ボウリング20世紀の神様ドン・カーター
ボウリングマガジン 3号 の記事から
昭和38年12月26日発行 180円
この昭和38年、ボウリング界の第一人者はアメリカのドン・カーターだった。
彼は腕としても一流だが、商売人としても一流だったらしい。
前回の記事にも紹介があったが、この時代に年収10万ドル(3000万円~)
以上を稼ぐ。さらにグローブを考案して販売、副収入を入れて20万ドル以上
稼いでいたらしい。その後100万ドルプレイヤーに・・・・・。
また、大リーガーからボウリング界に転身して、見事成功を収めたボウラーだ。
参照:おおむらのこらむ
昭和33年に、すでに本も出版している。
多くのボウリングテクニック出版の基本となる手引書だ。
彼がボウリングマガジンに中級ボウラーのために、書いたこの記事は
当時、非常に貴重なものである。
だから今でも十分通用する。基本に帰る記事だ。
さてーと、行く前に
お口直し(訳分からん)に、その3号に紹介された
まずは、カラー写真のボウリングファッションをどうぞ。
今でもいけそうな感じ・・・・
昔、ボウリングシャツが
タウン着として大流行した
時代がありました。
画像はクリックすれば大きくなって、記事が読めます
↑これなんか
今風にアレンジすれば、いけそうでしょ。
とにかく、ボウリングファッションが
街に踊り出なくちゃ。
若者がタウン着として
普通に着るようになったらシメたもんです。
30数年前、スポーツメーカーの
デサントが行った商品戦略。
スポーツ着としての機能を持ちながら
あくまでタウン着として通用するファッション
スポーツブランド「NCAA」
私あの頃、
ショップと仕入れを担当してました。
デサントの戦略も聞いて
「これは売れる!」って思いましたね。
その通り!めちゃくちゃ売れました。
今でも覚えているのは、「ダウンジャケット」
当時は今のように、街にあふれていませんでした。
登山家や一部のウインタースポーツのアイテムだったんですね。
だからカラーもカーキー色とか1,2色いいとこ。
デサントが作ったダウンジャケットは、若者に受けそうなピンクや水色、カラシ色
等々、1品種で10色くらいのカラー展開。
価格も4~5万円
カジュアルショップですから、客単価3,000円~4,000円
怖かったですね、仕入れが・・・。
でも杞憂でした。その年飛ぶように売れました。
スエットの上下をタウン着に普及させたのも、「NCAA」じゃないでしょうか?
今じゃ寝巻きにまでなっていますけど。
あの頃は、まぁ言ったらトレーニングパンツですからね。
それを、おしゃれなスエット上下にして、タウン着にしたその功績は大きいと
思いますよ。それまでそういう文化がなかった。
あ、あーまた、余談が多くなりました。
そうですドン・カーターです。
以下の記事、どうぞかみしめてお読みください。
ボウリングを始めた人、そして中級ボウラーの方も。
出来れば印刷して、あなたのボウリングスコア向上のために。
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この記事は
本山ボウル所属 の大澤氏による
48年間ボウリング業界に籍を置いて集めた、
ボウリング雑誌コレクションをお借りして書いています。
この雑誌を実際に見たい方は、本山ボウルへ