【時間管理】スキマ時間が見えて、ようやく気付いた家事への意識。重い鎖が軽くなりました。 | 思考も部屋も行動も! スッキリ楽に暮らしたい♪

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思ったことを徒然に書きつつ、大切なものを大事にして、楽に自由に生きたいなあと思ってます。

 【時間管理】「スキマ時間」が見えたことによって気づいたこと。考察。

 これによって、さらに気づいたことがありました。

 家事への意識についてです。

 今まで、私、家事についてもいろいろ調べたり情報収集してきました。
 家事を時短するための工夫とか、うまい方法とかコツとか。
 料理なら簡単なレシピとか。

 そういうことを知れば、家事がもっともっと時短できて、
 自由な時間が増えると期待していたんだけど、
 実はそうじゃなかった。

 片づけもそうだし、掃除も洗濯も料理もそうだけど、
 ずっともっと効率よく、いい方法がないかと調べたり本を読んだりしてきたけど、
 私がすべきことはそうじゃなかった。
 本当は、「家事をする」という覚悟を自分で持つことが先だった。

 それがわかった。

 私が色々調べたりしていたのは、
 毎日やらなければならない家事や育児が確実にあって、
 それを楽にしたかったんじゃなくて、
 それをすることから逃げたいだけだった。

 やらなくていい方法が知りたいだけだった。

 少しでも、やらなくて済むように。
 時間を掛けなくて済むように。
 簡単になるように。

 簡単になって時短になることは悪いことじゃないんだけど、
 私は逃げたいからそれを探していたんだ。

 だけど、当然ながら家事を効率的にやる方法や
 時短の方法は見つけられたって、
 やらなくていい方法は、なかった。
 だから、いつまでも、他にやり方があるんじゃないかっていう思いが消えなかったんだろう。

 よくわからないけど、私にとって家事とか育児は、
 自分をがんじがらめにする重い鎖にしか思えていなかったんだな、と思う。

 それから逃げたかった。
 少しでもそれを消してしまえる時間を(できるだけ多く)作りたかった。

 だけど、『
【本】『夢をかなえるゾウ』「期待をしているかぎり、現実を変えることはできない」』で書いたこの本を読んで、
 自分で自分をコントロールすることを楽しむ、という意識を持つことに気付いて、
 ちょっとだけど「やらなければならないこと」についての意識が変わったように思う。

 このころくらいから、「家事をすることを損」だと感じることがちょっとだけ減った。
 だから、スケジュールに家事を登録することができた。

 そして、スキマ時間が見えた。

 それがあって、ようやく逃げられないとあきらめがついたみたい。
 自分で、やることも選んでいるのだとわかったのかも。
 自分をコントロールすることを楽しむ、って、ようやく見えてきた気がする。

 絶対やらなければならないことがあって(生活するうえで、親として、家にいる主婦として)、
 その時間は絶対に取られると、
 それは私の自由になる時間ではないのだと
 ようやく前向きに諦めがついた感じ。

 今考えると、それまでの私って、

 家事っていつか誰かがしてくれるものという意識だったのかも。

 母が家にいる子供の頃みたいに。
 誰かが、生活を回すための基盤を築いてくれて、
 自分はそれに合わせて行動するだけでいい。

 誰かがしてくれるはずなのに(と思っているのに)、
 実際は、誰もしないから私がすることになる。

 誰もやってくれないから、私がやらなきゃいけないんだ

 いやいや、仕事に出ている夫や幼い子供ができるはずもなく、
 当然母が家にいるわけでもない。

 あなたがやらずに、誰がやる

 当然すぎるはずなのに、「やらされている」という気持ちが
 絶対にどこかにあった。


 どんだけ甘えてる、というか子供意識が抜けてなかったんだ…

 だから、夫や子供が「これしようか?」と言い出すのを待ってたし、
 お願いしなくても勝手にやってくれるのを期待してた。
 だけど、思うようにはやってくれなくて(当然ながら
 子どもは邪魔ばかりするし仕事も増やすし(こぼしたり汚したり漏らしたり)
 どこか不満感が消えませんでした

 でもこれって、おかしなことだなと思いました。

 もちろん、専業主婦だから、家事を一から十まで一人でしろとは思いません。
 得意不得意はあるし、家族の手を借りてもいいし、外からプロの手を借りてもいいと思います。
 今は便利な家電もあるし、使えるものは使っていい。
 子供にだって家事を手伝わせて覚えてもらうことも重要です。

 だけど、何を手伝ってもらうか、
 何をしてもらいたいのか、
 なんなら相手に任せられるのか、
 どういう風にそれを選ぶのか(子供に選ばせてみるのか、夫にできることを訊ねてみるのか)
 それを決めるのは自分でなければ、家事の主導権を取ってるとは言えないですよね。
 自発的にしているとは言えないですよね。

 もちろん、専業主婦でも家にいる時間がないくらい忙しかったり、
 仕事をしていて、夫婦二人で家事をやる場合も、
 どちらかが主導権を握るのもいいと思うし、
 どちらも主体的に関わっていくのもいいと思いますが。

 どうやったって家にいて時間もある専業主婦の家事の量を
 夫と等分にするわけにはいかないし、
 そもそも夫とは家事・育児にかけられる時間だって違うわけです。

 なんだか、そこまで思って、
 ようやく、
 私は「やらされていたわけではなかった」と思えました。


 私は今考えると、上にも書いたように、
 ずっと、家事や育児を自分を縛る重い鉄の鎖のように思っていました。

 だけど。

 その鎖は、本当に重いのか?
 その鎖は、本当に体に絡みついているのか?
 その鎖は、私を本当にしばりつけているのか?
 私を、家の中から出られないようにしているのか?

 実はその鎖を重くしていたのは、自分だったんじゃないだろうか。

 その鎖は、どう頑張っても、消えることはないとわかった。

 どんなに足掻いても、私を、家族に繋ぐ何かは消えてしまうことはない。

 だけどそれは、鉄の鎖でもなんでもなくて、
 ひらひらとしたリボンのようなものなのかも。

 私の動きを阻害するほど、重いものでないかもしれない。
 重くするかどうかを自分でコントロールできるのかも。

 硬くて冷たくて重い鎖にするのか、

 長~いひものようにするのか、
 ゴムみたいに伸ばしてみるのか、
 キラキラ輝かせてみるのか、
 羽衣みたいにひらひら舞わせてみるのか、
 体に巻いてドレス風にしてみるのか、

 そんな風に、どういう風にだってできて、
 どうするかを選ぶということが、
 自分で自分をコントロールするということなのかもしれない。

 そう思ったら、一気に鎖の重さが消えました。

 次に、今回の時間管理による変化のまとめを書いて終わりにしようと思います。