4/7-4/8でソウルに彼にお別れを伝えに行きました。

COEX Artiumの追悼空間とペンカフェさんが開催されている写真展にちょうどジョンヒョンのお誕生日の週末に向かいました。 

写真展は弘大のカフェで。
無料ということもありすごい行列でした。
1時間くらい待ったような気がします。

隣の教会の桜が満開でした。

春なのに冬のような寒さで、前日にはソウルは雪が舞ったとか。

冬になったジョンヒョンが帰ってきたようでした。 

会場に入り、飾られた写真をながめていると、もうこの笑顔は写真でしか見れないんだ、どんなに音楽を聞いて想っていても、この人は、写真の中にしかいないんだって悲しくなって、たくさん並んだのにすぐ出てきてしまいました。

追悼空間は向かう途中もふわふわした変な気持ちでした。

COEXも頻繁にこれる場所ではないので、追悼空間以外も見た方がいいかなって思ったような気もしますが、なんだか全然魅力を感じなくて、そのまま一直線に追悼空間のところに行きました。

追悼空間は想像より少し狭くてみんな静かに彼のことを見ていました。

たくさんのお手紙を見ていると、ジョンヒョンがどれだけ愛されていたか分かったし、どれほどのたくさんの人がジョンヒョンがいなくなったことを悲しみ、悼んでいるかがわかりました。

悲しい空間に彼の音楽が流れているのを聞くと、また「この人はいないんだ、こんなふうにしか会うことができないんだ」と悲しくなりました。

ここにも長い時間いられなくてお手紙を置いてすぐに出てしまいました。



追悼空間を出るとちょうど下の階でshinin'のMVが流れて来て、彼が안녕って言ってくれてるような気がしました。

今回の渡韓中に何度かこういうシンクロニシティがあったので、ちゃんと彼にに挨拶できたように思います。

4/8の誕生日には、InstagramやTwitterのTLが去年やそれ以前の彼の笑顔で溢れて。

悲しいお別れをした彼のことを思うと、わたしたちの期待が彼の負担だったのではないか、わたしたちが求めるものが彼の幸せを奪ったのではないかと悩む気持ちもあります。

ジョンヒョンはわたしたちにたくさんのものをくれたのに、わたしたちは何も返せなくて、辛い思いを減らしてあげることもできなくて、わたしたちの応援に意味があったのかな?って考えることもあるし、同じように思い悩むファンの方がいる気持ちもわかります。 

だけど、やっぱり「幸せはいつも自分の心が決める」から。

彼が自分で見つけないと、誰かが彼を幸せにすることなんてできなかったとも思います。

ジョンヒョンはちゃんと幸せだったし、笑顔は本物だった。 

だから、今いる世界や今度生まれてくる世界がもしあるのなら、その世界では必ず幸せを見つけられる人であってほしいと思う。


じょんひょん、お誕生日おめでとう。
ずっと大好きだよ。





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京セラドーム2daysを終えて。

タイムラインには参戦レポや動画があがり、
自分以外の方がどういう気持でステージを眺めていたのか、
知る機会が増えてきました。
また、公演中の4人の表情も伝わります。

参戦して感じた、4人の辛さや背負うものは少しでも減ってほしいという気持ちは嘘ではありません。
やっぱり楽しいSHINeeが大好きです。

4人には笑顔になってほしいし、SHINeeとしゃをるがつくるステージは笑顔がいい。
しゃをるのみなさんも笑顔になってほしい。
また来たいねって言えるステージがいい。

だけど、「今」を振り返るであろうこの先の未来で。

「あのときはつらかったけど、乗りこえて、今のSHINeeがあるよね。」
って言えるのは4人だけ。

4人が笑顔になれて
「乗り越えたね、よかったね」って言う未来にはじょんひょんはいない。

たぶん、じょんひょんのお空の声もだんだん少なくなって、
ステージでじょんひょんを想って涙を流す場面が少なくなったほうが、
4人も4人を応援してるしゃをるのみなさんも、幸せだと思う。
忘れないけど、少しだけ忘れた方がみんな笑顔になれる。
忘れずに「思い出」にしたほうがきっと「SHINee」にとっては正解な気がする。

だけど、わたしたちは。
わたしは。

この先4人のステージを見てもじょんひょんを想って泣いてしまうだろうし、
じょんひょんを探してしまうだろうし、じょんひょんのパートを歌う4人を見て、違うと思ってしまうと思う。

一方で、4人にもしゃをるのみなさんにも笑顔になって欲しい。

そうすると、コンサートはみんなの邪魔になるから行ってはいけないと思うようになりました。

ずっとずっと泣いてうじうじしてたら、

せっかく前を向こうとする4人の、しゃをるの邪魔になるよね。


4人も大好きだけど、じょんひょんの代わりにはなってくれそうにない。
大好きなのに、代わりにはできない。

SHINee以外に好きなグループはない。
SHINeeを見られなかったら、わたしには何にもない。

じょんひょんがいない「SHINee」はわたしにとっては「SHINeeじゃない」。

また時間が経ったら、違う風に捉えられるかもしれない。
だけどこれが今この瞬間のわたしの気持ち。

このあと、オニュが兵役に行って、ミノやキーくんも続いて。
テミンはひとまずソロでがんばる期間があるんだと思う。

そのあとまた4人が集まるのかな。
集まって意味があるかな。

そのときはリセットされて、
5人の「SHINee」とはまた別のグループがただ「SHINee」と名乗ってるようにわたしには見えてしまいそうで怖い。

でも、そうなることが4人と4人のしゃをるにとっては幸せなこと。

「思い出」になって、忘れずに。
泣いてばかりはいられないし、泣いてて欲しくないし。

先日の内容と言ってることがとても矛盾していることもわかる。

じょんひょんが好きだけどSHINeeが好きで、
4人も大好き。

思ってた以上にじょんひょんの存在が大きかったみたいです。

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きーくんのインスタ見て、やっぱり可愛いくて。
わたしたちのことを気遣ってくれてるのもわかる。

