ALSの元ビルダー リバース目指す奮闘記

ALSの元ビルダー リバース目指す奮闘記

2022年6月指定難病の筋萎縮性側索硬化症=ALS の確定診断を受けた。現在障害者手帳3級、時々車椅子の59歳。
50歳までボディビルをしていたスポーツ大好き人間。いろんな手法でこの疾患をリバースさせるべく奮闘中です。

ルーゲーリックの日に


2020年の秋頃だったと思う。

ちょうど世の中のコロナ騒ぎが少し落ち着いてきた頃、コロナで打撃を被った旅行業界を救うべく生まれたGoToキャンペーン。


我れ先に旅館を予約して、妻と松江市を訪れた時だったか。


普段スリッパを履く生活をしていなかったから、全く気付かなかった。

スリッパを履いたまま階段を降りると、右足のほうだけポロリとスリッパが落ちる。

うん?なんで?

そして初めて気づいたのが右足の親指が動かせていないし、なんなら足首も動かし辛い。


ちょうどその頃元のジムに復帰し、調子に乗って初日に何年ぶりかのスクワット、たしか80キロくらいか?したときに腰をいわしてしまい、あまりにも痛みが長引くので整形外科を受診した。


腰はどうということもなかった、というか実は骨折していてもう治りかけてるというおまけ付きだったが、右足先の症状は診断ができず、市民病院を紹介され検査入院をすることに。

人生初の入院に年甲斐もなくドキドキしたのを思い出す。


入院中、ちらっと医師の持っている資料に『アイザックス症候群の疑い』という文言が見えた。

ググってみると筋肉がやたらピクつく得体の知れない難病ではあったがそんなに深刻でもなさそうだ。


検査は狭くて騒音のひどい頭部MRI、骨髄液を抜かれたり筋肉に針を刺してそこを自分で収縮させて筋電図のデータを取ったりなど、かなりなストレスものだった。


そして、退院してから2週間後、わたしの58回目の誕生日の前日の6月2日に担当医から神妙な顔つきで告げられた病名が『筋萎縮性側索硬化症=ALS』だった。


どのような経過で末路を迎えるのかという説明を聞くと吐き気がするほどの衝撃を受け、帰宅しながら妻に涙声で結果が悪かったと連絡した。


あとで知ったが、この病気は米国でルーゲーリック病と呼ばれていて、その昔ベーブルースと双璧の人気と実力を誇ったメジャーリーガー、ルーゲーリックもこの病気で引退を余儀なくされ、早々に逝去されたとのことだった。


その命日が奇しくも6月2日という特別な日なのだ。


わたしの闘病生活はルーゲーリックの日から始まった。





お腹が大変なことになった。


食べ過ぎたようだ。


フードファイターでもこんなにならんか。



実は長女の腹だ。


黙ってブログに載せているのがバレると一生口を聞いて貰えないだろうというリスクを冒している。


来週にも出産予定の3人目の子が腹にいるからこんなことになっているのだ。


無痛分娩とやらで、4月24日で予約をしているらしい。


出産日を予約とか、どうなっとるんかと思うがこれが当たり前なんだと。


無痛分娩というのは産婦人科医と麻酔科医がセットなので、このタッグが成立しないとダメなのだ。


ただ、それまでに陣痛が始まると自然分娩になるとのこと。


なので遅くとも来週の24日には3人目の孫が産まれてくるということだ。


最近は今年で5歳、3歳となる上の2人の孫とも外で遊んでやることもできず、残念でならない。


本人たちは忘れているだろうが、2、3年前までは一緒に公園や家の周りを走り回っていたのだが。


3人目の孫くん(男の子)が物心つくまでには、寝たきりじぃさんではなく、動ける男前にならないとなーと決意をしたしだいで。


最近、決意ばっかりじゃの。







 

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