今日は父の命日。
命日だということはしっかり覚えているのに、なぜか毎年美容院の予定を入れていたこの日。
(しかも私が美容院に行くのなんて3ヶ月に1回程度、つまり年に4回くらいなものなのに、なぜか毎年決まって5/10だけピンポイントで)
今日は朝起きて、今年は美容院の予約を入れていないことに気づいた!
カラーを重ねた毛先がキラキラ痛み始めてはいるものの、カラーの急を要するほどではない。
去年ブログに書いたことを思い出して、思った。
やったー!
父が亡くなって初めて、髪を切らない日!
と安堵したのが、たった12時間前のこと。
今子どもたちを寝かしつけて、いびきをかいて眠る息子が今日言ってくれた
「ママ、いつもご飯作ってくれたり、お掃除してくれたり、おもちゃ片付けてくれたり、優しくしてくれて、ありがとう」
という言葉を思い返して、いいこいいこした髪の短さにハッとした。
今年もやってもうた…。
さっきお風呂に入ってる時に、突然息子が「ママ、いつもご飯作ってくれたり、お掃除してくれたり、おもちゃ片付けてくれたり、優しくしてくれて、ありがとう」と言い出して、感動のあまり動揺して、
私「え!なんで急にそんなこと言ってくれるの?こちらこそ、ありがとう」
息子「先生がそう言ってたから」
私「え?」
息子「母の日だから!」
私「あ、明日の母の日参観の練習か!」なんだ。
息子「そうそう。ママにありがとう言うからね。お歌も歌うからね」
私「そっか、じゃあかっこよくしないとね!前髪伸びてきたから少し切っておこうか」
しかもちょうどこの間娘の前髪を切ったばかりでお風呂から手を伸ばせば届くところにハサミがあって、
そのまま、ジョキッ!っと…。
これ本当なんなんだろう??
自分の意思とは別に、なぜか結果的にそうなってしまうことが繰り返されるなんていう経験はこれくらいしか思い当たらなくて、なんだかもうただただ不思議。
これは父の仕業か!?
髪を切ることによって、毎年自分を思い出すようにとしているのか。
何年経っても私はそこを全く乗り越えられていないどころか、乗り越えるとを放棄して、そこにきつく蓋をしたまま毎日を生きてます。
父が亡くなって9年、というよりも、父と9年会っていない、という感覚の方がしっくりくる。
普段から無意識の中のしっかりとした意識が蓋を強く閉めては父のことを思い出させないようにしているから、毎年こういうアプローチでやってくるのか。
不思議。
本当に不思議。
でもこれまで毎年神を切るのは自分だったのが、今年初めて息子になった。
去年あんな風に書いておきながら、結局父への感情には触れられていないけど、でもそれ以外の部分で色んな感情に素直に向き合えてきた、と思っていいのかな。
思い出さないのに、何かあった時に寝る前に問いかけたり、見守っててねとこっちばかりお願いするのは恐縮だけど、こんな私たちだけど、これからもよろしくね。