じょんひょんのことも好きだけど、4人のことも好きなんです。
4人のことも、4人のペンさんたちも、じょんぺんさんも幸せになってほしいな。
あ、わたしも。笑



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2月17日。
SHINeeとわたしたちの新しい1日。

想像どおり。
想像以上に辛かった。

じょんひょんがいないのが辛かった。
4人がやつれて、悲しそうなのが辛かった。
じょんひょんの歌パートをみんなで歌ってるのがつらくて、じょんひょん声がお空から聞こえるのも辛かった。

これからどうなるのか不安で
でもSHINeeを支えてあげたいと思った。
でもどうしてあげるのがいいのかわからなかった。

4人が頑張りすぎて4人まで笑顔を失って、壊れてしまうのも怖かった。

本当はつらくて、SHINee辞めたいって思ってるなら、やめてもいいんだよって言いたかった。
休んでいいんだよ、待ってるから、ゆっくりでいいんだよって伝えたかった。

オニュが歌いながら声を詰まらせたこと。
やっぱり身近なメンバーたちが本当に誰よりもつらいし、乗り越えたくても難しいのに、このステージに立っている強さと、悲しみに押しつぶされそうな表情を見ると、それだけでわたしたちも辛かった。

じょんひょんのパートの낯선자のロングシャウトがテミンに変わってたこと。
じょんひょんはいないんだって改めて感じてつらくて、
じょんひょんのボーカリストとしての実力を改めて痛感して。

でもテミンもがんばってて、テミンが悪いとかじゃないんだけど、ああ、じょんひょんじゃないんだ…じょんひょんはいないんだっていう悲しみと共に、デビューから10年。
テミンのヴォーカル力はメキメキ上がってるんだよなと成長を感じたりもしました。

Hitchhikingは盛り上がる曲だから、Introが流れた瞬間、あっ!て嬉しくなる気持ちと同時に中盤のミノのラップ後のキーくんとじょんひょんが頭を合わせる振り付けはどうなるんだろうと不安になった。
わたしの中でこのシーンはSHINeeの特にキーくんとじょんひょんの絆を感じる場面だったから、じょんひょんの代わりは誰になるんだろう、と少し落ち着かない気持ちがあった。

実際はキーくんが別の子と同じ振り付けをするのではなく、ミノとテミンが同じ振り付けをしていて、やっぱりカッコよくて、予想外の演出に、「わっ!」と沸き立つ気持ちと、
「じょんひょんの代わり」をつくる演出じゃないことに、工夫と努力とチームSHINeeの覚悟みたいなものも感じた。
たぶん、こうするのが正解なんだろうなっていうパート変更だったと思う。

でも一方で、じょんひょんとキーくんのあの表情は見れないんだなってやっぱり悲しくなった。

わたしも、しゃをるのみなさんもたくさんたくさん泣いて、泣き崩れて。

わたしにとってそれは、大好きなじょんひょんがもう、いないんだってことと、今でもとても大きな存在なんだってことを頭で理解するよりも、心で感じるというよりも、
呼吸みたいに、悲しい気持ちが溢れて、涙が出て、嗚咽が止まらない。
ステージの時間を過ごす、生きることは、これからこんなにつらいことになるのかな、と苦しくなった。

じょんひょんに対して怒ったり、理解しようとしたり。
整理して落ち着いた毎日を送っていたのに、ただ襲ってくる悲しみがまだあったんだと、改めて知った。
じょんぺんらしからぬことだけど、心のどこかで大丈夫だと思っていた。
だけど、やっぱり無理だなって思った。

でも、「じょんひょんがいないこと」、その悲しみとは別に、「うまく笑えないSHINee」もすごく衝撃的で辛かった。

SHINeeとしゃをるが出会う場所はやっぱり笑顔がよくて、またSHINeeに逢いたいって思いたい。
今のままだとわたしにはまだ辛すぎる。

わたしは4人を支えたいし、4人ががんばるというなら応援したい。
だけど、もしかしたら。

SHINeeとしゃをるが出会うことでお互いにじょんひょんのことを想って傷ついてしまうんじゃないかって、4人のこともわたし自身のことも心配になった。

掛け声のときも、「きむじょんひょん!」て呼ぶのなんだかつらくて、そうなったら、じょんぺんは「いじんぎ!キムキボム!ちぇみの!いてみん!」って呼ぶのもなんだかつらいような気がして。

LUCKYSTARとdowntownbabyのときは、お互い少し前みたいに笑えてたかな?4人の笑顔が見れて安心したような、これでいいんだよね?っていう戸惑いもあった。

じょんひょんを忘れないこと、だけど、SHINeeもしゃをるも笑顔でいること。
これを両立させることが今のわたしたちに課せられた大きな大きな課題のように感じました。

ひとまず、SHINeeが大好きなこととじょんひょんが大好きなことには変わりはありません。

じょんひょんに一つだけお願いするなら、
自分が寂しいからって、4人の笑顔まで連れてかないでよっ!笑
ってことかなぁ。

ただ、わたしはやっぱり笑顔のSHINeeに会いたいから。
だけど、無理に4人に笑ってほしいとは思わないから。

家に帰ったらDVD何回も見よう。

おにゅ、おてむ、ちぇみの、きーくん、ありがとう。

じょんひょんもありがとう。

SHINeeありがとう。

しゃをるのみなさんありがとう。

スタッフのみなさんありがとう。

やっぱりわたしはSHINeeが好きです。


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