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ベイビーアール代表 Kiyokoのブログ



初めてショーン・ペンの存在を知ったのは

「コードネームはファルコン」1985年

好きな映画です


ショーン・ペン

1960年カリフォルニアで生まれ

父はTVディレクター、母は女優、兄はミュージシャン、弟は俳優と

一家揃って芸能の道に根ざしていました



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これから世界を取りに行こうとしていたマドンナと

映画を作りながらひっそりと隠れて暮らしたかったショーン

1985年に結婚するも長くは続かず離婚


何年も後のマドンナの映画「イン・ベッド・ウィズ・マドンナ」で

不動の地位を確立したマドンナに

「あなたが一番愛した人は誰?」と質問を投げかけると

とても寂しそうな顔をして「ショーン」と答えた

印象的なシーンだった



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「カラーズ」「俺たちは天使じゃない」「カリートの道」

作品に恵まれるショーン


1991年「インディアン・ランナー」で監督、脚本家としてデビュー

1995年「クロッシング・ガード」で監督、プロデューサーとしてもデビュー

1996年「デッド・マン・ウォーキング」でアカデミー賞主演男優賞ノミネート

加えてベルリン国際映画祭主演男優賞受賞

これも素晴らしい映画でした



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1996年に女優のロビン・ライトと結婚し子供も授かります


ハリウッドでも有名なトラブル・メーカーだった彼も

結婚し、落ち着きを見せ

役者として、映画監督としての道を邁進


1997年「シーズ・ソー・ラブリー」でカンヌ映画祭主演男優賞

1998年「キャスティング・ディレクター」でヴェネチア映画祭主演男優賞

1999年「ギター弾きの恋」

2001年「アイ・アム・サム」でアカデミー賞主演男優賞ノミネート

この映画は泣いた泣いた



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彼は映画活動の一方で、政治や社会貢献活動にも乗り出します


なかでも最も注目を集めたのは

イラクに対して緊張感の高まるなか

2002年10月18日に米紙「ワシントン・ポスト」に掲載された

意見広告ではないでしょうか


これは当時のジョージ・W・ブッシュ大統領宛の

公開書簡の形式をとっており

このなかでショーンは

自分はブッシュ氏と同じ、父親でアメリカ人で愛国者だとした上で

善か悪かの単純で扇動的な考え方はしないと批判

暴力の連鎖をやめるよう訴えています


そして同年12月にはバグダッドを訪問

子ども病院の訪問や副大統領と対面といった活動を行いました



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2003年「21グラム」でヴェネツィア国際映画祭主演男優賞

2003年「ミスティック・リバー」でアカデミー賞主演男優賞


2005年にはイランを訪問し

その模様を米紙「サンフランシスコ・クロニクル」にレポートしました


同年、ハリケーン「カトリーナ」襲来で

被災地ニュー・オリンズへ自ら飛び、レスキュー活動も行なっています



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2007年「イントゥ・ザ・ワイルド」では監督、製作、脚本を務め

2008年「ミルク」で二度目のアカデミー賞主演男優賞受賞

これも素晴らしい演技でした


同年、キューバのカストロ議長にインタヴューを行い

カストロ議長が当時オバマ次期大統領との会談に

前向きな姿勢を示したことは大きな国際ニュースとなりました


2010年ロビン・ライト・ペンと正式離婚


かつてのハリウッドの暴れん坊は

今や、映画、政治、社会活動、ボランティアに

エネルギーを注いでいます



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若い頃の彼の、非常に危険な横顔が

とても魅力的であったけれど

年齢を重ね、こうして穏やかに微笑む彼も

悪くないなと思います


決して器用に生きる人間と言う印象ではない彼ですが

やはり役者としては天才肌だと思います


彼の持つ静かな情熱はとても温度が高く

彼の持つ孤独は闇より深いところにある



魂を揺さぶられるような演技に

幾度となく出会いましたし

これからも幾度となく出会いたい





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