大阪に帰ってきて、東京へ行って、千葉(TDR)行事も終わり、大阪へ戻ってきて
着手したのが
何故か、東京での活動年表の作成だった∑(・`ω・ノ)ノ
なぜか、本当に理由は分からないのだけれど…
急に「作ろう」ってなって
いざ振り返ってみたら、色々なところ記憶と食い違っている感じがする…
現状の記憶媒体
(過去の作成物・公演情報・ブログ・FB・Teitter・写真・録音物…)などから、いろいろとさらっているのだけど…
どうにも曖昧なところが多くって…
人の記憶というものはすこぶるあてにならないものだわ(特に私の脳みそね)
そこで、特に
音楽温泉ライブの語りのコーナーの作品タイトルと開催会が一致しないの(p>ω<q)
私の記憶ではvol.8で初めてオリジナルの語りが始まってるのね((´∀`))
「いつも見る景色」
「命のメール」
「魔法のかばん」
3作目まではこの順番で間違いないと思うの。
vol.9に、「いつも見る景色」のときの衣装の写真(下にチャイナ服を着込んでいるストール姿)が載っているから、
vol.8で発表していたのも、たぶん間違いないと思うの…。
でもね…
「いつも見る景色」の回に
レイさんが『もう10回もこうしてライブが出来るのは…』って言ってるの( ;・`д・´)
他にも、山平さんのHPにもvol.12の時に「魔法のかばん」って書いてあるし…
そーゆーとこから逆算していくと、私の記憶とは全然違ってたんだな~ε-(´・д・`)
ただ、最初のオリジナル3作の順番は絶対の自信があるので。
それと、他の要素を組み合わせて年表を作り上げていってるんです。
そして、もう一つ思い出したのが…
オリジナルの語りを始めたのは「いつも見る景色」だけど
それ以前に
「回転扉」「ラブレター」「天国までの100マイル」
をそれぞれ抜粋で語っていたんだった。
それを当てはめていくと…
vol.7 「回転扉」←全く告知無くいきなり語りのコーナーが設けられていた。だからチラシには「語り」の文字が無い
vol.8 「ラブレター」ナレーション部分を関さんにお手伝いいただいてて、白蘭を演じていた。チラシには「語り」の文字がある。
vol.9 「天国までの100マイル」マリと英子を一人で演じ分けていた。
で、vol.10 「いつも見る景色」←オリジナルで池田昌子さんと。
こうつなげると、綺麗に繋がるんだけど…
一つだけなぞが残るのが…
語りの時の衣装かな~ε-(´・д・`)
今度出来るなら、レイさんのライブのことよくわかってる人と
情報と記憶をすり合わせてみたい(。・ω・。)ノ
音楽温泉はこれ以上考えても答えが出ないし、より一層疑いが深くなっていくので、ここらで手を打っておく。
他、劇団関係は殆どの出演公演は記録が残っているので問題ないし…
私出演していないものでも、HPで皆の出演情報を書いていた関係で、概ねの記録はある。
私が外に出ちゃってからは、制作も携わってないので細かなところまではわからないけど、やはりネットの情報などからさらえたので(ノ´∀`*)
JAT関係も、概ね自分の関係するところは記録があるし…
講師をやっていたところは、より一層の記録がシッカリしている。
私生活においても…
ものの見事にブログで判断付いた(*´Д`*)
過去の自分を褒めてあげたい。
自分で読み返せば、かなり抽象的に書いてあるけど内容が分かるつくりになっていたからね( ;・`д・´)
で、2005.4~2019.3までの年表が完成したよ。芸能活動中心の年表がね。ヽ(o'∀'o)ノ
こんどは、私生活の方の年表をつくろうかどうか悩んでるところなんだけど…
考えてみたら思い出したくない過去がいっぱい詰まってるし
一応、ざっくりと、始まりと終わりがきっちり分かったから。もういいや。止めておこう・゚・(PД`q。)・゚・
さーて、なんか気持ちに区切りがやっとついたような気がするな。
8/24 楽しむ為に バリバリ働かないとな(*'∀'*)