瀧の白糸と水芸と私 | 活動弁士は七変化

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映画はかつて無声で、生の語りで説明者がいたのです!

昨日のクリスマスに届いた封書。
15日に公演した、
広島市映像文化ライブラリーからアンケートの集計が送られて来たのです。 

嬉しかった♪(’-’*)♪

『瀧の白糸』最長版は、
私が目標にしてきた演目でした。
今まで公演してきたフィルムと尺さほど
変わりはないのですが、
何と言ってもラストがあるのです。
白糸と欣さんの悲しい運命に決着の場面が…
泣けますよぉ~゜゜(´O`)°゜

様々苦しかった一年でしたが、
白糸の生きざまを演じていて、
不思議と私の心の傷が癒されていくのを、
じんわりと感じられました。

私にとって大切な場面のひとつが、
水芸のシーンです。
私は二十代半ばから数年に渡って、
水芸や和妻(日本の奇術)の
アシスタントをしていました。
私の七変化キャリアの中で、
最も変わった?!内容だと思います。



この写真の左が『瀧の白糸』主演の入江たか子で、
右が稀代の女性奇術師・松旭斎天勝です。
ふたりが手にしているのが、
水芸の太夫の衣装。
天勝先生はこの作品で、
水芸の指導と監修をされておられます。

私が最初にツアーでアシスタントを務めていたのは、
竹の江さゆりさんという若い太夫で、
ご結婚して引退されてしまってからは、
その師匠の松旭斎正恵先生のアシスタントをしていました。
正恵先生のお母様であり師匠だったのが、
天勝最後の直弟子、
松旭斎広子先生だったのです。

広子先生が80歳越えてから、
国立劇場での舞台でアシスタントを
務めた事もありました。

マギー司郎さんが楽屋へ挨拶に来られたり、
北見マキさんから直接ギャラを手渡された思い出は、
私の生涯の宝です。

広子先生は、
私が初めて『瀧の白糸』全編を語った、
インド公演と新文芸坐公演があった2007年に、
93歳の生涯を終えました。

奇術に対しての情熱は、
最後の最後まで燃え盛っておられました。




私が語る『瀧の白糸』は、
水芸のシーンでやたら張り切っているかも知れません。
今回も、
どこかで広子先生の目が光っている!』
と、不思議な思いにかられました。

無声映画も伝えて行きたい。
同じように水芸の事も。



そんな使命を感じています。








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