【時間管理】「スキマ時間」が見えたことで感じたことと変化。まとめ。 | 思考も部屋も行動も! スッキリ楽に暮らしたい♪

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片づけが苦手なADHD傾向がある主婦の、部屋も思考も時間も行動もスッキリ楽に快適生活を目指す、記録ブログです。
思ったことを徒然に書きつつ、大切なものを大事にして、楽に自由に生きたいなあと思ってます。


 スキマ時間が見えたことで気づいたことを書いてみました。

 【時間管理】「スキマ時間」が見えたことによって気づいたこと。考察。
 
【時間管理】スキマ時間が見えて、ようやく気付いた家事への意識。重い鎖が軽くなりました。

 これ、主に6月上旬にTwitterで思ったことを忘れないためにつぶやいたことになります。
 それを、改めてブログにまとめ直していたのです。
 家事への意識の最後のところは、ブログを書いているときに気づいたことでした。

 これを書いてすっごく気が楽になりました。

 ここからもまたTwitterでつぶやいたことの整理とまとめになるのですが、
 家事への意識の最後の部分が見えたことで、
 さらに以下の意識がより鮮明になってきている気がします。
 


 「スキマ時間」が、あるんだと気づいて、
 家事をする覚悟がなんとなくできてきて、
 ようやく、時間をやりくりすることが楽しく思える気がしてきました。

 そして、限りある「スキマ時間」をどう楽しむかを考えだしたら、
 家事の時短ができるようになる気がしてきました。

 家事の時間内に、余った時間が出れば、
 ちょっとだけ掃除する箇所を増やすとか、
 片づけとは言えないけどごみを捨てるとか、
 よく言われる「その場でちょっとだけ」家事をすることを
 苦に感じないで済む気がしています。

 今までは、その「その場でちょっとだけ」家事をすると、
 すごく損をしている気がしていました。

 自分の自由時間を奪われる気がしていました。

 家事でなく、子供の相手にするにしても。

 だけど、明確に「私が使える時間はこれなんだ」とわかったことで、
 そういう「焦り」のようないら立ちが少し落ち着いた気がします。

 それどころか、空き時間を使って大きな家事をやる気にさえなってきました


 使える時間が見えたから、
 ならばそれを増やすために、家事にどう取り組もうか。
 そういう気になってきました。

 今、家事の時間として割り振っている時間を、
 短くできれば「スキマ時間」は増えるのだとわかったのです。

 家事はやればやるほど時間を取られる、ではなくて、
 やることを決めた時間でやるのなら、
 それ以外の時間は家事をやらなくてもいい、と思えるようになったのです。

 ちょっと気まぐれに、家事の時間がちょっとだけ決まってきたから、
 スケジュールに入れてみよう、と行動してみただけの結果が、
 まったく想像していなかった変化をもたらして、びっくりしています。

 こうなってようやく、今まで家事について調べたやり方や考え方を
 活かせる気がしてきました。
 家事をやらないためじゃなくて、家事をやるために知りたいと思えるから。

 そしてこれをまた行動に移していく、という別のハードルもあるわけですが、
 多分、前よりは行動に移せる気がしています。

 置かれた状況を自分で認めて、自発的に楽しんで取り組もうとするかどうか。
 それが大事だと、色んなところで目にします。本でもブログでも。
 ほんとに、よく見るんです。良く聞く言葉なのです。
 だけどやっぱり、ただ目にするのと腑に落ちるというのは全く違うんだなあと思います。

 私は今このタイミングでとても「腑に落ちた」のですが、
 これも、育児にもそれだけ少し余裕が出てきたからなのかもなあとも思います。

 自分だけの要因でなく、子供の成長度合いとか、時間的な余裕とか固定された予定があるかどうかとか。

 やっぱり、私の場合娘もが稚園に(1時間とはいえ)行くようになって、
 生活パターンが整ったことが大きかったんだなと思います。
 洗
濯と夕飯作りの時間を固定して、かかる時間がある程度把握できて、
 その通りに動こうと思った。
 そういう風に、色んなことがうまく変化したから。

 これが、娘がまだ乳児だったら、家事を固定するほうが苦痛だったと思います。
 息子が2歳で娘が生まれる前も、外に出ることはなかったから、こうはいかなかった。
 だから、誰でも家事をスケジュール化すればスキマ時間が見えるわけではないとも、思うのです。

 私は、今回スケジュールの登録を変えただけで、「スキマ時間」に気づきました。

 手帳術を始めて激変する人は、このせいなのかな、と思いました。
 ただ、私は「手帳術」では「スキマ時間」を見つけることができなかった。
 この辺りは、やり方として合う合わないとか、その人の生活パターンとか、
 子どもの年齢とか、そういうものも絡むので、「手帳術がだめ」という話ではないです。

 私には、このやり方で、ようやく「スキマ時間」に気づけた、というだけの話です。

 そして今回も、
 つくづく、専業主婦の厄介さはここだなあと再確認しました。

 強制がない、外的要因がない、時間的制限もない、
 すべて、自分の意識と行動で変わってしまうところ。
 (さらにそこに子供や家族の都合でそれを振り回される可能性があること)

 切り捨てる部分も自分で決めないといけない。

 なんでもできる、は、何もできないということ。

 選択肢が多ければ選べない。

 この負担は、外部からの拘束が大変であるということ
(たとえば、仕事の時間が決まっていて、家のことをできる時間が限られるなど)と同じ、
 場合によっては、それ以上のものなのだと思います。

 よく、「ない」ことに目を向けず、「ある」ことに気づく、
 自分が「持っている」ことに気づくことが大事だと言われます。

 これもよく見るし、わかっていたけど、
 やっぱり、
 「ある」と納得するのは難しいんだと思いました。
 けれど、「ある」ことが本当にわかると、やっぱり何かが変わる。

 今回思ったのは、やっぱり「ある」ことから始めるしかないんだなということでした。

 それまでは、時間を「ない、ない」と思ってました。
 あんなにはない。こんなにもない。無限にない。自由にはない。

 だけど、やっぱりあったんですよね。
 それも、色んな忙しい人からすると、多いくらいに。
 それが、自分の想像していたものとちょっと形は違うとしても。
 細切れで、不確定で、思うようにならない日もあるかもしれないけど。
 でも、あったのです。
 
 「私には時間がある」と思って初めて、
 「時間はあるけど、無限ではない」とわかりました。

 「ある」けど「ない」。
 だから、できることも、できないこともある。

 だから、どうするか。

 そこがしっかり見えるようになってきた気がします。


 これから、世界が変わっていくんじゃないかな、と、ちょっと期待しています