小説「常温のあなた」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

午後1時。
今出歩くと死にます、と言う主旨の町内アナウンスが響く。
暑い。
夏休みなのに何処にもいかないし誰も誘ってくれないなあ。 YouTubeでサカナクションの山口くんが人形と踊っている。六畳たたみの上に、倒れふしている私。
そいつはこういう時にやってくるのだ。
「ういーっす。」
すでに玄関でバタバタ靴を脱いでいる気配がする。何年履いているんだか知れない、岩みたいに疲弊した強面コンバースを。
「インターホン鳴らしなさいよ、付いてるんだから。」
とは言え、私はTシャツに短パンだし起き上がるつもりもない。 そいつは左右の手に違う店のロゴが入った袋を下げている。
「うん、でね、こっちがカップのバニラアイス。」
何が、でね、なんだ。
「それからこっちがあつーいエスプレッソ。」
「この暑いのに。」
「うん。だいどこ借りるぞー。」
逆に面倒くさいから、私は起きて耳の後ろをがりがりする。
臭い。
「ほらよ。」
そいつはマグカップを私につきだした。バニラアイスが入ってスプーンが刺さってる。
「だから何?」
「それでさ、こうやって。」
アイスが入ってるのに、マグカップにエスプレッソを注ぐのだ。
「あつーいのとつめたーいのが同時に味わえるぜ。食ってみ。」
私はコーヒーの温度で緩くなった辺りのバニラアイスを、スプーンで掬って食べてみる。
苦味、甘味、熱さ、冷たさ、は、はっきりいってけんかしてる。混ざりあってない。
「温いんですけど。」
何これ? と私は聞いた。
「ヨーロッパでは冬にこうしてアイス食べるんだって。」
「じゃあ冬に持ってきてくれないかな。」
こんな風に前触れなくやってくるそいつは、今食べてる食べ物みたいなんだ。 熱くもないし、冷たくもない。 言うなれば、常温。
でもいいじゃないか。
人間はあつーいひとやつめたーいひとが沢山いれば幸せなんでは決してない。 ぬるーいひとが沢山いてこそ幸運なのだ。 私の温い人はこいつしかいない。だから私は不幸だ。決定的に。
カップの中身は結局、曖昧なコーヒー牛乳みたいになってしまった。 分かっていたことなのだけど。