みなさん、元気ですかい?あすみんです。
年始に弾丸で愛知へ帰省したのですが、
相変わらず新清州駅は工事中でしたね。
100年計画ですか。
私は、4人目のふくがやっと2歳になり、
-私「ん、なんかクサいな」
-ふく「デテナイヨ~」
-私「おむつ替えるよ」
-ふく「ヤーダヨー」
くらいの、会話のやり取りはできるようになりました。
一番上のみーちゃんは5年生になり、「ちゃお」とか読んでいます。
1年生のうたは、ちょっともやもやしている時期です。
年中さんのようちゃんは、口を開けば「バスとか電車に乗りたい」ばかり言います。
私は、相変わらず畑で野菜をつくりながら、パートでWeb記事などをかいています。
パート先にデザインの仕事に興味があるひとが多く、
しかも才能豊かな人ばかりで、
どうしたらデザインの仕事が広がるのかなぁとあれこれ模索中です。
本人はあまり自覚していないことが多いのですが、
それぞれ必ず”とんでもなくすごいところ”があります。
走るのが速い、絵がうまいなど目に見えやすいこと以外にも、
このひとのあいさつはいつも心が明るくなるなぁ、とか
ものごとを順序だてて計画するのがうまい、とかひとによっていろいろあります。
それを仕事にしなくてもいいのでしょうが、
その「とんでもないすごさ」ゆえに、ひとの役に立つことができるのです。
童話「みにくいあひるの子」では、
白鳥のこどもをまわりのあひるたちが馬鹿にします。
「自分は、なぜまわりとちがうんだろう」と、もがく白鳥のように、
生きにくい環境をなんとか生きてきたひともいるかもしれません。
「自分は白鳥なんだ。あひるのマネはしなくていいんだ」と気づくことは、なかなか難しそうです。
ただその「とんでもないすごさ」が、ひとの役に立ったとき、
もしかしたら「白鳥でいいんだ」と自分を認めることができるかもしれません。
わたしのまわりにたまたまたくさんいる白鳥が、
いつか白鳥であることを認めて、
のびのび空を飛んでいくことを夢みています。
なんてわかりにくいたとえ話だ~!
きちんと形になったら、
詳細を報告します
ではでは、体を大事にね