書は私にとってはTAWのテキスト。
祖母は私の中に生きている。
おばあちゃん、ありがとう。
沖縄TAWフラクタル心理カウンセリング